190224 歩く道(その11) <橋本市妻から紀ノ川岸辺、大和街道を歩く>
今朝、自宅の庭で花を植えていると、ウグイスの囀りが聞こえてきました。今年初めて聞きました。初めて登場したわけではないかもしれませんが、10時近くになって聞こえてきましたから、朝出かけた後やってきていたのかもしれません。fbではなんどかウグイス物語的なものを書いた記憶がありますが、手の具合が悪く足がなんとか動いたので足の運動のつもりで平坦な山道を毎日散策してウグイスはじめいろんな動植物の出会いを書いたことがありました。
さて今日は恒例の?歩く道、どこを歩こうかと昨晩から考えていたのですが、どうも浮かびません。今読んでいる有吉佐和子著『助左衛門四代記』の舞台、和歌山市の木ノ本まで行くのは少し億劫だと思ったりその他の案も少々遠いことを理由にして、なかなかいい案が浮かびませんでした。でも週に一回くらいは運動のため歩こうと思っていますので、手軽なところとして、当地の妻から、以前は東に向かって大和街道を歩いたので、今日は西に向かって歩くことにしました。
妻(つま)という地は、隅田八幡神社人物画像鏡が発見された場所として文献で指摘されていたり、万葉集でも歌われているため、気になる場所ですが、車で入りにくいためなかなか近寄りがたい印象があります。24号線から紀ノ川側に小さく広がる妻の南側をまず歩き出しました。住宅地の中を歩くとぎっしり家が詰まっていて、道路も縦横に走っているのですが、狭いのです。紀ノ川河畔よりを歩くと、空き家とおぼしき家がずっと並んでいました。とても多いなという印象です。
後でPCで橋本市の<認定道路>を調べると、24号線南に位置する妻部分の中に縦横に走る道路のうち、ほぼ東西と南北一本のみ、認定道路(2級かそれ以外)となっています。つまり他の道路とおぼしき道は私道なのでしょう。これだと建築確認も簡単にはとれないかもしれませんね。
住宅は紀ノ川の川岸までだいたい連担しています。その先はどこも竹藪状態です。一部開けたところから南海電鉄の鉄橋を見通すことができました。妻から東に向かってずっと自然の川岸というか竹藪状態の斜面地となっているようです。ときどきスマホについている地形図アプリの標高を見るとたしか90mくらいの高さでしたか。先週、小田井と藤崎井の用水路を歩きましたが、そのときYさんから小田井の川底が60mくらいと聞いた記憶です(これは最近の官僚答弁より怪しいかもしれません)。妻は小田井から結構上流ですから70mかもしれないですね。と思いながらアプリで調べると、小田井はほぼ60m、妻は80mがそれぞれの川底の標高のようです。これは驚きです。妻から小田井までは5kmからせいぜい7km内でしょうから、結構な勾配です。
そんなこととも知らずに、南海高野線をまたぐ小さな橋を渡り、妻の空き家風の家並みを抜けて、24号線を行こうとしたら、小さな川が流れていて川岸に小さな住宅地があったので、少しよっていこうとスロープを降りていきました。するとその小河川に手作りの小さな橋があり、丸木だったか2本渡して、歩きやすいように小さな板を縦に並べていて、途中で折れている部分を針金で補強していました。おっかなびっくりで揺れる橋を渡り、竹藪の中につくられた小道を行くと、誰かが伐採して結構なスペースが広がっていました。かなり以前に放置されたようで、誰かが利用しているようには見えませんでした。それでも平坦なところの面積は1反くらいはある感じでした。
その後、再び小さな住宅地をゆらゆらと歩いていると、行き止まりで引っ返そうとしたら、川岸のそばに結構なスペースがあり、そこへ歩いて行ける感じでしたのでちょっとした高さのスロープを上がると、そこは公園でした。ちょっとした遊具がおいてあり、桜木が結構な数植わっていました。でも何の表示もなく果たしてどのような意味合いの公園かしらと不思議な感じでした。でもそこから橋本橋を望むとなかなかいい景色でした。公園とは数mくらいの擁壁の上にマンションが建っていましたが、構造的にマンションの敷地とはいえない感じでした。
不思議だなと思いつつ、地図アプリで確認すると、マンションは橋本市再開発住宅となっています。するとあの公園も再開発で開発されたものかしらと思いつつ、地図上でも公園であることがはっきりしません。まあ、そんなことは別にして駅前の密集地帯を走る大和街道を歩こうと思ったら、ひょいと24号線沿いにある喫茶店敷地を支える擁壁が目に入りました。
ちょうど自然の岬の突端のような形状で、下部は石組みで、上部がレンガ造りとなっていました。面白いなと思いつつ、その下に降りていけるスロープがあり、ちょっと近くまで行ってみようと思ったのです。下まで降りると、ロータリークラブの看板があるものの、なにもない状態で、その突端では少し段差があるものの、岩盤がむき出しで飛び出している紀ノ川の水辺に降りれそうでしたので、沢登りでの経験がついでてしまい、ひょいひょいと降りていきました。今日はくっつき虫にやられないと思っていましたが、案の定、すぐにくっかれました。
岩場がしばらく続いていて、その先の当地にやってきたころから始まった護岸工事が終わったところが目に入りましたので、そこまで行くことにしました。階段状の護岸となっていて、散策路が2段に作られていました。あまりこの散策路や階段で休んだり歩いたりしている風景を見た記憶がありませんが、散策路にある壁が垂直で、ちょっと気になりますね。
