180121 シェアと所有の未来 <時代の風 シェア経済の拡大 新時代に合う柔軟さを>を読みながら
社会には様々な需要が次々と起こり、それに応じて供給サイトも多様な仕組み・サービス・物資を提供する、そういうことで次第に世の中は変わっていくのでしょうね。行く川の流れも実は同じ水は一つとしてないのでしょうが、同じに見えるのも不思議なものです。私たちの日々もたいして変わっていないようで、大きな変化を秒単位、あるいはその何千分、何万分の1秒で、なにかが変わっているのかもしれません。
その仕組みもそれに応じてわずかずつかもしれませんが、変わっていて、それでいてあまり変化がないように見えるのかもしれません。マスコミではニュースを取りあげたり、強調する必要があるのでしょうけど、さほど大きな違いがないのかもしれません。
そんな事をふと思いながら般若心経に思い至るのです。
今朝の毎日記事<<時代の風シェア経済の拡大 新時代に合う柔軟さを=元総務相・増田寛也>を読みながら、そんなことをつい考えてしまいました。増田氏の趣旨とは違うのですが、私にはそう感じてしまいます。
ところで世の中の変化に合わせて新語もどんどん生まれますね。「シェア経済」ですか、わかったようなわからないような用語です。
記事では<シェアリングエコノミー(シェア経済)が急速に市場を拡大している。シェア経済とは個人が持っている資産や、時間、スキル(技術)などを個人間で貸し借りする経済活動だ。>
この説明だと、これまでの社会でも同様の仕組みというか利用はあったように思うのです。が、個々で取りあげているのは次のようなケースのようです。
<空き部屋を旅行者に貸し出す民泊サービス仲介大手のエアビーアンドビー、空き時間に自家用車を使って利用者を希望する場所まで送り届ける配車サービスのウーバーなどが代表的である。>
いずれも所有を前提に、利用の新たな形態であることは確かですね。そもそも所有観念が近代的所有権といった観念で独占的支配権、排他的権利みたいな特殊なものを生み出したところに、問題が発生する要素があったのかもしれません。
ともかく「シェ経済」の拡大はとどまるところがない状態みたいですね。その背景にネット・スマホの普及が支えているようです。
<シェア経済が可能となった背景には簡単にインターネットに接続できるスマートフォンの普及がある。貸主は遊休資産などの活用により収入を確保し、借り主は所有することなく利用ができるというメリットがある。ネットを利用することでグローバルにサービスを提供することが容易であるため、豊富な資金を持たないベンチャー企業が参加しやすいとも言われている。>
従来のホテル、レンタカーとの違いについて、次のように指摘しています。
旧来の貸すサービスは、企業によるサービス提供で、<質は、各種法規制と企業(ホテルなど)への信頼で確保されている。>これに対し、<シェア経済は、個人と個人との間のシェアで企業は仲介的存在となり、所有権の移動もない。一方で、個人同士の場合、誰が泊まるのか、どんな部屋なのかといった不安がある。しかし、実名で取引をし、利用者がお互いをレビュー(評価)して、その結果を共有する仕組みがあることで信頼感を高めている。これはスマートフォンの普及によって可能となった実に合理的な仕組みである。>と。
このような比較論からの考察は、わかりやすいといえます。ただ、増田氏が従前<「物を所有する」ことがステータスだった>とか、・・マイカーやマイホームが一つの目標だった>として、これに対して、若い世代は所有に淡泊で、<「いつまでも所有し続ける」時代から「必要な時だけ利用する」時代への変化の象徴が民泊やライドシェアの隆盛であろう。>という説明まですると、ちょっとはてなと感じてしまいます。
たしかにライドシェアは若者意識の変化として理解できますが、マイホームの話しと民泊の議論はつながらないでしょう。ま、そんな細かい議論をするのが本題の趣旨ではないので、この程度にします。
この後民泊の魅力に言及している点は、ごもっともで、これまでのホテル泊はもちろん、民宿といわれた形態でも提供できなかった新たな旅の醍醐味を味わうことができる、魅力でしょう。そういえばすでにヨーロッパではグリーンツーリズムという形態で、90年代くらいから普及している方法が先駆けかもしれません。
