190227 災害・スポーツ・宗教 <楽しんで“世界一”山口茜選手>と<宗教者と大災害>を見たり読んだりして
辺野古移設をめぐる県民投票の結果は重いものがあります。沖縄県以外の国民は座していてよいのか、問いかけているようにも思えます。もう少し整理できた段階で取り上げたいと思っています。
話変わって、昨夜そろそろ寝ようかと思ったら、たまたまTV画像に信じがたいような動きをするバドミントン選手がいて、これはなんだと思いつい引き込まれてしまいました。
NHKの<グッと!スポーツ 「楽しんで“世界一” バドミントン 山口茜選手」>でした。私自身、相葉さんという歌手も知りませんでしたが、そこに登場した山口茜さんは初めてお見かけする印象です。
40年ほど前、テニスとバドミントンに少し凝り、後者は私には思ったよりハードすぎてすぐに辞めてしまった思い出があります。で、バドミントン選手と言えばすらっとして細身で身長が高い人が有利ではないかと勝手に考えていました。むろん桃田選手の例があるようにやはり瞬発力や強靱な筋力があれば世界一になれることは理解しつつも、最近の女性選手のほとんどがすらっとした感じでしたので、この選手が大丈夫かと一瞬思いました。
とんでもない誤解でした。その弓のようにしなる足の先から胴体、さらに手の先までほれぼれする姿勢を瞬時に作り、弓がはじけたように新幹線並みのスピードでシャトルを突き刺すのですから、これは凄いです。それだけではありません、相手選手から体を狙われたシャトルが自分の脇を過ぎ去り、その進む方向が見えない位置で、見事にラケットの面で鋭く打ち返すのです。彼女には目だけでなく、体全体に認知機能があるかのように動くのですね。
たしか身長は1m50台半ばだったと思います。代表選手でも一番小柄だというのです。当然、防御には不利ですね。ところが身長や手足の長さで足りない部分は、ジャンプ力でまるで回転レシーブのように遠くを狙われたシャトルに飛びつくのです。そして反射的に立ち上がり次の防御スタイルをとるのです。これは見ていて面白いですね。感動します。
で、興味深い場面がさらに用意されていました。山口選手のショットはそのスピードが凄いだけではないのです、相手選手が反応できないほど、コートのどこに飛んでくるか判断できない、まあ結局、棒立ち状態となっているのです。なんでかなですね。
さすがNHK、技術者に解析してもらい、映像を通じて(本人もあまり意識していなかった)一連の認識、選別動作を解明するのです。その内容は、山口選手が、まずスマッシュを打つ直前、相手選手のシャトルを目で追いかけながら、一瞬、相手選手の位置・動きに視線をやった後、再びシャトルに目を向ける選手でもできない離れ業をしていたのです。その上、シャトルを打つ瞬間(それは秒で測れない)、最低でも3つの選択を瞬時に行い、相手選手がその動きを読めない状態にしてしまうのです。スマッシュ、ドロップショット、スライスでしょうか。きっと他にもあるのでしょう。凄いですね。
とここまで冗長な前置きになりました。なぜ彼女を紹介したかというと、この世界ランキング1位になった技量ということではなく、まあそれもありますが、その彼女の郷土愛、人への心遣いです。彼女は福井県勝山市生まれと言うことで、地元にとても愛着を持ち大事にしています。性格はとてもシャイということで、おとなしい、引っ込み思案でありながら、仲間との協調を自然に醸し出すのです。そして地元や家族友人の支援に対して応えたいということについて、義務と権利ということばで彼女なりに心構えを述べるのです。
そういう支援に応えるという義務感で試合に臨むと楽しくない、応える権利という気持ちになれると楽しくできるというのです。21歳の若い彼女に教えられました。
人のために何かをやるといった義務感で望んでいると、心からすなおに取り組めないかもしれません。でも私はその人に応える権利があると思えば気持ちよく、楽しむことができるかもしれません。
