たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

祈りと人の生き方 <「象徴」実践と不可分 陛下の祈り、全身全霊>を読んで

2017-05-21 | 日本文化 観光 施設 ガイド

170521 祈りと人の生き方 <「象徴」実践と不可分 陛下の祈り、全身全霊>を読んで

 

今朝も暗闇の中で目覚めました。それでも漆黒の中、野鳥のか細い鳴き声が聞こえてきます。意識がはっきりしていたこともあり時計を見ると3時半頃でした。意識活動が明確だと、たまたま浮かんでくる想念のようなものも自分の意図と絡んで方向性がわりあい集中し、ある事柄をしばらく考えていました。個人的なことなのと、たのしい話題でもないのですが、ついついいろいろ考えが湧いてきます。嫌気がさすほどしっかりした意識ではないものの、次第に眠気が勝ち、目覚めると外はまぶしいほど明るいのです。それでも6時前でした。

 

ツーピーツーピーと甲高いシジュウカラの声が聞こえてきました。スギの木のてっぺんに止まって、周りを席巻するかのように、一羽が奏でています。今日も暖かい一日になりそうですが、まだ肌寒く感じるほどで、ちょうどよい早朝の空気です。花に水をやり、だいぶ枯れたのが目立つようになりましたが、何度も枯れては咲いてくれる花もあり、それを期待しながら一つひとつの花に水をあげています。今日も別の花を買ってこようと思いながら。

 

さて本日のテーマ、なかなか絞れなかったのですが、自分の感覚にはない分野の問題に少し挑戦してみようかと思う気分で、<考・皇室社会を映す/1 「象徴」実践と不可分 陛下の祈り、全身全霊>を取り上げることにしました。

 

最近、皇位継承や天皇の退位問題など、皇室をめぐる話題に事欠かないですね。私自身は、失礼ながら、従来ほとんど関心のなかった分野です。憲法論としてもほとんど考えてこなかった対象でしょうか。ただ、最近の今上天皇が被災地や沖縄をはじめ太平洋各地の戦没地を訪問される様子をニュースで見るたびに、なにか心に響くものを感じるようになってきました。

 

祈りという行為は天皇が行う祭祀として最も重要な行事の一つでしょうか。いや祈りという行為とはどんな内容で、どんな意味を持っているのか、どのような方式があるのか、そういったことすら、これまでほとんど考えたことがありませんでした。

 

私自身は、神社仏閣について特段の関心をもつことがないものの、訪問すること自体は最近になって割合多くなりました。首都圏で仕事をしている頃は、そういう気持ちの余裕がなかったこともありますし、そもそも宗教にさほど関心がなかったことも根底にあると思います。そして神社やお寺に参っても、祈るという形はとっても、特段、祈ることを意識的にしたことはありません。ましてや自分の将来や人生を祈るといったことはどちらかというと恥ずかしいことという感覚があるのか、やりません。

 

祈りとは何かについて、宗教的な意味合いで言えば、国家仏教の時代から個人のための仏教がより一般化した鎌倉仏教の時代ころから、祈るというのが庶民に普及したのでしょうか。むろん平安時代には空也をはじめ、浄土思想を普及させたおかげで、庶民は祈ることにより浄土に行き着くことを期待していたのかもしれません。法然はそれを南無阿弥陀仏と、日蓮は何妙法蓮華経と、などそれぞれの宗祖が祈りのあり方を導き、心の平安を庶民にもたらしたのかもしれません。

 

ただ私のように、聖書を勉強してもアーメンと祈るにはほど遠い状態で生きてきましたし、仏教もそれぞれの宗教史や宗祖の生き様を少しかじっても、祈るという方向にはなかなか性根がすわってきません。

 

そのためか記紀に書かれている天皇の古墳や神社を訪れても、その伝承に感銘するような心の動きは一切起こりませんので、その形態や周囲の景観などといったものには関心を抱いても、祈る中身が心のどこからも生まれてきません。

 

と長々と私個人の祈りについての感想めいた話しをしましたが、それは毎日記事で天皇がおこなってきた祈りの一端を明らかにされたことから、少し敬虔な気持ちになったためかもしれません。自らと対比するのも失礼なことですが、天皇がされてきたことは人間・天皇として精一杯の努力の積み重ねでもあったのかなと思った次第です。

 

<天皇陛下は70歳を超えていた。毎年11月23日に行われる収穫に感謝する新嘗祭(にいなめさい)で、祭祀(さいし)を執り行う神嘉殿(しんかでん)に向かって陛下が回廊を歩いていく時のことだった。装束を着け、斜め後ろから見ていた当時の侍従長の目に、奥歯をぐっと強くかみしめるような非常に厳しい陛下の表情が映った。>という記述は、全身全霊で祈りに取り組む姿を的確に描写しているように思えます。

 

<新嘗祭の当日は事前に御所でおけでお湯をかぶって身を清める。下半身はけがれたものであるという考え方から、タオルで体全体を一緒に拭くのではなく、浴衣のようなものを着ては脱いでを繰り返し、体を乾かす。宮中三殿で通常の祭祀で着る装束よりさらに古式で純白の絹でできている御祭服(ごさいふく)に着替える。重く、袖も広くて動きづらいが、祭祀では立ったり正座したりを繰り返す。>

 

人間のもつけがれを取り払い、できるだけ自然に近い形で、清清とした、そして凛として、望まれる人間・天皇の潔さを感じてしまいます。祈りとはそういうものなのでしょうか。そしてその祈りは人のため、万民のために、なされている純粋な思いなのではないでしょうか。

 

このような清清とした祈りであってこそ、その祈りは尊いものとなりうるでしょうし、その祈りをされる天皇への崇敬というか、尊敬の思いが自然と宿るのではないでしょうか。

 