EUの環境政策にも適合する形で、補助支援があったと学んだ記憶がありますが、もう四半世紀も前の話ですので、その制度内容も曖昧です。
いまは民泊と地域創生?とのハーモニーとして民間だけで独自に展開しているようですが、環境政策として、また農業・林業・漁業など一次産業の新たな展開として、また地域の歴史的・民族的な復興として位置づけてもいいのではないかと思うのですが、そういった施策はまだあまり聞きません。おそらく各地で地道に長くやってきたところもあるのでしょう。それをネット・スマホを通じて、全国展開というより、世界中に情報提供することができるとさらに意義ある物になるように思えるのですが。
観光という概念が、従来の名所旧跡を訪ねることから、心を癒やしたり、個人的な精神の豊かさを味わうことになりつつあるように思うのです。伊勢参りや富士講といった型どおりにはまらないのが人間の本性でしょう。西欧文明から輸入した「観光」も西欧で作られた「国立公園」「世界遺産」といった場所が持つ貴重な価値にのみ着目するのではない、日本特有の、あらたな観光概念が求められているのでしょう。
ちょっと民泊に肩入れしすぎて、本来のシェア経済と所有の問題から外れてしまいました。
増田氏はこの関連で新たな用語「コト消費」を使って興味深い指摘をしています。
<「モノ消費」から「コト消費」への動きである。世の中にモノがあふれて差別化が難しくなり、異次元の体験など、新しくコトを提案することが利用者の心をつかむようになった。民泊も安く泊まる手段とだけ考えるのではなく、異次元の体験と組み合わせたメニューを提案することで、魅力は格段に向上するだろう。>
「コト」の提案とか消費といっても、あまりぴんときませんね。それを次のような例で明らかにしています。
<国内では、農村部での収穫体験や収穫した野菜、果実を使った郷土料理と組み合わせたり、都市部では近所の特色あるお店を紹介したり、商店街全体で迎えいれたりすれば、利用者に地域の新たな魅力が伝わる。観光庁の調査によれば、昨年の訪日客は2800万人を上回り、今年は3000万人を超えるという。地方には異次元体験メニューの素材が豊富にある。地方創生の有力な武器となろう。>
異次元体験メニュー、それがコト消費なんでしょうか。物を消費する時代は終わった、物語とか、日本人がこれまで培ってきたよくいう「おもてなし」を多様な現場で体験してもらうことを指しているのでしょうか。それにしても、内容はなぜか、物が主題になっているようにも見えますね。日本人はやはり物が好きなのでしょう。
だいたい海外でお土産物といっても、だいたい定型化していますね。先住民が作ったと思われる物でも、欧米人が作っているというものも少なくないです。それに比べ、わが国は江戸時代の各藩がお国自慢、富国強兵を地産地消ではかったように、どこにいってもその土地自慢の物があります。そういった地域の魅力については、われわれ日本人でも知らないことがほとんどではないでしょうか。
またまた脱線していていきました。私のテーマは所有とシェア経済です。もし増田氏が指摘するように、本当に所有の意識が薄らぎ、シェアの意識に多くが変わっていけば、経済構造も、社会も大きく変わると思います。
土地建物の所有意識は、わが国ではとりわけ大きいと思います。かりに自宅を所有するとか、そのために長期のローンを支払う負担に悩まされるとか、そういうことがあまり重視されなくなれば、紛争がかなり少なくなるように思うのは軽率な理解でしょうか。
ライドシェアのように、いわゆる動産についてのシェアはどんどん普及するでしょう。さらに短期な住居のシェアも増えていくと思われます。しかし、自宅を所有しない、田畑や山林を所有しないという方向性は、今のところ、厚い壁に阻まれているように思うのです。
そもそも所有権の構造や意識は、時代によって変わってきたと思います。いま求められているのは現代的な所有権構成ではないかと思うのです。不動産について所有権の溶解というか、シェア的構成が生み出されると、とても興味深いと思うのですが、まだ一富士二鷹三茄子に近い話しですね。
一時間となりました。そろそろ本日はおしまい。また明日。