たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

欲望と法の支配 <大阪万博>と<盗撮罪>について記事を読みながら

2018-11-24 | 心のやすらぎ・豊かさ

181124 欲望と法の支配 <大阪万博>と<盗撮罪>について記事を読みながら

 

昨夜からとても冷える感じで、夜明け前に一度目覚めました。次は朝日が高野連峰と雨引山をはじめ紀ノ川に稜線を落とす峰々を照らして彩色の変化を楽しむことができました。そういえば昨夜は望月が少し柔らかくなったくらいでその輝きもまた見事でした。

 

そのせいか今日は高野連峰はもちろんのこと、吉野方面はもちろん、東方には40km以上先にある国見山が見事な三角錐をとりわけ際立たせていました。南方は七重、八重どころか、もう数えられないほど、たくさんの見事な形状の峰々が連なっていました。もしかして大台ヶ原まで見えていたのかも・・・ほんと素晴らしい山岳景観でした。

 

こういった朝日や、月光、山脈の連なりなどに感動していると、変な感覚にはなれないのではと私流の考えがふと浮かんできます。

 

盗撮の話です。私も当地にやってきて刑事事件で何件か担当しましたが、なぜこんなことするのかいつも被疑者・被告人と悩みを半分くらい共有します。でも結局、私には理解できないため、厳しく当たりますね。なかなかこの盗撮への思いが直らないようです。被害に遭った女性は傷つき、刑事処分があっても、その画像がどこかで流出されるか不安が続くでしょう。

 

そんな思いになったのは今朝の毎日記事<論点「盗撮罪」創設>をめぐって賛否の論者が意見を述べているのを読んだからです。

 

まず問題の所在が

<スマートフォンの普及で増加する盗撮行為。被害拡大を受け、現行法には取り締まりの「抜け穴」があるとして、刑法改正による盗撮罪の創設を求める動きが出ている。一方、刑法による摘発は慎重を期すべきであり、創設は時期尚早との意見も。いつ誰が被害に遭ってもおかしくない盗撮。どう対処すればいいのか。【聞き手・椋田佳代】>と切り出されています。

 

上谷さくら・犯罪被害者支援弁護士フォーラム事務次長が<拡散防ぎ救済必要>として、賛成の立場で強力な意見を述べており、私も基本、支持します。

 

跋扈する盗撮とその危険の拡大を踏まえて、<電車や公園、道路上など公共の場での盗撮なら都道府県の迷惑防止条例によって、撮影対象が18歳未満なら児童ポルノ禁止法や軽犯罪法などで取り締まられているが、現行法には抜け穴がある。>という指摘は同感です。

 

実際どんな問題があるかをリアルに指摘しています。

<軽犯罪法はトイレや浴場におけるのぞき見を禁じているが、罰則は拘留や1万円足らずの科料にとどまり、画像データの没収もできない。迷惑防止条例は公共の場での規制を主な対象としており、室内での取り締まりには地域差がある。成人がカラオケボックスなどの私的な領域で盗撮された場合、処罰できないことがある。カメラの性能向上に伴って画像は鮮明になっている。被害者が盗撮されたことに気が付かずに表面化していない被害は多いだろう。>

 

私も同種の事案を扱いましたが、ほんとに被害者が気づかないことが結構あり、それがネットとかに掲載され、知り合いから教えられるということが少なくないのではないかと思います。いや加害者がずっと隠しもっていることもありますね。

 

被害者が受ける驚異、不安、さらに心身症など精神的被害は止めどもないかもしれません。

上谷氏が指摘する<学校や会社のトイレ・更衣室で盗撮されると、毎日通っていた場所に怖くて足を踏み入れられなくなってしまう。温泉の脱衣所で着替えを撮られ、知人からネットに載っていると聞かされるケースもある。会社を辞めたり、学校に行けなくなったり、人生への影響は甚大だ。>という状況は理解できます。

 

現行法では画像が没収される場合が限定されていて、先の軽犯罪法の場合以外でも、問題が取り残されるのです。

<容疑者が逮捕されて警察が家宅捜索し、パソコンやスマートフォンから盗撮画像が出てきたとする。証拠としてまず押収されるが、盗撮行為が犯罪の構成要件の対象外である場合、捜査が終わった段階で盗撮画像を強制的に没収する手段が現状では存在しない。たとえ刑事裁判で被告の刑が確定しても、画像データが残っていれば被害者はいつまでも安心できない。私自身、これまで「画像を何とか取り戻してほしい」という性犯罪被害者の声を何度も聞いた。>

 

<着替えや裸の姿を無断で撮影することは性犯罪だ。盗撮は全国一律で厳しく取り締まる必要がある。フランスやシンガポールなど諸外国には盗撮に対する規制がある。2020年東京五輪までの法案成立を目指したい。>という気持ちは理解できます。

 

日本男児ということばが残っているとは思えませんが、少しは男らしく(性差別的表現で申し訳ないですが)卑怯なまねはやめてもらいたいですね。

 

他方で、石塚伸一・龍谷大法学部教授は<共通認識なく早計>と批判しています。

 

刑法・特別刑法が人の自由を国家権力が奪う仕組みであることは確かですので、安易な刑事法の拡大は特に謙抑的であることが求められるという点は賛同します。

 