私たち庶民は、欲望の塊かもしれません。祈りという形で、自らの欲望や希望、目標という個人的利益を追求しようと生きていないでしょうか。欲望がなくなれば、いきている価値がない?と思う人もいるかもしれません。しかし、人は欲望を求めるためだけに生きているとは限らないようにも思うのです。

 

法然が自力を排し、他力にのみ依拠して、ただ阿弥陀を祈ることに生涯をかけ、その純粋さに多くの人が救われてきたのかもしれません。それは浄土宗だけがなしえたものではないでしょう。

 

現代の私たちは、真の祈りというものを失っていないでしょうか。そこにこそ心の安楽、安らぎがあるのではないかと、ふと思うようになりました。

 

すでに人間のさまざまな能力を超えるAIが社会の中で活躍しています。<時代の風人工知能の未来=京都大教授・中西寛>では、<人間が作った機械が人間の知性のある部分を追い越しつつある事態をどのように考えるべきか、答えは出ていない。一方で発明家のカーツワイルが「特異点」という言葉で表現したように人類史の転換点が迫りつつあるという見方がある。カーツワイルはAIが人間の脳組織を超えた時、知性は生物としての限界を突破し、機械と融合した新たな知性が文明を担う時代が始まると唱える。>

 

現代の人間にとって人生における本旨的な要素といっても過言ではない、働くということについて、中西氏は<人間は本来、他者と交わり、誇りを持って生きる「活動」のために「労働」や「仕事」をする存在のはずなのに、機械の発達によってますます狭い「労働」に押し込められているのではないだろうか。物質的、技術的に最も発達した先進世界で人々の不満が高まっている背景には、人間の本質的な価値が忘れられていることがあるのではないかと思う。>と懸念を訴えています。

 

その<人間の本質的な価値>とは何か、また<見直すとき>とされる<「人間らしさ」>とは何か、いま私たちは日々、この問題に直面しているように思うのです。

 

その答えではないですが、私たちが過去、とても大事にしてきた「祈り」という心と体の集中を失っていないかを、天皇の祈りを通じて、いま考えています。祈りは、縄文の時代から1万年以上の歴史をもち、人間の本質的な要素ではないかと思うのです。弥生時代に農耕文化の繁栄という形で、少し変容してしまったかもしれないですし、それ以降も、個々人が心の支えとなっていたものを喪失したまま、現在に到っていないのか、少し考えてみたいと思います。それはAIが人間の能力を凌駕しても、人間の本質を脅かすことがない重要な要素として、一見、失ってしまったかもしれない精神的肉体的作用を蘇らすことかもしれません。

 

今日も暗中模索のものがたりでした。この辺で終わりとします。

 

 


憲法を考える <憲法 施行70年 国民主権を鍛えよう>などを読みながら

2017-05-03 | 日本文化 観光 施設 ガイド

170503 憲法を考える <憲法 施行70年 国民主権を鍛えよう>などを読みながら

 

今朝も暗闇の中目覚めました。以前は外が明るくなってきた夜明け前頃に自然と目覚めていたのですが、なにかの変化を示しているのでしょうかね。しばらくうつらうつらしていると、少しずつ曙光で明るくなり、鳥たちも喧しくになり、いつの間にか寝床を離れてしまいます。

 

今日も高野の周辺の山々を眺めつつ、グーグル・アースで見た3Dの山岳形状を重ねてみます。紀ノ川側から眺めたり、山の中に入って眺めていても、一向に気づかなかった一つに、丹生都比売神社のある天野の里がどうもカルデラ形状に見えてくるのです。どうみても噴火の跡のように見えるのです。丹生は水銀が多く出る場所として呼ばれるとも言われています。

 

空海は、遣唐使の留学僧として20年の予定で唐を訪れ、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚からその地位を継承されるなど、膨大な経典・法具にとどまらない高価な品物を日本に持ち帰っていますが、その経済的基礎・背景としてこの水銀の交易に関係していたという説があったかと思います。

 

なぜ天野に近い高野に真言密教の本拠を置いたか、このカルデラ的地形がヒントを与えてくれているように思うのは飛躍がありすぎでしょうか。ま、空海の一生は飛躍の連続ですから、これくらいは愚者の愚見ということで大目に見てもらいましょうか。

 

さて本日のテーマ、憲法ですね。なにせ憲法記念日なんですね。憲法は首都圏で担当していたさまざまな国・東京都、神奈川県など行政相手の訴訟では、毎回のように議論のまな板に載せていました。とはいえ、憲法はわずか103条しかないのですが、奥が深く、また広範囲です。私が取り上げるのは特定の条項ばかりで、いつの間にか憲法というものを全体として考えないで法律実務家の仕事をやってきたように思うのです。

 

当地にやってきて憲法を訴訟で取り上げるようなこともなくなり、ますます縁遠い存在になりつつあります。しかしながら、9条をめぐる状況の変化は著しいですし、憲法改正に係わる議論も次第に活発になりつつあるのを等閑視してばかりいられないかもしれないとも思っています。

 

とりあえずは今日の毎日記事やNHK番組をいくつか取り上げて、少し気持ちの整理をしてみたいと思います。

 

毎日朝刊一面は、<毎日新聞世論調査改憲に賛成48% 9条改正反対46%>と<憲法施行70年 国民主権を鍛えよう>とが大きく掲載されていました。

 

世論調査の動向にいろいろ反応するのはどうかと思いますが、改憲賛成が増えているのかなとは思います。その中でも、9条の改正については反対がなお大きいのは変わらないようですね。

 

