180625 文化と行政と人 <文化行政50年の課題 前文化庁長官 青柳正規氏>を読みながら
昨夜はセネガル戦を見ようかと思いながらも、試合開始時間が0時ということではなからあきらめました。案の定、11時前に本を読んでいたら眠くなり、目が覚めたら早朝の野鳥の鳴き声でした。朝のニュースではイーブンながら2対2で、しかも日本が追いかける試合展開で、見ていた人はとても興奮したようですね。
それにしても、コロンビア戦後の日本はTVで見る限り異様な状態ですね。たしかにとてもエクサイトした内容で、各選手の動きの俊敏さやスリリングなゴールシーンなど、サッカーファンでなくても引き込まれる要素はあったと思います。でもマスコミが取り上げすぎなのか、ちょっと異常かなとも思ってしまいます。それが文化なのかとも思いつつ、では文化とは何かとか、文化に対する意識とは何かとか、少し気になりました。
そこにちょうど今朝の毎日記事では<そこが聞きたい文化行政50年の課題 前文化庁長官(東京大名誉教授)青柳正規氏>が取り上げられていましたので、なにかヒントがあるかなと思って読んで見ました。
青柳氏は、以前何回かNHKBSの古代ローマの遺跡を紹介する番組で解説されたことがあり、とても柔和で優しい語り口ながら奥深い内容を語っていて、魅力を感じた一人でした。
ただ、この記事では、文化行政という、やはり少し文化自体とは少し距離を置いた視点から、しかも元長官の立場として語っていますので、残念ながら文化行政の文化とは何かといった本質的な問題については語られていません。とはいえ参考になるインタービューなので、少し考えてみたいと思います。
<文化庁が1968(昭和43)年に創設=1=されて50年を迎えた。今国会で改正文化財保護法が成立し、観光資源として文化を地域振興に生かす機運が高まっている。東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年を前に政府が訪日客の増加を成長戦略に位置づける中、現在の文化行政にどんな課題があるのか。青柳正規・前文化庁長官(73)に聞いた。【聞き手・岸俊光、写真・宮武祐希】>
文化庁が創設されたのが、なんと都市計画法の制定と同じ年だったのですね。これは偶然の一致と言うより、この都市計画法の制定により、はじめて中央集権的な全国一律の基準で都市開発を推し進める法制度を整備することで、それまではローカルルールという明文化されない地域に根付く高さ制限や景観配慮を取っ払い、開発許可基準に適合すれば地域の行政はそれに縛られて地域特性に応じた開発コントロールができなくなったのですね。用途地区も当時はたしか8種類でしたか、建ぺい率・容積率も根拠のないデータを基に過大な数値を設定するなど、貴重な地域の環境や遺産が容易に破壊されるトリガーとなったといってよいと思っています。
昭和30年代後半の開発ブームが鎌倉にも波及し、関東圏では珍しく起こった御谷(おやつ)騒動も、地元人・大佛次郎氏ら文化人多数が先頭に立って、鶴岡八幡宮裏の森を開発するのに反対運動を展開し、その後古都の文化遺産・景観を保全する目的で、昭和41年古都保存法が制定され、京都、奈良、鎌倉では一定の保全策が講じられました。とはいえ、こういった単発の法制度では国全体の総合的な文化行政の根拠とはなり得ませんね。そこで文化行政の総合的な役割が期待されていた背景もあったと思います。
文化行政50年について、青柳氏は<経済成長の時代は、経済の活性化が政治の中心課題で、文化への目配りはありませんでした。成熟社会が訪れ、文化が大きな存在になったのに、政治はまだ文化に十分アプローチしていないと思います。「守りの文化政策」をとり、国民生活の中で文化を重視しなかったことは反省点です。>
それは偽らない事実でしょうね。高度経済成長の波は各地で開発の嵐となり、道路建設、マンション・分譲地開発で、古い町並みはもとより地下に埋設されていた文化財は掘り返され、それは保存されるのは極めて例外で、ほとんどが調査して記録として残されるとしても破壊されるか移設して別の形で残されることがほとんどだったのではないでしょうか。
京都や鎌倉(いずれもかなり後に居住していたことがあり住環境として日々感じていました)では、至る所にいわば文化的価値のあるものが残っていたと思います。それをすべて保存していたら、都市の発展、現代人の生活が成り立たないかもしれないと言った考え方がまかり通ってのでしょうね。各地の開発許可や建築指導などの担当部署に比べて、文化財担当の部署(多くは教育委員会の中?)では権限も弱く、あまり目立たなかったように思います。
国の行政の中でも文化庁の位置づけが低いようです。青柳氏は<文科省の中心は初等中等教育、次は高等教育、その次は旧科学技術庁系という具合で、文化庁は最後の方です。文化庁一筋の人もいないわけではありませんが、文化庁プロパー(生え抜き)の人材を育てる機運は薄弱です。>