しかし、石塚氏が問題の盗撮と肖像権侵害例とを同様に扱うのは疑問です。むろん盗撮ないしは撮影行為という点では同一で、対象が異なり、性的評価が加わる点が違うのでしょうか。

 

石塚氏は<現段階では盗撮行為によってどんな権利の侵害が起こるのか、社会の共通認識が未成熟だ。>というのですが、肖像権で問題となるのは基本、性的評価は加わらないでしょう。その性的興奮をもたらすような対象か否かはたしかに場合によってはグレーな部分もあるでしょうけど、たいていの場合明白ではないでしょうか。これまでも条例・軽犯罪法で構成要件を絞ってきたのですから、そのレベルで規制可能だと思うのです。

 

社会の共通認識が未成熟って誰のことなんでしょう。その状況を私は想定できません。加害者が未成熟な意識かもしれませんが、それは保護されるものでしょうか。

 

日本人の伝来の仏教では、五戒の一つ<不邪婬戒(ふじゃいんかい,  不道徳な性行為を行ってはならない>は、女性との接触すら禁じていたのですから、基本、女性(男性もありでしょう)の下着とか裸を見たり、それを撮影するなどもってのほかで、いけないことは子どもでも(子どもを軽く見るつもりはありません)理解できています。

 

なお、明治維新頃までは女性も男性も公衆風呂場で混浴していた場面もあったようで、女性が裸のママ風呂場から出て街路を歩いている異人を見ることも社会的な許容があったようですから、当時は異なる慣習があったと思いますが、盗撮はなかったのですから、まあ盗撮を許容するような社会意識が存在したわけではないですね。

 

石塚氏は<盗撮はどうか。科学技術の発達により、簡単に写真を撮影し、保存、再生できるようになった。急速に発展する分野であり、今後どのような侵害形態が登場するか予想もつかない。権利意識も侵害形態も未成熟な段階で新たな刑法の犯罪とするのは早計だ。>と言うのですが、私には未成熟な段階という位置づけが理解できません。

 

民事賠償でよいなんて意見は、問題の本質というか被害の実態を理解しているとは到底思えません。被害者の人のうち、どのくらいの人から、どの程度ヒアリングしたのでしょうね。民事賠償ではとても回復できない被害であることを理解する必要があると思うのです。

 

むろん石塚氏が指摘する<盗撮罪の対象を性欲充足のための撮影に限定したとしても、何が盗撮に当たるのか、罪の範囲を定めるのは難しい。>との指摘は重要ですが、クリア可能な問題ではないでしょうか。

 

この議論はこの程度にして、大阪万博の話を簡潔にまとめたいと思います。

 

25年万博開催地が大阪決定は、苦労されてきた多くの人にとってとても喜ばしいことだと思います。

 

ただ、夢洲という適切な土地利用がなかった土地について、万博とIRで将来的な魅力的な開発地として再生させようという為政者たちの考えは、大衆迎合的な(これは言い過ぎかもしれません)欲望の行き先としてもっともと思いつつ、それしかなかったのかと少し残念に思うのは庶民の一人の思いです。

 

私は、いかに魅力的な催しがあっても大勢が詰めかけ何時間も待つといったものにはあまり関心が湧かない性格のようです。70年の大阪万博も、一度訪れましたが、あの大挙する人の群れに圧倒され、どこか一カ所か二カ所、人気のない展示会場を見てすたすたと帰りました。愛知万博の時は開催前の環境アセスを問題にして、里山景観が残る状況を視察しましたが、開催中は一度も訪れていません。では昨夜決定した25年の大阪万博はというと、外からの情報で満足しようかと思っています。

 

毎日ウェブ情報では<大阪万博未来への挑戦、夢再び コンセプトは「非中心」 AI、VRに「禅」の精神表現も>ということで、いろいろアイデアが競い合っているようで、それ自体は興味を感じています。

 

 <■IoTで健康増進

 ■ストレスゼロ

 ■再生医療で若返り>など、テーマはおそらく世界各国の多くの関心を呼ぶものにはなりそうです。

 

私自身は別の視点から考えてみたいと思っています。それは開催場所が夢洲であり、廃棄物処分場としての地盤的特質をもっていることから、海面利用と廃棄物処理の再生のあり方を万博やIR会場、それからの活用に、地域圏の交通計画など大阪全体がどう変わっていくかを、法の支配と環境保全の観点から、これからも見ていきたいと思っています。

 

それに開催期間を含め将来にわたり、南海トラフ地震・津波に襲われるリスクが高い中、大勢が夢洲に集まることはリスク拡大のおそれもあり、その対策をどうするのかも、注視していきたいと思っています。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


算額、広場、人権 <興福寺が中金堂再建 偉大な広場の未来は>などを読みながら

2018-11-20 | 心のやすらぎ・豊かさ

181120 算額、広場、人権 <興福寺が中金堂再建 偉大な広場の未来は>などを読みながら

 

昨夜飛び込んできたビッグニュース、たとえば毎日記事<ゴーン会長逮捕>内容は、日本中どころか世界中に衝撃を与えたのかもしれません。その功罪半ばする事情についてあれこれ情報が飛び交っています。逮捕容疑やそれ以上の深刻な疑惑、日仏の企業統合をめぐるきな臭い話、当分の間多様な情報・意見が表出するのでしょう。知らないものは静観しておくのが肝要でしょうか。

 