このような動きも踏まえて、論説委員長・古賀攻氏は<国民主権を鍛えよう>と呼びかけています。安倍首相が主張する押しつけ憲法論に対抗する趣旨で述べているようにも見えるのですが、一体、どう鍛えるというのでしょうか。意図はなんとなく分かりますが、その意味合いというか、その方法をふくめどうも判然としません。

 

その点、おそらく<記者の目憲法70年 安倍政権の改憲論議=倉重篤郎(編集編成局)>で指摘されている記事内容について、国民がしっかり抑えておいて主体的に判断する必要があるといった意味合いなのでしょうか。

 

同記事では、これまで毎日記事が長く安倍政権を追求してきた文脈で、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という日本国憲法の三大原則を安倍首相が軽視あるいは形骸化してきた趣旨を述べています。

 

<特定秘密保護法と、組織犯罪処罰法への「共謀罪」の新設>は国民主権の空洞化を招くと批判しています。<前者は、安全保障上の理由から国家公務員の機密管理を厳罰強化(2014年12月施行)したものだが、記者としてはあれ以来お役人の取材がしにくくなったことを正直に打ち明けたい。>とまで内心を吐露しています。

 

<後者は、テロ摘発を理由にした治安立法だ。実行行為がない段階でその準備行為をも捜査対象とする。政権はこの国会で強行成立させる腹だが市民活動萎縮の懸念が残る。

 いずれも、憲法前文の宣言に背く。多様で正確な情報入手と、それに基づいた自由な言論、社会、政治活動こそ、国民の主権行使の内実を構成するものであるからだ。>

 

さらに<安倍氏の人事権、公認権による報復を恐れ「物言えば唇寒し」的言論自粛中である。>と自民党内部の問題も取り上げています。

 

以上の議論は、これまで何度も繰り返されてきたことで、国民が主権者としてこの問題をどう判断するかは争点が割合、わかりやすいかもしれません。しかし、鍛え直す国民主権という視点からは、このような議論が取り交わされるような機会が国民にあるかというとお寒い状態かもしれません。その意味では、国民主権が実効的に発揮できるような場の提供、選挙制度を含めさまざまな民主制の制度見直しも必要ではないかと思うのです。

 

次の<将来世代に残す二つの負の遺産>という問題を基本的人権の世代間差別として取り上げている切り口は、これまでもあったかと思いますが、国民主権と同列に取り上げる視点は目新しく感じました。しかし、これこそ、いまイギリス、アメリカ、フランスなど世界各国で起こっている財政金融政策が極端な経済的差別をもたらしていることと、少なからず通底するものがあるように思えるのは私だけでしょうか。もちろん西欧諸国で起こっている移民・宗教に関係する差別と同視するのは間違いです。しかし、アメリカで起こっている一面はまさに金融財政政策の差別的取扱が貧困層の家庭はさらに困窮するという経済的差別の継承となる状況ですし、それはわが国も類似している面があるように感じています。

 

<平和主義については武器輸出三原則の緩和(14年4月)、新安保法制の制定(16年3月施行)、沖縄・辺野古新基地の建設(4月25日埋め立て開始)という現政権の一連の仕事の中に非戦を核とする憲法精神との背理を見て取れる。>という問題は、十分な議論を経ないまま、北朝鮮の脅威を強調してなし崩し的に、それ以外の選択がないかのように、実態を変貌させていると思うのです。

 

私たちは、平和主義というものを改めてどのように現実的にとらえ、北朝鮮や中国、ロシア、あるいは中東・アフリカ問題などと向き合いながら、どのような具体的な方策をとるべきか、歯止めはどのようにすべきかを考える時期に来ているのではないかと思うのです。

 

米艦初防護へ きょう出港 安保法、新任務 四国沖まで>も、現在の状況で、<安全保障関連法に基づき、平時から自衛隊が米軍の艦船などを守る「武器等防護(米艦防護)」について、稲田朋美防衛相が初めて自衛隊に実施を命令したことが政府関係者への取材で分かった。米軍の要請に基づき、1日から海上自衛隊の護衛艦が太平洋沖で米海軍の補給艦を防護するという。>ことがいえるのでしょうか。

 

このような視点とはまた異なる<記者の目憲法70年 今日の生存権=野沢和弘(論説室)>は基本的人権の奥深さ、これこそ私たち一人一人が人権のもつ意味を主権者として主体的に考え、行動する一つのあり方ではないかと思った次第です。

 

私たちは、日々、その言動の中で、行為の選択の中で、国民主権者の一人として、試されているのではないかと思うのです。生存権という憲法研究会のメンバーの一人、森戸辰男氏が死守した規定は、現代日本において、より人間味のある権利として育てていかないといけないことを改めて感じました。と同時に、それはその他の基本的人権についてもいえますし、いや、憲法全体について、変化する環境に順応するように、運用を見直す必要があるでしょう。そしてどうしても規定の変更が必要であれば、改正をも検討することになるでしょう。

 

ただ、中曽根元首相が99歳の高齢にもかかわらず、明治憲法、日本国憲法の功績を評価しつつ、前者は薩長政府が、後者はGHQがつくったものとして、初めて国民の手で憲法を作る必要を訴えていましたが、何をもってGHQの押しつけとみるのでしょうか、私は賛同しかねます。

 

当時の帝国議会は地主層や経済人を中心とする衆議院と、非公選の貴族院のメンバーで構成されており、彼らが納得しないのは当然でしょう。彼らが国民の代表であったというのでしょうか。私には、日本国憲法の条文を見て感激した多くの国民の万歳を三唱する映像が真実に近いように思えるのです。

 