災害を受けた地域や住民のところを訪れボランティアをする場合でも、山口選手の義務と権利という独特の使い方は別にして、心から楽しむ気持ちになって臨むことができれば、いいのかなと思ったりするのです。それはあの尾畑春夫さんの言動が如実に示しているように思えます。それは尾畑さん流の行動原理というか、心構えでしょうけど。
そういったことは古い時代より私たち先祖は経験してきたと思うのです。いつからかは分かりませんが、文献では道昭が早い段階で災害や飢餓、病気などへの対応を唐から持ち帰った高度な技術と仏教思想の元、行っていたのだと思うのです。そのたしか弟子になるかと思うのですが、行基もさらに発展、巨大な組織として各地で施業を行い、東大寺大仏建立まで手がけるようになったわけですね。それが庶民にとっての仏僧の本来の姿ではなかったでしょうか。
昨日の毎日記事<岐路の風景宗教者と大災害 「無常」の中にぬくもり、東日本大震災での実感 追悼とは愛情の継承>では、現在の葬式仏教という社会通念の中で生きる住職の苦闘といいましょうか、大災害を目前にして従来の僧侶の衣を脱ぎ捨て、心の僧侶を目指しているようにも思える姿を見せてくれています。
<多くの命を奪った大災害は、宗教者たちが自身と向き合う転機にもなった。【花澤茂人】>と、ある僧侶の心の変化を追っています。
<丁寧に広げた手紙を、浄土真宗本願寺派・真覚寺(神戸市中央区)の鍋島直樹住職(60)は大切そうに見つめた。龍谷大の教授でもあり、死への不安や死別の悲しみに対する仏教の救済観の研究を続けている。東日本大震災の被災地も繰り返し訪れ、遺族らと交流を続けてきた。手紙は津波で夫を亡くした宮城県気仙沼市の女性からのもの。「被災者の方たちから、宗教者に役割があることを教えてもらったのです」>
鍋島住職は、阪神大震災では被災したものの、僧侶としての役割を認識できず、ただ一般のボランティとして活動し、他方で、心のケアは僧侶の役割ではないとの見方を共有していたようです。それは東日本大震災でも当初は同じだったそうです。
<宮城県南三陸町の避難所に物資を届けた時のこと。大学名から僧侶と察した避難所長から「お勤めをしてほしい」と依頼された。寒さをしのぐためがれきを燃やしたいが、亡くなった人に関わるものかもしれず抵抗があるという。車にしのばせていた法衣をシャツの上からまとい、がれきを燃やすドラム缶の前に花を供えた。簡単なお勤めだったが、振り返ると多くの人が合掌していた。「やっと手を合わせられた」。そんな声も聞こえた。>
人の遺体だけでなく、ものにも魂とか命に関わることを感じる人が少なくないのでしょうか。
<冒頭の女性からの手紙には、鍋島さんとのやり取りで気づいたこととして「逃れられない悲しみは抱えて生きるしかない。でもその悲しみはいつの間にか夢や希望に変化すると感じています」と書かれていた。「悲しみは亡き人からもらった愛情の裏返し。いつか生きるための光となると教えてもらった」。「無常」の教えの中にあるぬくもりを感じた。>
大災害を契機に、僧侶の新しい役割が期待されるようになったようです。実際はもっと前からあったはずですが、それでもその動きは期待したいです。
< 苦悩のただ中で宗教者に求められる役割があると実感した人たちの間で、震災後に新たな動きが起こる。「臨床宗教師」の養成だ。布教や勧誘を目的とせず苦悩を抱えた人に寄り添う宗教者で、被災地だけでなく医療や教育などの場で活動することを期待されている。>
臨床宗教師とは、ちょっと堅いことばですね。でもそういう多面的な活動をしてもらえると大いに助かる人が増えると思います。
鍋島住職のことばはよりいいですね。<「亡くなった人や失った物を通して気づいた愛情を、自分のものとしてきちんと受け継ぐ。追悼とは、それを忘れずに次の世代へと伝えることです」。それが、宗教者の使命だと感じている。>そういう宗教者が増えてくると、世の中よりよくなると思うのです。
今日はこれにておしまい。また明日。
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