ただ、<ゴーン逮捕はなぜ今なのか——ルノー・日産の経営統合との関係は>の記事、裏事情としては興味深く読みました。今日はその程度でいいかなと思います。

 

さて、今日は三題噺的な展開をこじつけてみようかと思っています。まったく関係のない、でも私が勝手に関心をもつ3つの話題を取り上げます。いずれも毎日記事。

 

一つは、広場です。正確には「偉大な広場」でしょうか?伊藤和史氏による<今どきの歴史奈良・興福寺が中金堂再建 偉大な広場の未来は>というエッセイです。

 

出だしは、<奈良・興福寺の中心建築、中金堂が300年ぶりに再建され、落慶法要もめでたく行われたのを機に参拝した。東西37メートル、南北23メートル、高さ21メートルの木造大建築。奈良時代の創建時(8世紀前半)そのままにつくられたという。>と天平の偉容と筆者が評する中金堂の話。

 

ところが、この中金堂、<7度も焼失、その都度再建され>、とくに<1717(享保2)年の後、さらに100年ほどたって建てられたのは小ぶりの仮堂だった。>その建物がこぶりで地味、<300年という期間、寺の中心を欠いていた>というのです。中心を欠いた興福寺だったというのです。

 

ところが筆者は<この広さや自由さ、古色が相まって、これも天平的と呼びたくなる伸びやかな空間をかたちづくっていたのである。>と筆者は高く評価し、また、<にぎわう興福寺境内こそ、日本を代表する広場ではないか。そんなことを考えていた。>とまで言うのです。

 

欧州には必ず立派な広場ありますが、日本にはそのような広場が生まれなかった、現代の都市計画でも配置されることがなかったとも指摘しています。他方で、<近年の日本では、再開発された超高層ビル街で広場らしきものをよく見かける。>これは私の理解では70年代にはあったと思います。たとえば日比谷公園南側の日比谷シティ再開発区の広場なんかはその一例でしょうか。これは81年開業でしたか。

 

筆者は<四角い平面の2辺、3辺が道路に面した構造が圧倒的に多い。あのように明確な境界をもたず、しまりのない空間を広場だとは認めたくない。空間に包み込まれている快感を全く覚えない。>

 

たしかにそうかもしれませんが、都市計画法・建築基準法などで容積率緩和策として提供義務がある空間・広場は道路に面することを求めていますので、制度上の縛りを問題にしないといけないのでしょうね。ただ、日比谷シティ街の広場はよく利用していたので、個人的には結構魅力を感じていましたが、もう30年近く前の話ですから、説得力なしですか。

 

筆者がよしとする広場観だと、<興福寺境内は得難い存在であると思う。レンガ壁の建物にこそ囲まれていないものの、西と南は建物や塀で区切られ、東と北は両国宝建築や松林などが境界の役割を果たし、四囲の道路から見事に隔絶されている。>

 

これを実際の人の動きを捉えて、<東西南北いろいろな方向から入ってくる観光客たち。周囲を見渡し、記念写真を撮り、鹿と遊び、飲んだり食べたりもして(宗教空間としてはちょっといかがかとも思えるが)、長い時間とどまっている人も多いと思う。何やら、イタリアの広場のような使われ方ではないか。>と評しています。

 

そして伊藤氏は最後に、<興福寺が宗教の場として充実していく一方、偉大な広場的空間の心地よさが、これからも続いてくれたらと思う。>と希望を語るのです。

 

はてさて興福寺の広場が市民的空間としてほんとうに形成されてきたのか、それは元々藤原氏の氏寺ですし、中世には最大規模の荘園領主として栄華を誇り、とても庶民が自由に出入りできるところではなかったでしょう。あの中世の無縁の場所である寺社としても、興福寺の場合別格な印象をもちます。そこに自由で平等な人権が育つような気風があったでしょうか。

 

そんなことより現代の広場を取り上げているのだから、筋違いというかもしれません。最近の仏閣、仏像などの仏教ブームで、見直されつつあることはたしかで、その中に広場まで捉えたことはさすがと思いつつも、興福寺を含め現在ある程度の広場・境内をもつ寺社がそのような市民的自由を謳歌できる場となっているかといえば、残念ながらまだ大きな障壁を感じています。それはなにか、歴史の重みも、関係する僧侶・檀家なども関係するかもしれません。いずれまた議論みたいと思います。

 

次に、<チェック大仏ぶつぶつ 「和算」考え中 「湯船何リットル?」答えは複数>で取り上げられている、「算額」です。

 

場所が東大寺大仏というのがいいですね。ちょうどいま、澤田瞳子著『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』を読んでいる最中で、同著では大仏建立の現場で繰り広げられる身分制を背景とする(といった一般的な括りは不適切ですが)悲喜こもごもが興味深く取り上げられています。

 

母親の澤田ふじ子著『天平大仏記』も優れた作品と思うのですが、瞳子氏は末端の作業を担う人物を主人公に据えて、なかなか負けていない印象です。帚木蓬生著『国銅』もまさに田舎から強制徴用される悲哀を徴用前から任を終えて帰途の中で死亡する悲哀を見事に描いていますが、瞳子氏は聖武天皇など政権批判や優婆塞などを率いた行基の実像を真摯に捉えていて(むろん仮説でしょうけど結構説得力があります)、魅了されています。

 