NHKの<アナザーストーリーズ「誕生!日本国憲法~焼け跡に秘められた3つのドラマ~」>は、民間の研究者7人で構成された憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」がGHQの草案作成チームによる草案の土台になったことを指摘しています。実際、GHQ草案よりも厳しい内容で、天皇制廃止、平和主義を謳い、9条の規定はないものの、それ以上に高い精神性をもっていたように思えるのです。

 

ところで、国民主権を鍛え直すという毎日記事ですが、若い世代は憲法改正派が増えているようですし、9条の改正を求める割合も多いようです。それは義務教育課程での教科書や教え方にも問題があったように思えるのです。現実とまったく異なる内容を一方的に教え込むことでは、国民主権の意識は育たないでしょうし、逆に、条文の規定と現実が齟齬している場合に、かえって逆効果となるおそれが高いと思うのです。

 

憲法施行70年 教育現場「中立性」に苦慮 国民投票、来年18歳以上に>は、いま教師それぞれが直面する課題ではないかと思うのです。自分で考える、それは中立性といった抽象論でなく、主体的に求められる優先度の高い教育のあり方ではないかと思うのです。

 

国民主権のあり方は、これまで鍛えられてこなかったのではないかと思っています。とりわけ若い世代、義務教育課程では、もっとも自分の判断で考えるべき時代にありながら、考えさせない教育をしてきたわれわれの世代の問題があるでしょう。現場の教師は、これからが正念場ではないかと思うのです。

 

憲法は、実態と条文の文言とが大きく違っている場合もあります。それをいかに憲法の精神を読み解き、現実と憲法の齟齬を整合あるものにしていくか、それは国民主権の担い手それぞれが課せられている問題だと思うのです。

 

具体的な問題はいずれまた取り上げてみたいと思います。今日はこれでおしまいです。


学芸員を考える <山本地方創生担当相 「がんは学芸員」発言を撤回>を読んで

2017-04-17 | 日本文化 観光 施設 ガイド

170417 学芸員を考える <山本地方創生担当相「がんは学芸員」発言を撤回>を読んで

 

今朝は異様な空模様です。雲の動きが活発で見事な墨絵の世界を描いたかと思いきや荒れ狂う荒らしのようにも見えてきます。それでも一筆啓上・・・のホオジロが高らかに歌っています。そうかと思えば色鮮やかなジョウビタキのつがいがうれしそうに飛び交っています。ラジオから流れる天気予報は雷雨、豪雨のおそれということで、つい雨戸を閉めることにしました。私はあまり雨戸を閉めるのが好きではなく、雨が降る様子を眺めるのが好きです。歌川広重の東海道五十三次・庄野宿・白雨のような風景を眺めるのが好きです。が、留守の時は何が起こるか分からないので、台風並みの豪雨であれば雨戸もやむなしでしょうか。

 

昨日たしか、わが家の擁壁降りをチャレンジする話しをしたと思います。ロープを持ってきて、擁壁を見たのですが、どうもぶり縄用のロープが身近すぎるようで、継ぎ足してはみたものの、途中で引っかかっては大変と思い、断念しました。というか、庭いじりで疲労困憊していたため、それだけの体力も残っていないことが主たる理由かもしれません。いや、別理由でしょうか。

 

ロバート・ダウニー・Jrが演じる新しいスタイルの映画シャーロック・ホームズで、相手の攻撃に対しどう対応するかをシミュレーションするのを、この擁壁降りもロープを使ってシミュレーションしてみましたが、どうも降りるのはなんとかいけそうなんですが、登るときがイメージできません。これは大変。登るときのロープの動きが見えてこないのです。これは少し時間がかかりそうです。そんないろいろの理由を繰り出して、一時断念を自分で弁解しています。

 

さて今日は内容証明一本といくつか仕事をさばいて、少し余裕があったので床屋にも行き、来客を待つ間に、少しブログ書きを始めています。そろそろ今日の本題に入ろうかと思います。

 

驚きましたね。昨日私が学芸員の方々たちの活躍をたまたま取り上げたら、その学芸員をガン呼ばわりして、一掃する必要があるとまでのたまう大臣が出てきました。すぐ撤回したそうですが、なんとも恥ずかしい話しです。

 

とはいえ、私も学芸員の方とはさほど話した経験があるわけではなく、仕事ではたぶんなかったように思います。趣味の世界では時折話しを伺う程度ですので、私もその実態を知っているわけではありません。

 

さて、毎日16日記事<インバウンド山本地方創生相「学芸員はがん。一掃を」>では、<山本幸三地方創生担当相(衆院福岡10区)は16日、大津市での講演後、観光やインバウンド(訪日外国人)による地方創生に関する質疑で、「一番のがんは文化学芸員だ。観光マインドが全く無く、一掃しないとだめだ」と述べた。>と報じられています。そして<【動画で見る】山本地方創生相の発言>では、京都・二条城での対応を取り上げてやり玉にしています。

 

しかし、<現場の学芸員「事実誤認」「理解ない」>では、<山本氏は二条城について「文化財のルールで火も水も使えない。花が生けられない、お茶もできない」などと発言。>に対し、<管理する元離宮二条城事務所の久野育・総務課長は「基本的にかなりの事実誤認があると思う」と首をかしげる。

 昨年10月のイベントでは国宝・二の丸御殿の大広間や黒書院などで能や生け花が実演されており、久野課長は「そもそも担当相が二条城に来られたわけでもなく、さまざまな報告を読んで勝手に間違ったイメージを作っているのでは」と疑問を呈した。>とのことで、そのとおりでしょう。

 

インバウンドはたしかにその意識が必要でしょうが、それは学芸員のみを問題にする話しではないでしょうし、そもそも学芸員の活動実態という事実をよく認識した上で、担当大臣として発言すべきでしょう。

 