鞆の浦の景観訴訟では、イコモスや行政法学者の支援や協力を得ながら、画期的な勝訴判決を得ましたが、それは文化庁の権限が弱い中で、このままでは世界遺産的価値を破壊してしまうことを懸念した多くの有志が動いてくれたおかげでもあります。
それは国交省という強い権限をもつ行政にも強い影響を与えたのだと思うのです。
ところで、中央官庁の組織のあり方も重要ですが、地方がしんぱいされています。
青柳氏は<在任中、痛感したのは地方の衰退です。それなのに01年の省庁再編で文化庁の地域文化振興課はなくなり、担当が縮小しました。私はそれを作り直そうとしましたが、うまくいかなかった。衰退する地方を経済では再生できないんですよ。昔なら工場を誘致する方法があり、未使用の土地もあった。しかし、いま経済を活性化しようとすれば、環境や医療福祉など脇から攻めなければならない。文化の面ももっと振興しなければいけないのに、それを政策化し、実現できる役人がいない。>
文化を経済にすぐ結びつけるのもどうかと思いますが、文化的価値が内包する経済的効用にもっと注目して、観光資源としてより効果的なあり方を見直すという考えはすでに議論されてきたかと思いますが、実践的な意味ではまだ地に着いていないように思えます。
青柳氏は姫路城の大天守修理を取り上げて具体的に解説しつつ、<文化庁の調査では、文化投資は公共投資より経済効果があります。海外に目をやると、多くの国が文化を軸にしながら、経済活性化や国際的なアイデンティティーの確立を図っていることに気が付きます。>と述べています。
外国人客が大勢来日するようになって、城を含めさまざまな文化財がこのような文化投資の対象にもなっているようです。しかし、どうもハードに偏りすぎではないかと懸念しています。文化財というか文化的価値を認め開示し、啓蒙するなどの専門分野の担い手が、とくに地方では少なすぎるのではないでしょうか。
公共事業によって生態系が破壊されることへの配慮から、欧米では生態系に対する知見のある専門家をスタッフに入れることを必須としているところもあると以前、聞いた覚えがあります。環境アセスメントといった計画内容のチェックだけでなく施工段階で具体的なチェックがされないと、絵に描いた餅になりかねないと思うのです。
同様に文化的価値についても、必要な人材はもっと多様な分野に配置されても良いと思うのです。
<改正文化財保護法が今月成立しました。>というのは、初めて知りました。なにがどう変わったのでしょう。少し勉強が必要ですね。
安倍首相が文化財を将来の世代に継承することをしせい方針で語ったことについて、青柳氏は<「観光立国」の狙いはうまくいきますよ。今は語学を始めて勉強が面白くてたまらない頃のような状態です。だけど蓄積がないから非常に薄っぺらな運動です。・・・日本はその経験がないから、観光が一巡した時にどうするかなど考えていません。東京五輪後には過剰投資の問題が出てくるでしょう。>と文化とは何か、その保全とは何かについてのしっかりした議論がない現状では、青柳氏の指摘はごもっともと思うのです。
青柳氏は、改正法で権限を地方に移譲する仕組みを踏まえ、また、東京五輪を踏まえ、<文化の棚卸し>をしたいと述べられている。
それはどんなことか。<どこにどんな文化財があるのか。文化庁は、全国の文化イベントの情報を登録し、国内外に発信する「文化情報プラットフォーム」の運用を始めました。英語と中国語、韓国語、フランス語に機械翻訳され、誰もが自由に使えます。私が文化政策顧問を務める奈良県では、未指定の文化財のリスト化を行う予定です。具体化したら全国で「右へならえ」してもらいたいと思っています。>
文化の棚卸しという言葉は、魅力的ですが、一体誰がどのように行うのでしょう。むろん専門家が中心になって洗い直しを行うのでしょうね。しかし、その文化とは何か、私たち庶民の意識を変える意味でも、だれもが参加できる仕組みでの棚卸しをすることで、文化とは何かが少しずつ明確になってくるのではないかと思うのですが、どうでしょう。
専門家は、医療の世界の真のインフォームドコンセントのように、わかりやすいことばで文化の価値を説明;解説することが求められ、だれもが文化に親しめる社会が構築されることを期待したいと思うのです。
青柳氏はスイスの観光立国が長い歴史の中で国民の中に培われてきたしっかりした土台をもっていることを指摘していると思いますが、いまがそのときかなと私は違った目で思っています。たとえば●女子といったムーブメントが流行です。●男子があってもいいでしょうし、●おじちゃん、おばちゃんがあってもいいでしょう。そこに古墳や神社仏閣、仏像など、いろいろなものがはいっていいのでしょう。そういったものをも射程に入れた文化行政、観光立国を考える時代になっているように思うのです。
今日はこれにておしまい。また明日。