算額と言えば、江戸初期から幕末まで庶民に流行し、おそらく日本人が西洋の先端技術をスムースに導入することができたバックボーンの重要な一要素となったと思っています。

 

それを大仏のそばでやろうというのですから、東大寺もなかなかやりますね。最近わいせつ事件で話題になったえらい僧侶がでましたが、名誉挽回でしょうか。

 

<大仏殿の向かって右手下にある算額。図形を交えて書かれた見慣れない和算の問題に参拝客らが興味深そうに見入る。外国人観光客が詳しい説明を英語や日本語で読めるQRコードをスマートフォンで読み取っていた。>

 

内容はこうです。<「大仏が肩まで風呂につかるには何リットルのお湯が入る湯船が必要か」--。江戸時代の数学「和算」を用いたこんな問題が書かれた「算額」と呼ばれる絵馬が東大寺(奈良市)に掲げられ、観光客の人気を集めている。>

 

<算額は自分が考案した問題や解き方を書き記した絵馬。江戸時代から大正時代に日本で数学者や数学愛好家の間で流行した。東大寺だけでなく、日本各地の神社や寺などに約1000の算額が残っている。特に福島県や岩手県、埼玉県に多いとされる。>

 

こういった課題をそれぞれが設定し、答えや解答も一義的ではない、そういう考える場、媒体はいいですね。問題・課題を当たり前のように提供し、解答は一つというのでは、これからの社会なかなか生きて行きにくいでしょう。いやこれまででもそうだったと思います。人生は未知の世界でしょう。それに対応するには、答えのない課題を自ら作り出し、悩み、解決・解答を模索することが大事ではないでしょうか。

 

そういう場、媒体こそ、わたしたちの社会に求められているように思うのです。それがもしかしたらギリシアの「自由で民主的な」とカギ括弧付きの都市国家、市民を踏まえて、現代の本来の自由な市民・国民になりうるのではないかと思ってみたりします。

 

最後は<そこが聞きたい人権侵害の改善には ヒューマン・ライツ・ウォッチ代表 ケネス・ロス氏>です。

 

日本では日々さまざまな人権侵害のニュースが取り上げられます。BSの国際ニュースでは世界の各地で大変な人権侵害が問題になっています。

 

そんな中、<アジア諸国などで人権状況が悪化している。独裁的指導者や大衆迎合的な政治家が政治的自由を抑圧し、民主主義を脅かす。先進国でも差別的言説が広がった。国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW)のケネス・ロス代表(63)に対処法を聞いた。【聞き手・和田浩明、写真・山下浩一】>というのがこの記事の主題です。

 

ロス氏は、<北朝鮮や中国、東南アジア諸国などで人権状況が悪化>について、日本政府は一方で北朝鮮や中国の問題について主導的な立場でリードしていると評価しつつ、他方で、ミャンマーやイエメンなどの問題については我関せずといった、問題行動をとっていると批判的です。

 

日本のメディアの問題も指摘しています。日本のメディアがこういった問題を取り上げていないことを指摘しています。安田氏に対する自己責任論を激しく言いつのる日本社会の状況について、海外メディアが極めて違和感をもって見ています。この点、ロス氏はとくに言及していませんが、中東、シリアの実情を知らせるというジャーナリストの活動をおそらく評価しているのではないでしょうか。

 

最後に、ロス氏は、民主主義と人権との関係について、正鵠を射る発言をしています。

<私の理解では、民主主義は選挙が全てでなく、多数の意見も人権と法の支配の制約を受ける。民主主義は多数決が全てではなく、人権の範囲内で多数派の意見を尊重するものだ。さもなければ、多数派が「嫌だから」と難民や少数派を攻撃するような事態になってしまう。>

 

おそらくですが、民主主義が歴史の世界で真の意義を確立したことがあったのかと思うのです。では真の意義とは何かでしょうけど、いくつかの守るべき価値をしっかり根付いてはじめて確立したといいうるのかと思うのです。それは私が生きている間には無理でしょうし、人類の未来永劫とまでいわなくても、長い長い道のりを必要とするのでしょう。

 

そんな長い行程ですから、広場空間も、算額も重要な仕掛けの一つではないかと思うのです。これで筋が通せたとは思いませんが、なんとなく不時着したかと勝手に思っています。

 

今日は少し長めになりました。おしまい。また明日。


人馬の触れ合い <人と馬との共生夢見て=C・W・ニコル>を読みながら

2018-11-14 | 心のやすらぎ・豊かさ

181114 人馬の触れ合い <人と馬との共生夢見て=C・W・ニコル>を読みながら

 

私がまだ子どもの頃、田舎では結構、いろんなところで馬が闊歩する姿を見ることができました。以前にもこのブログで書いたように思いますが、隣家が馬を飼っていて、私がある時期エサやりをやらしてもらっていました。とても可愛くて私は馬と一緒にいると心安まっていたと思います。小学低学年のときだったと思いますが、あまり学校になじめず、おそらく同級生ともあまり付き合いができなかったのではないかと思います。その代わり、この馬や他にブタや柴犬などもいましたので、これらの動物と遊ぶことが好きだったような記憶です。

 

馬は時折、障害のある子どもや不登校の子どもなどのために、乗馬クラブなどが触れ合う機会を提供することがこれまでもあったかと思います。他方で、北米などで普通に見かける乗馬して山や谷をトレッキングするといったことをやっているところはあまり聞かないので、希なのではないかと思っています。