そもそも山本大臣は、いま人気のNHK番組「ブラタモリ」を見たことがあるのでしょうか。この番組の面白さはタモリの博識と女性アナのとんちんかんな応答を絶妙に組み合わせている点もそうですが、やはり学芸員の演出力や知見によっている部分が大きいと思います。

 

また、昨日紹介しておりますが、文化財レスキューといった活動だけではありません。学芸員の方々のボランティア活動もさまざまな場面で見られます。私もいろいろな深みのある蘊蓄を吐露していただき参考にさせてもらうことが少なくありません。

 

そして毎日記事でも指摘されていますが、学芸員は博物館法で登録博物館では必須の職員とされています。

 

同法4条の当該規定を援用します。

「3  博物館に、専門的職員として学芸員を置く。

 学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる。」

 

そして博物館法にいう「博物館」は狭義の博物館だけではなく、とっても広範囲なのです。美術館・天文台・科学館・動物園・水族館・植物園なども含まれます。

 

博物館法2条に「博物館」の定義規定があります。

 

「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、

その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(中略)のうち、

地方公共団体(中略)が設置するもので、・・・登録されたもの」とされています。

 

「歴史、芸術、民族、産業、自然科学等」が対象ですから、とても広いのです。しかも「教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し」ですから、パブリックユースを本来目的にしています。しかも「レクリエーション等に資する」ことも重要な目的となっているのですから、本来、インバウンドと相容れないような利用方法になるはずがありません。

 

むろん、中には「調査研究」を追求してそれに固執する学芸員もいるかもしれません。しかし、それも時代の要請により、重点の置き方が変わる程度の話しであり、あるいは、いままで重視されていなかった演出の仕方もこれからう「創出」されるかもしれません。

 

繰り返しますが、動物園や水族館、植物園も博物館なのです。そこに所属する職員が学芸員というわけではありませんが、学芸員の深い教養と専門的知見が最近はやりの見事なエンターテインメントの舞台形成にも役立っているはずです。私も子どもが幼い頃、よく通ったところですが、大人も子どもも楽しめるようにさまざまな演出・工夫がされてきたように思います。上野動物園、旭山動物園、品川水族館、沖縄美ら海水族館などなど、あげればきりがありません。

 

それぞれの博物館も、年々歳々同じようなことを繰り返してきたのではなく、脱皮の繰り返しであり、破綻状態から学芸員を含む多数のスタッフによる創意工夫で誰にも好かれるような博物館に這い上がってきたところも少なくないのは、TVなどで紹介されています。

 

最後に、これは学芸員プロパーではないですが、たまたま昨夜見た<NHKスペシャル 熊本城再建“サムライの英知”を未来へ>を見ての感想を付け加えたいと思います。

 

熊本地震で崩壊寸前になった熊本城の石垣の映像は、何度見ても驚嘆に値します。一列の石垣だけで上の城郭を支えている姿にはほれぼれします。そしてこの番組では、その石垣の叡智に迫ります。それは歴史家、地盤工学、城郭研究など各界の専門家が集まり、石垣の全体形状、石垣一つ一つまで分析しつつ、謎の秘密を追求するのです。

 

そもそも反り返った石垣の形状については、兵士が上れないようにという軍事目的であったというのが一般的な理解だったと思います。しかし、この調査の結果、耐震性のための科学的知見に基づいた合理的なものであったことが推認されました。現代でも難しい数式でその石垣の形状が構成されていたのです。三角形の高さを上に上がるほど低くしていくことにより、耐震性が強化されるというのです。

 

さてこれを考えたのが築城の名手といわれる加藤清正とのこと。「サムライの英知」だとして番組はその経緯をも探ります。築城が1599年。清正は、朝鮮出兵のとき、1593年に韓国ウレサン市にあるソセンボ倭城を築城していますが、その石垣の形状は直線的なもので、耐震性の点では従来通りのものとして劣ります。番組ではこの間の6年になにがあったかを探り、1596年に起こった慶長伏見地震を取り上げ、そのとき伏見城が全壊したことから、清正が反り返り構造を発見したというのです。

 

さてさてここは私自身、まだ合点がいきません。そもそもなぜ清正なのか。彼は賤ヶ岳の七本槍の一人で、腕に自信があったことは確かでしょうが、では築城の技術はどこで得たものでしょうか。そこはいまのところ私自身理解できていません。いや、私自身は、ほんとうの発明者は石積み技術をもつ専門家ではないかと思っています。いわば企業内研究者のようなもので、実際は研究者、あるいは研究チームが発見したが、企業が特許権を持つといったようなものではないかと思うのです。そして当時は企業に代わって、武家集団のトップであり、大名となった清正が築城の名手という特許権を獲得したのではないかと愚考しています。

 

では、その技術者ないしはその集団はどんな人たちかです。私は、紀元前から長い築城経験をもつ朝鮮の技術者集団が日本の技術者集団と協力して、台湾企業とシャープのように、創造的発展をして、新たな築城技術を生み出したのではないかと想像しています。いまは何の根拠もありませんが、当時、朝鮮から大勢の技術者が強制的にわが国連れてこられ、九州各地で新たな文化を生み出していますが、築城においても似たようなことがあったのではと推測するのです。

 

学芸員の話から脱線しましたが、途中、来客対応をしたこともあり、2時間を優にオーバーしました。まとまりがないのはいつもの通りですが、なにか忘れ物をしたように思いつつ、それなりに満足して今日は終わりにします。


契約ルールの基礎 <民法改正案 契約ルール大幅見直し 今国会成立へ>を読んで

2017-04-13 | 日本文化 観光 施設 ガイド

170413 契約ルールの基礎 <民法改正案契約ルール大幅見直し 今国会成立へ>を読んで

 