 

以前、馬を飼ってみようかと検討したことがありますが、なかなか簡単でないので、実践に向けた動きはしていません。でもまだいつかチャンスがあれば馬で闊歩したいと思う高齢者の一人です。車は必要悪みたいに乗ってしまいますが、馬だとこれは断然違います。

 

そんなとき今朝の毎日記事<Country・Gentleman人と馬との共生夢見て=C・W・ニコル>では、ニコルさんらしい趣向のある企画が提案されています。

 

ニコルさんは、今は恰幅もよく高齢でもあるため動きが敏捷とはいえないかもしれませんが、北米で公園レインジャーなどで活躍されていたわけですから、機敏な動きをされていたのでしょう。そんなことを彷彿させる出来事をまず書かれています。

 

<私は今から50年前、皇帝ハイレ・セラシエ1世が治めるエチオピア帝国政府の野生動物保護省の猟区主任管理官として、辺境のシミエン山地に国立公園を創設する任務を与えられた。公園長に就任し準備にあたったが、道路も整備されておらず、学校も病院も警察もなし。電気すら通っていなかった。移動手段は徒歩か、馬やラバだけだった。>

 

公園長といっても、わが国の国立公園事務所に勤務する多くの職員のように、かなりの時間を事務処理で時間を費やし、現場パトロールの時間が余りとれないのとは大違いで、次のようにまさに危険と隣り合わせの活動をしています。

 

<私たちは定期的に現地の巡回をした。山賊や密猟者の取り締まりや公園の地図作製、野生生物と水の調査が目的だ。>ということで、わが国にも密猟者はいますが、アフリカだと相手も銃や武器を所持していますから、生死をかけた仕事だったでしょう。

 

定期巡回で治安が安定すれば、今度は観光による収益を考えるのは必然ですが、車道などないので、移動手段は馬かラバというのです。

<治安がよくなり安全に旅する環境が整うと、警察は旅行者にシミエン山地への入山を許可するようになった。とはいえ、険しい山で馬やラバを乗りこなすには、乗馬の腕や経験、何より現地の詳細な知識が必要だ。海抜4550メートルにもなる高地では、高山病にかかる恐れもある。夜は冷え込むので防寒着や暖かい寝袋の準備も不可欠だ。>

 

この厳しい環境でこそ本来の自然の醍醐味を五感で感じることができるわけです。その場合馬やラバは最高の友でしょう。私もわずかなトレイルですが、その境地の一端を感じることができました。

<しかし、こうした厳しい環境にもかかわらず、訪れる人々はシミエンに魅了される。馬やラバとの旅は、冒険の醍醐味(だいごみ)を与えてくれる。自分の五感を駆使し、より多く見て、聞いて、嗅いで、感じることができるのだ。>

 

ニコルさんは、多様な活動をされていますが、<1980年、北長野に居を定めた私は、地元の猟友会に入り周辺の山々を歩き回った。車では入れない深部にも足を運んだ。>そうです。そして黒姫高原で故郷ウェールズの森を思い浮かべ森の再生に取り組み「アファンの森」づくりを長年にわたって持続的な活動をされてきたことは有名ですね。

 

ニコルさんは、最近、外国人旅行者の増大する日本で、日本らしい固有の「馬文化」を再生させる観光のあり方を提案しています。

<私がかつて味わったような感動的な体験を提供できないかと考えていた。普段、人が立ち入らないところまで分け入って、日本の自然の素晴らしさを知ってもらいたい。それも身軽で快適な旅がいい。日本には古来、馬文化があるから、それを現代によみがえらせ、大型観光バスではたどりつけない自然に触れてもらおう、と。そんなツアーを「マウンテンサファリ」と名づけた。>

 

その内容はやはり素晴らしいのです。北米では似たようなツアーはありますが、日本の中でできるといいですね。

<私がかつて味わったような感動的な体験を提供できないかと考えていた。普段、人が立ち入らないところまで分け入って、日本の自然の素晴らしさを知ってもらいたい。それも身軽で快適な旅がいい。日本には古来、馬文化があるから、それを現代によみがえらせ、大型観光バスではたどりつけない自然に触れてもらおう、と。そんなツアーを「マウンテンサファリ」と名づけた。>

 

日本古来の「馬文化」と聞くと、?と思う若い人もいるかもしれませんが、長い歴史をもっていますね。むろん騎馬民族の到来などとも関係するかもしれませんが、おそらく2000年近い歴史があり、時代に応じて変化はあっても、つい最近までとくに農家では必需品の一つであったように思うのです。

 

そういえば、維新後10年目頃に来日したイザベラ・バードは、常に馬を連れて、東北を、北海道をと、日本各地を旅しています。アイヌ人とも逢っています。東北のおそらく日本人でも知らない僻地まで足を伸ばしています。彼女の旅は馬なくしては成り立ちませんでした。それでも当時の日本の馬は、バードにとってはラバのような大きさで、闊歩するには必ずしも適したものではなかったようで、結構、彼女らしい辛辣な批判をしています。といっても彼女は暖かく優しい目配りを絶やさないのですが。

 