昨夜は満月の光を受けて寝床もなんとも明るく、蛍の光といった感じで読書も出来たかもしれません。でもバタン休?でねむってしまいました。今朝は生ゴミコンポストの中に、落ち葉をたくさん入れ込んだり、剪定した枝条を少し小さめにして突っ込んだり、コンポストづくりに励みました。

 

春もおぼろでしょうか、いや訂正。月もおぼろでした。お嬢吉三の名台詞、「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空」に続いて、おとせという夜鷹から、百両の金を奪ったことから、「こいつぁ春から縁起がいいわえ」という立て板に水の調子はなんど聞いてもいい気分にしてくれます。が、話の内容はなんとも身勝手などうしようもないもの。

 

それでも歌舞伎の演目でも人気の一場面なのはなぜでしょう。歌舞伎座で観劇すると特に印象に残る舞台になる不思議・・・作者・河竹黙阿弥が生きた江戸末期から明治中期ころまで、世相は複雑・混沌としていたのでしょう。その時代背景にこのような芝居、その台詞が受けたのでしょうか。

 

現行民法が成立したのが明治29年、河竹黙阿弥が明治26年に死亡ですから、明治23年成立の旧民法の時代に晩年を送っていたことになりますね。明治政府は長い論争を経て、一旦、フランス法典を模範とする旧民法ができたものの、ドイツ民法典に依拠する現行民法に取って変わってしまいました。その内容の是非はともかく、長い歴史をたどった現行民法も、ようやく今回大改正の運びとなりました。

 

なんとなくお嬢吉三を登場させたのは、西欧式の文明開化を急いだ明治政府ですが、それまでの取引や社会の秩序はどうだったのでしょう。明治に入っても、それ以前の江戸期、さらに遡れば律令制度以来、ほとんど取引に係わる法令といった具体的なものがなかったのではないかと思っています。では未開の社会だったのか、そうではないでしょう。英米法もまた法典がないけども、慣習法というコモンローが秩序を維持する役割を果たしていました。チェールズ・ディケンズの小説などでは、弁護士が登場し、裁判も取り上げら得ていますが、コモンローという基準で裁判が行われ、それが判例法となって取引秩序を維持していてきたのでしょう。

 

とはいえ、当時の弁護士はというと、平気で嘘をいう、虚偽の証言をさせるといったことが平気で行われていたかのように、ディケンズは表現していますが、実のところはよく分かりません。

 

他方、わが国はというと、むろん日本書紀の中で、厩戸皇子による17条憲法には百姓による訴訟が増えていること、役人は朝早くに出て仕事に励まないと訴訟案件が溜まってしまうと警告しています。長い民事紛争と裁判の歴史があるわけです。源頼朝も紛争解決機能を期待され、武士の棟梁に祭り上げられたとも言われています。

 

江戸時代に入ると、訴訟手続きが次第に整備し、時代劇などでも取り上げられるようになりましたが、裁判の審理のために訴訟する当事者が宿泊する公事宿ができ、その手続きを代理するような代言人という、弁護士の元になったとも言われる職業も出現するようになったわけですね。

 

江戸時代の訴訟は限られていましたが、それでも相当数があったようです。すでに裁判例をあつかった書籍もかなり出版されています。といっても取引社会自体がそれほど発達していなかったこともあり、取引秩序をめぐる裁判はほとんどなかったのではないかと思うのです。

 

紛争がなかったわけではないと思いますが、取引当事者双方が信頼と誠実さを基本においていたのではないか、そのため大きな紛争にはなりにくい状況であったように思うのです。商売人というか、商いというのは信頼が一番というのが近江商人、上方証人、富山の薬売りなど、いずれもそういった観念が支配していたのではないかと思うのです。

 

と長々と前置きを書いてしまいましたが、そろそろ飽きる頃でしょうから、本題の民法大改正(民法の一部を改正する法律案要綱)に話題を転じたいと思います。

 

この改正案は、日弁連も意見書でおおむね賛同しており、私自身ほとんど勉強していませんが、同じような意見です。

 

意思能力や、消滅時効、保証人、約款、敷金などの規定は明示することでより合理的になったと思いますし、その他詐害行為取消権や債権者代位権、根抵当権など、法律要件の整備をしてわかりやすくなっていると評価されています。

 

とはいえ、日弁連意見書でも指摘されているように、取引社会における個人保証に依存する信用供与側のスタンスが依然変わっていない状況は、合理的な取引のあり方、事業に対する収益性をいかに見込むかと言った本来あるべき取引秩序への舵をきったとは到底いえないでしょう。保証人の意思を公証人によって厳格に確認することになった改正案は、それ自体は望ましい改正です。しかし、信用供与のあり方、金融機関などの審査機能のあり方や、新規事業に対する見通しをしっかり読み込み、融資するといった本来企業として望まれる能力が、保証人や担保不動産の価値だけに頼ることで、ますます劣化するおそれがあります。

 

渋沢栄一が株式会社制度を、そして銀行制度を作っていったのは、資産のある個人保証に頼るような事業では将来性がないことを暗に示唆していたのではないでしょうか。

 

今日はたまに早く終わらそうかと思っていますので、ほぼ一時間経過したことから、中途半端ですが、この辺で終わりとします。関心のある方は日弁連意見書をご覧下さい。

 

 

 

 


日本人の心と拠り所 ある政教分離原則違反訴訟を顧みて

2017-01-05 | 日本文化 観光 施設 ガイド

170105 日本人の心と拠り所 ある政教分離原則違反訴訟を顧みて

 

結局、年末年始は予定通り1230日から14日までとなり、このブログも更新しないまま過ごしました。

 