話戻って、ニコルさんの企画内容は次のように魅力的です。

<私たちは2頭の馬を買い入れた。「マウンテンサファリ」の荷物を運ぶのにひと役買ってもらうためだ。野外料理で使う鋳鉄製のダッチオーブンも自分で抱えていく必要はない。たき火をおこせば、私自ら料理に腕をふるえる。ゲストには馬と触れ合いながら、山歩きを楽しんでもらう。キャンプ場に到着したら、おいしい食べ物と温かい飲み物が待っている。まずはアファンの森の散策から始めるが、いずれは1泊旅行も考えている。快適なテントに泊まり、夜は簡易ベッドで眠るのだ。>

 

最近は山、谷、沢、川、滝、海などあらゆるところに、さまざまな新種の移動手段、冒険手段をもちいる外国人、日本人が次々と企画を打ち出して楽しみですが、ニコルさんの企画のように馬の魅力を一杯詰め込んだものは一段と輝くように思うのですが、いかがでしょう。

 

私もニコルさんに比べれば若いのですから、人馬一体の新企画でも夢見てみたいと思うのですが、夢のまた夢かも。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


雅と人の性 <澤田瞳子 王朝の雅 安穏とはいかない人間模様>などを読みながら

2018-09-29 | 心のやすらぎ・豊かさ

180929 雅と人の性 <澤田瞳子 王朝の雅 安穏とはいかない人間模様>などを読みながら

 

明日は猛烈な台風が日本列島を縦断するということで、スーパーには人の波です。以前は気象予測もそれほど正確ではなかったかもしれませんが、最近は進路も速度変化やその脅威も極めて正確になってきたように思います。そのうえ台風の脅威が気候変動の影響を受けてかその威力が増しているようです。たいていの人は、その脅威を事前に告知されているので、備えを万全にしようとしているのでしょう。

 

そういった気象予報のない時代、自然災害は天災として、天罰といったとらえ方を長い間していたのではないかと思います。神社仏閣に天罰を受けないように依拠していたのではないでしょうか。たとえば平安時代なんかは、一部を除き戦争もなく、死刑もなく(東北で最期まで抵抗した阿弖流為を除き)、平和を満喫していたようにも考えられていますね。

 

でも澤田ふじ子氏は異なる視点で、平安時代をはじめ天平から近世まで、たとえば『天平大仏記』『陸奥甲冑記』『流離の海 私本平家物語』などで、その社会に生きる底辺の人々から高貴な人々までの実相に迫る小説を私たちに提供してくれています。私はファンの一人となっています。

 

今朝の毎日記事<澤田瞳子の日本史寄り道隠れ道王朝の雅 安穏とはいかない人間模様>を読みながら、その語り口と澤田という名前から、しばらく読んでいない澤田ふじ子氏のことをふと思い出しました。澤田瞳子(とうこ)さんのことをウェブで調べたら、お母さんはふじ子氏だったのですね。

 

いやはや驚きつつも、母親の視線と似つつも、新聞紙面とエッセイ的な内容のせいかもしれませんが、フラットな筆運びに思えました。

 

瞳子氏の小説はすでに相当あるようです。どれか一読してみたくなりました。

 

さて記事では<王朝の雅>の実相について、「葵祭」で目にしたり、源氏物語などで描かれている貴族の生活をイメージする現代人に、高貴な身分の人も、現代の人とさほど大きく違わないかのような事例を取り上げています。

 

<毎年5月15日に京都で開催される「葵(あおい)祭」は、王朝の雅(みやび)を伝える祭礼として、人気が高い。きらびやかな十二単(ひとえ)をまとった斎王代が腰輿(およよ)と呼ばれる輿(こし)に乗り、平安装束に身を固めた男女の官人、騎乗の武官、美しい牛車などとともに都大路を練り歩く。>

 

40年くらい前、私も一度だけ見ましたが、どうも雅なものにはあまり関心がなかったようで、垣間見た程度でその次にみたいという気持ちにはならなかったようです。たしか鎌倉でも似たような行事があったかと思いますが、鎌倉居住時代も一度もみたことがなかったですね。

 

とはいえ多くの人にいまでも人気があるようですね。牛車(ぎっしゃ)をゆったりと練り歩く姿には雅さの典型かもしれません。

 

しかし瞳子氏は<「枕草子」の筆者である清少納言は、当時、もっとも一般的だった牛車の一種・網代車(あじろぐるま)を指して、「網代車は速い方がいい。人の門前をさっと走り過ぎて、お供の者がその後をついて駆けているのを眺め、はて今のは誰の車だったかなと考えるのが面白い。遅い車はつまらない」と評している。>として、自転車並みのスピードがでて、乗り手の人や牛によってはスピード狂のようにも、また暴れ牛になることもあったことを指摘しています。

 

瞳子氏は、さらに<「源氏物語」や「落窪物語」などの平安文学には、祭り見物などの折、従者たちが車の停車場所を巡って争う「車争(くるまあらそい)」の様が描かれる。それもただ、他の車を押しやるだけではなく、場合によっては石を投げつけ、相手の牛車をほとんど堀に落としてしまう粗暴ぶり。>として、<現代社会にいろいろな性格の人間がいるごとく、一見、優雅と映る平安時代にも気の荒い人物はいたのだ。>と指摘されています。

 

この牛車の暴走や従者などの粗暴さに関しては、五木寛之氏が『親鸞』でリアルに描いていますね。これは臨場感あふれるもので、五木氏らしい親鸞像の一端を示していますが・・

 

母親のふじ子氏の場合、現代社会がもつ格差や不公正さ、差別的取扱いの原点であるかのごとく、奈良・平安から鎌倉・室町と、それぞれの時代の奴隷制の実態や身分制における人間の実相に迫る描写をしているように思えます。

 

瞳子氏は、<清少納言の主・藤原定子の弟である藤原隆家は、当代一の「さがな者(荒くれ者)」。>と紹介し、<時の上皇に矢を射かけたり・・・、従者を武装させて往来でけんかを起こしかけたり・・・赴任した大宰府では、折しも海を渡って攻めてきた女真族3000人に抵抗すべく兵を募り、中央の指示を仰がぬままそれを撃退したのだから、まさに「戦う貴族」というべき人物と言える。>と貴族が荒武者のごとき性格の者もいたというのです。

 

ま、これは不思議に値しませんね。天皇・上皇でもそうなのですから。いやいや、僧侶・神人はそれ以上でしょうか。私の?連載が中途になったままの伊藤正敏著『寺社勢力の中世』では、中世の始まりは祇園社の河東占地で、鴨川右岸より東側を祇園社が占拠した1070220日だそうです。無縁所の始まりと言うことです。

 

そこでは朝廷はもちろんその後に成立した幕府権力も及ばない不入地(寺社勢力による独立した警察権・支配権)となったそうです。それだけ僧侶も神官も軍事、経済・政治力を握ってしまっていたのですね。悪僧という言葉も頻繁に使われていたようです。そのことはいずれ書きたいと思っています。

 

最期に、荒々しいのは男性の専売特許でないことは当時も今も同じでしょうか。瞳子氏は、女性も散見するとして、<村上天皇の中宮・藤原安子は、関白太政大臣の孫として生まれ、14歳で入内した、まさに絵に描いたようなお姫さま。それにもかかわらず、他の妃(きさき)の美しさに嫉妬した末、壁の割れ目から土器のかけらを投げつけるという、およそ深窓の姫君とは思い難いまねをしている。しかもそれに怒った天皇が彼女の兄弟を謹慎させると、それに詰め寄って処分を撤回させたというから、気の強いことこの上ない。>

 

なかなか文字として残されているのが少ないだけで、実際は、結構そういう女性はいたと思うのです。「平家物語」に登場する巴御前は強力と強弓に加え美貌の女武者として描かれ、木曽義仲に仕えて(連れ合い?)最期まで闘ったというのですね。豪傑ですね。

 

私たち人間は、社会が作ったさまざまな身分、階級、職業、夫、妻などある枠組みのある種の仮面をつけることを社会的に求められ、自らもそうなることにつとめるのかもしれません。平安時代で言えば、公家、その官職、摂政や関白など、道長の日記『御堂関白記』はほんの一部をさらっと見た(読んだとまでいえません)とき、彼も普通の人かなと思ってしまいます。

 

それは現代で言えばさまざまな職業もそうでしょう。国会議員や閣僚、官僚といった人から、法曹三者の人、経営者、労働者、などなど、その仕事の時はある種仮面をつけてそれぞれの仕事を通じて演じているのかもしれません。でも人間の本性はいつも変わらないものがもしかしたら縄文以来連綿と続いているのかもしれません。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


心の友 <危険な「セクスティング」>と<人生相談 友だち作らない息子切ない>を読みながら

2018-09-24 | 心のやすらぎ・豊かさ

180924 心の友 <危険な「セクスティング」>と<人生相談 友だち作らない息子切ない>を読みながら

 

今朝も庭木の剪定で汗を流しました。少し高いところの枝は、昔から杣人が使っていたぶり縄で登って、ハサミと竹林用の鋸でばさばさと切っていきました。それでたまった枝条は、昨日作ったばかりの庭の小道にばさばさと積み重ねました。緑の絨毯とまではいかなくても、ま、それなりに情緒はあると自己満足です。

 

銀杏の絨毯というと、昔、司法研修所があった岩崎邸の裏庭の巨大な銀杏の木から落葉した黄色で染まった絨毯を思い出します。それは神宮の絵画館前よりも、その静寂さと整った美しさで、いつも堪能していました。研修所時代は勉強は上の空(当時はそういうのどかな雰囲気がありました、と勝手に思っていました)で、テニスコートを占領したり、晩秋はその裏庭を散策するのが楽しみでした。

 

当時の仲間の中には、すでに他界した人も、弁護士をやめた人もいます。他方で法曹界のトップあたりにいる人もいます。小中学、高校、大学、そして研修所と、その都度友人がいましたが、弁護士になってからの友人となにか違うか、よくわかりませんが、大きな違いはないように思いつつ、最後が一番心を通わした友人かもしれないと思うときもあります。

 

そんなことをふと思ったのは、今朝の毎日記事<人生相談友だち作らない息子切ない=回答者・高橋源一郎>を読んだからかもしれません。

 

質問者は母親で、<高校1年の息子は小学生の頃から友だちができません。新学年になると新しい友だちを作りますが、長続きせずに独りで行動することが多い。仲間外れというより、自分から距離をおいている感じで、独りを苦にしているようには見えませんが、心配をかけないようにしているのではとも思えます。>と子どものことを心配しています。

 