なぜこのブログを毎日書き続けるか、これはいまなお分かりません。とりあえずリハビリ目的であることは確かです。ただ人の言動は当てにならないですね。多様な意図・意識の中で行われるのが自然で、無理矢理こうだと決めつけるとその正体が逃げていくかもしれません。ただ、この休み中、また再開するかを少し考えているとき、なぜ書くのか、なにを書くのか、など少々頭の中をいろんな考えが徘徊していました。その中で、一つ、二つ、これもあるのかななどと取って付けた感覚でふわりと浮かびました。

 

一つは、千日回峰行です。以前、このブログでも取り上げた酒井大阿闍梨や塩沼大阿闍梨などが成し遂げた難行です。私自身、道なき道を歩いたり登ったり降りたりは好きですが、これはまったく異次元の世界ですね。比較するのも失礼な話です。ただ、毎日書くと言うことも少々苦行です。その日の情報に特に興味をそそられるものがない場合もあります。それでもなんとか理屈を付け?三段論法どころか、超飛躍論法で、適当に書きつなぐのも、知恵の回らない愚人には難行と言えば難行です。そんなとき千日回峰行を続けているときの大阿闍梨の心持ちを考えれば、私の場合楽な話かなと勝手に忖度して、朝の一歩のように、キーボードをたたくと、知らぬ間に文字になってしまっていることもあります。大いなる救いかもしれません。

 

もう一つは、松岡正剛氏の「千夜千冊」です。彼のブログを知ったのはそれを成し遂げたずっと後です。その後も書き続けているので、大変な日々、量になっていますね。これまた比較外ですし、彼のあらゆるジャンルへの深い思索と情熱は到底太刀打ちできるものではありませんし、目標にもなりません。ただ、松岡氏も仏教思想への造詣からこの千夜は千日回峰行のそれと関係するのではと勝手な推測をめぐらし、未熟な人間でも千日何かを続ければ少しはましになるかもと思ったりしています。

 

ということはこのブログ更新は千回くらいは継続してやってみる必要があるのではとどんどんエスカレートしていき、休みが休みでなくなりそうな気分でした。休みは年末年始といえどもダメかもしれません。が、この休み、実は老老介護の助っ人で、認知症の親の面倒を年に一度はするという、私の身勝手な対応ですから、この程度は最低限続ける必要があるかなと思っています。そういうわけで、やはり連続千回は断念して、それ以外は継続してみようかと思っています。

 

といつものように前置きが長々と続き、ようやく本論に入ってみようかと思います。

 

見出しは、その松岡正剛氏が訴訟事件を演出したというか、きっかけとなったのです。平成73月、彼が愛媛県新宮村(現四国中央市新宮町)から業務委託を受けて、村の活性化第一次基本構想を立案しました。その後「これからの村づくりの一手法 新宮村の新しい物語つくり」と題して講演し、それを基に村が「日本人の心のふるさと新宮村観音郷・・」という冊子を作り、村の観光施設整備として観音郷と銘打ってその第一弾に観音像建立を行い、公金支出したのです。それが憲法の政教分離原則違反として住民(元村長)から住民訴訟を提起され、それが認容された事件です(松山地判平成13427日・判タ1058-290)。

 

この訴訟の争点は、①村が観音像を設置するために公金を支出したことが政教分離原則を定める憲法203項違反か否か、②請負金額が1500万円を超える随意契約につき、工事又は製造の請負額が130万円を超えないものは随意契約によることができるとする財務規則に違反するか否か(禁止された一括下請けやその下請け額が半分以下の680万円だったこと)などでしたが、①を違憲としたので、②については判断していません。

 

いまでは宗教的活動を国や地方自治体などが行えば、憲法に抵触することはだれでもが当然と考えるのに、なぜこのような事態が生じたか、これが不思議でした。村議会とはいえ、議会でも審議されているのに、なにゆえ誰もが容認したのか、そこに日本人のいわゆる宗教観、心というものが背景にあるように感じるのです。

 

たしかに最高裁も繰り返し禁止される宗教的活動について、宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すのではない・・・としたうえ、「ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない」(最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決ほか)と一定の基準を提示しています。とはいえ、簡潔明瞭といえるかといえば、日本人の心に抱く宗教心というか、思想的な意識に鑑みると、この基準で間違いなく判断できるかは微妙かもしれません。

 

判決によると、公金支出は、三次にわたって行われ、三次になって違憲問題が議会で指摘され、次の行政解釈を基に、当該観音像はあくまで観光観音であり、違憲ではないとして支出したのです。

 

 「昭和三二年一二月二三日自丁行発第二二五号   長野県総務部長宛 行政課長回答

  観音像建立について、これが憲法第二○条三項、第八九条および、旧地方自治法第二三○条の規定に違反するかどうかと言う問い合わせに対し

 『回答』観光施設として、観音像を建立し宗教行事が伴わない限り抵触しないものと解すると言う行政解釈がある。」稲荷社の建立に関する行政解釈が同様の趣旨で一件指摘されています。

 

たしかに観光観音像ともいうべき像は、全国各地にありますね。その観音像に宗教性や信仰性を感じる日本人はあまりいないと思うのです。しかし、そう単純に考えてよいか、松山地裁は、日本人と観音思想の源流、歴史をるる指摘しています。そして観音信仰について、村が松岡氏の講演内容を基礎に作った冊子を引用して次のように述べています。

 

「 まず「観音」とは、何かというところから説明しますと、普通我々が“観音さま”とか“観音菩薩”と呼んでいる信仰対象の名は“観世音菩薩”が正式名称なのです。「観世音」という漢字を読み下せば「世の音を観る」となります。「音なら聞くのであって観るのはおかしい」と疑問に思うかも知れません。人間は音や声を耳で、ただ聞くことを「聞く」と言うのですが、人間の言葉を耳ではなく、心でじっと観察し、受けとめることを「音を観る」と言う訳です。

  正しく、清らかで、おおらかな知恵に満ち、憐れみ深く、美しい目の持ち主が観音さまということで、われわれ人間の理想像をさしているのです。そして天地大宇宙は、はじめなき過去から終わりなき未来へかけ、われわれ人間を含めて運行していますが、その宇宙全体を流れている永遠のいのち、すべてのものの中にある生命を包みこんだ大いなるいのち、それが観音さまなのです。

  観音さまは、日本人にたいへん好かれてきました。といいますのも、観音さまは、人々のあらゆる苦しみを取り除き、願いをかなえてくれる強大パワーをもっていることになっているからです。

  さらに、観音菩薩は救いを求める世の中の無数の人々の願いに応じて千変万化するといわれています。日本に現存する信仰対象としての仏・菩薩像は、無数といっても過言ではないほど数多くありますが、その中でも古くから日本人の間で、もっとも広く普及していたものは、地蔵菩薩と観音菩薩であります。この両菩薩は、日本全体のどんな辺都な田舎に行っても、必ずといってもよい程、何体もまつられ、一般大衆の間に根強い人気を持っているし、現在でも数多くの新しい像が造られて、幅広い層の信仰対象となっています。

  特に、観音信仰は、仏教伝来とともに、長い歴史をもっており、三三ケ所観音霊場めぐりを通じて民衆化されてからでも、五○○年以上にもなっています。そのうち、庶民信仰としての観音信仰が最も盛んであったのは、江戸時代とくに江戸中期でありました。観音霊場についてみても、従来からの西国、坂東・秩父の三三ケ所霊場のほかに各地に三三ケ所札所が形成され、その数は七○ケ所におよんでいます。

  さらに、身近なところでは、四国八十八ケ所霊場がありますが、この四国霊場の多くが、その実、観音霊場であることの意味合をもっています。」

 

さすがは松岡氏、明快なコンセプトの立論です。このような視点で、観音像を中心に観音浄土の世界として新たなコンセプトによる村づくりを行おうとしたのでしょう。それも日本人の心のふるさとという視点でしょうか。

 

しかし、観音像がほんとうに心のふるさとになり得るのでしょうか。観音像を中心とする施設づくりで、はたして観音浄土の世界を生み出せるのでしょうか。それは心の問題として違う形で実現されてしかるべきではないでしょうか。

 

その点、松山地裁が指摘するのはある意味法律解釈に過ぎませんが、新宮村にとっては観音信仰は村の歴史故事と関係するわけでなく、取って付けたような観光観音であって、それでも仏像であることに違いがなく、宗教的活動と指摘されてもやむを得ないと思います。判決についての考えはこの程度終わりにします。

 

私は以前からこの新宮町馬立(うまたて)にある観音像や周辺施設を見たいと思いながら、ようやく年末、母親を連れて行くことができました。施設は「霧の森」園という名称で、馬立川という銅山川(別子銅山を流れ、吉野川に流入する支流)の支流の谷間に位置する馬立という狭隘な斜面地でした。その流れは、エメラルドグリーンのごとく澄み切っていて、川底の砂利や小石がとても美しいのです。「観音橋」という赤塗りの大きな橋は谷間を渡し、眼下に清流を見渡せます。

 

周囲は木々に囲まれ、ほんのわずかな一画に施設がようやく立地できるほどでした。施設は、断崖のような位置から見下ろせるレストラン、その横に菓子工房と茶店、レストランの前には各種情報を提供する施設、その裏側には野外広場、隣に温泉館、ちょっと離れた位置にコテージも。で、肝心の観音像は、園内のマップには掲載されておらず、野外広場にある階段席の上、少し離れ山裾にひっそりと立地していました。しかも頭上には高速道路の橋桁が大きく被さっていて、日陰者のようなイメージでした。

 

母親が認知症のため見張り番に子どもを付けて、わずかの間に、周辺を見て回り、この観音像も対面し、そしてその横にしっかりと建てられた顕彰碑も胸に刻んできました。この観音像建立に公益の高い意思を抱いた気持ちが念じられていることが伝わります。

 

たしかに霧の森園の施設は、美しい清流と奥山に近い木々の佇まいを自然景観としつつ、それぞれきれいにできていました。とはいえ、ある意味、どこにでもある施設といえなくもないと感じるのは私だけではないように思います。それは贅沢かもしれません。しかし、松岡氏がこのような施設が各地で乱立している状況で、なにか足りないものを感じ取ったとしても不思議ではない気がします。この村、町ならではのコンセプトが欠けているのではないかと。そのような発想自体は賛成します。しかし、松岡氏がほんとうに現地で建立し残された観音像やその後に作られるさまざまな施設により観音郷が生まれ、日本人の心のふるさととして、人々から親しまれるところになると考えていたのか、気になりました。

 

というのは、判決が下された平成134月に遡る約1年前、まだ審理が行われていた平成122月に「千夜千冊」の執筆を開始しています。その大行事は、まさに心の苦行ともいうべき難行ではなかったかと思うのですが、彼は自分が構想した観音像を中心とする観音郷という人工的な形あるものでは人の共感を呼ぶことができないことを自身としては十分に理解していたか、この事件を通じて痛感したのかもしれないと愚考する次第です。

 

とはいえ、日本人の心を形作る大きな要因の一つは観音信仰である可能性を見開いてくれたと感じるのは私一人ではないように思うのです。彼の空海論も特筆すべき内容ですが、いつか触れたいと思います。