いじめやハラスメントがある可能性があれば、丁寧に、注意深く当たる必要があるでしょうけど、その可能性があるかどうかは、親子で話し合い、あるいは様子を見たり、教師や子どもの同級生やその保護者にそれとなく聞けばある程度は分かるでしょう。一定の期間様子見は必要でしょうけど。でも今回の質問者のケースではそういう心配はなさそうですね。

 

そうすると源チャンの回答がやはり気持ちいいです(失礼ながら、勝手に源チャンと呼ばせてもらっています)。

 

源チャンはまず、自分が教鞭を執っている学生に秘密を書く課題を出したところ、3分の1が同じような内容だったとのこと。それは

<曰(いわ)く「友だちのふりをしているけどほんとうは嫌い」「友だちづきあいをしなければならないのが疲れる」等々。>学生はカンニングならぬ、人の原稿を借りてまねする、コピーすることもあります(昔は結構多かった)ので、どうかと思いますが、でも結構本音かもしれません。

 

<マンガ家のしりあがり寿さんは、わたしたちは「友だちの呪い」にかかっている>というのですね。これはたぶん、人類の本質的要素でもある仲間を作ることでしたが(人類誕生のNHK番組で取り上げていました)、それが外見でも作った形をとらないと、それぞれの狭い社会で息苦しいと自分自身を呪縛しているのかもしれませんね。

 

他方で、高齢者になると、孤独死だと世の中騒いでいますので、幼い頃から社会的な暗黙の強迫観念が呪いになるのかもしれません

 

私自身、こどもに友達がいるか、友達とうまくやっているかを気にかけてきたように思います。親というのは自分のことを顧みず、そんなものかもしれません。でも友達とつるんでいるのも大事ですが、孤独を大切にすることも大事ですね。「友達」という関係から一方的な要望もありえなくもないわけで、楽しくつるんでいると、自分自身を形成する機会を失う?可能性もないわけではありません。

 

源チャンは的確な言葉で回答しているように思います。

<わたしにとって「友だち」は、お互いの「孤独」を理解し合える者のことだからです。逆にいうなら、「孤独」を共有できない相手は、「友だち」ではなくただの「知人」にすぎません。・・・ご子息は周りの誰よりも「孤独」を知る人間に育ちつつあるのかもしれません。・・・会ったことはなくとも、同じような「友だち」が世界中にいることに。わたしもそのひとりです。静かに見守ってください。>

 

他方で、友達関係というか男女関係も危ういというか、リスクが潜在的にあります。

 

同じ毎日<Dr.北村が語る現代思春期危険な「セクスティング」 削除できない性的画像>で、その危険性を指摘しています。むろん前段の話とはかなり異なる場面ですが、それは友達同士でも異なるリスクが内在していることの警鐘でもあると思います。

 

ともかくDr.北村氏の問題提起は男女の問題です。思春期を取り上げていますが、私が関与した事件では結構な年齢であったり、30台であったりしますから、けっして若い人だけのセクスティングの問題ではないと思います。むろん若い人の比率は当然高いでしょうけど。

 

<セクスティング>といっても私も初耳でした(事件ではなんどか経験していますが)。<英語のSEXとTEXTING(メッセージを送る)を合わせた俗語です。近年めざましく発達したSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使って、性的な画像・動画やメッセージを送ったり交換しあったりする行為のことです。>

 

このセクスティングというのが結構手軽にやられているのですね。不思議だなと思いつつ、男性側も、女性側も、平気で送信しています。

 

しかし問題が内在していて、いつエスカレートするか分かりません。

<セクスティングの多くは若い世代で見られますが、仲間からの暴力や脅迫などへと発展し、自殺に至るようなケースもあります。しかも、同意を得ないで性的画像を送信されてしまうこともあり、そうなると、防ぐ手段がありません。>

 

私もそのような事件として、取り扱ったことがあります。

 

Dr.北村氏は<特に深刻なのが脅されて自分の裸の画像を他人に送ってしまうケースです。一度インターネットに投稿されてしまった画像を削除することは事実上不可能です。>と警鐘を鳴らしています。

 

脅されて送るケースもありますが、仲の良い関係を当事者間で共有するために自ら送る場合もありますね。送る事情は脅しもあれば、男女関係の継続のためもあれば、誘惑ためなど多種多様でしょう。

 

でも一旦送られたら「覆水盆に返らず」ですね。

<安全なSNSの使い方教育が幼い時から求められています。>かもしれません。いや、インスタ映えというのでしょうか、写真をカシャッと撮ってすぐ送ることが流行ですが、自分の裸を送るというのは、全然違うはずなのに、不思議です。これは写真に限らず、不倫の通信もですね。

 

以前、事件で、多数のその種のメールを読むことになりましたが、こんな露骨な文書をメールで送るのもどうかと思うのですが、日本人の奥ゆかしさといったものを期待するのが間違いでしょうか。

 

男女関係も、単に肉体関係だけを求めるのであれば、このような末路も残念ながらそのリスクを受け入れなければならないこともあるでしょう(脅迫等の犯罪行為は別ですが)。しかし、男女の愛情とか心の友というのであれば、それは別でしょう。こういった写真を求めるのは愛情でも,心のよりどころでも、ないと思うのです。相手の気持ちを最も大事にするのが愛情であり、心の友ではないでしょうか。

 

今日はこれにておしまい。また明日。