北米でいろんな川辺や海辺にある散策路を歩くことを楽しんだ私としては、自然を身近に感じる、自然と触れ合う散策路としては残念ながらその基準を満たしているとはいえないでしょうね。おそらく国交省の河川管理の立場からはまずは洪水対策が一番で、破堤とか越堤とかそういう事態を回避することに注力しているため、水辺に親しむという視点はなかなか相反するので二次的になるのでしょう。
北米では海辺でもさっき私が通ったような岩場をそのまま維持して、結構危ないような感じの散策路が作られています。たしか横須賀の海岸(相模湾側)でも似たような散策路が作られていて、子どもを連れて歩いたことがありました。結構、自然を満喫できるものでした。
階段状の護岸を登っていくと、24号線に沿って新しく立ち並ぶ建物の中に大きなスペースがあり、まるでちょっとした休憩所のようにベンチが置かれています。そこは動線的には駅前からの道路が24号線を渡ったところにあり、その先に紀ノ川の流れや南岸に広がる山並みが一望できるビューポイントとなっています。そういう配置は悪くないかと思うのです。
ただ、なにか垢抜けない印象をもつのは欲張りでしょうかね。地域の特徴というか、市民目線があまり感じられない作りに思えるのです。そこに看板があり、「紀の川の自然とふれあう散策マップ」との表示で、応其上人によって開発されたまちであることと、橋本市の目玉を紹介していました。あの前畑さんが紀の川で小さいころ飛びこみ練習したという岩場も紹介されていました。なんとさっき私が通ってきた少し高さのある岩盤でした。いまは水深がないので、とても飛び込むことができませんが、水深があってもあの高さだと飛び込みというよりただ泳ぐための拠点くらいの意味しかなかったかもしれません。全国にまだ川がしっかり生きている(ダムがない)川には高い岩場が残り、水深の深いところは少なからずあり、NHKなどで放映された、たとえば郡上八幡(長良川上流)では子どもたちの威勢のいい飛び込み場なっています。
帰って「紀の川の自然とふれあう散策マップ」と橋本市で調べたのですが、どうも適当な情報が見当たりません。見つかったのが唯一<橋本地区かわまちづくり>でした。奇妙なネーミングなので、調べてみると、国交省の「かわまちづくり事業」として全国で展開していることがわかりました。それで画一的なものである印象をすぐに感じたのでしょうか。市民意見の反映は簡単ではないと思うのですが、あまりに画一的すぎないか、せっかくの予算執行ですので、残念な気がします。遅かりし由良之助でしょうか。
24号線沿いの橋本市の市街地再開発事業は長期間にわたって行われてきたようですが、最近、計画が縮小したそうです。財政難ですから、やむを得ない判断かもしれませんね。
さきほどのかわまちづくり事業は、再開発事業と護岸事業との総合的な計画事業のようです。詳細は見ていないのでどう総合したのかは分かりませんが。
橋本駅前はとても密集していて、大和街道がその中を突き抜けています。今日はさきほどの広場から大和街道に入り、道幅2m程度の道を西に向かって歩き、相賀神社まで行って、少し高台に出て再び下っていきました。
興味深いのはほぼ標高90m前後の位置を通っていて、おそらく橋本市内ではそれほど大きな高低差がなく、西に向かって少し下がっていくものの、結構な標高の位置に道路が作られていたことがわかります。それはなぜかといえば、紀ノ川が氾濫するとき現在の堤防内の平坦なところはほぼ水没する氾濫源であったからでしょう。
大和街道が成立した位置こそ、氾濫源を避けた安全な場所として、紀ノ川の歴史に学んだ先人が作り上げたのでしょう。
その大和街道ですが、道沿いの住宅は歴史のある建物もわずかに残っていますが、手入れが大変なようで、今後維持されるのか心配されるような状態です。道幅が2m程度しかないので、現在の交通事情からすると、生活・商売に便利とは言えないでしょうね。その意味で、駅前再開発事業を計画されたことは、出発点として理解できるところでしょう。
少しその計画を見ますと、<中心市街地第一地区(第2期)都市再生整備計画>で、一応、進行状態が分かります。実際、今日もその再開発でつくられた家並みを見ましたが、火伏医院など、文化財指定のある建物は見事に残されています。通りも測りませんが幅員6mくらいあり、歩道もあって、ゆったりとした感じです。そういう再開発事業で大和街道の古い家並みが復活というか新たな息吹を与えられるという点では評価されてよいのでしょう。他方で、気になるのは、<中心市街地第一地区土地区画整理事業の事業計画変更>で見るように、ひとまとまりの地区のうち、そもそも駅前のど真ん中が計画の対象から外れ、新たに、計画されていた東側地区が計画縮小で対象から外れた点です。
これらの密集住宅地は、今日も歩きましたが、幅1尺かせいぜい2尺程度の道が縦横に走っていて、空き家も相当あり、とても駅前の住宅地・商業地とは思えない状態です。都市計画をついで見ますと、これは<橋本マップ>でわかりますが、これによれば、再開発事業地を含め一帯はすべて容積率400%・建ぺい率80%の商業地域に指定されています。とても都市計画にマッチングしているとはいえない(別に橋本市だけでなく全国たいていこんな状態ですね)のですね。
ただ、残念なのは、24号線沿いの新たに建築された建物が結構、住宅利用に特化していると思われ、再開発事業の計画趣旨がどうだったのか、気になるところです。少なくとも一回が店舗2階が住居といった兼用住宅であって欲しいと思うのは私だけではないかもしれません。
最近は都市計画に関心を持っていなかったので、あえて橋本市のそれを見ることがなかったのですが、商業地域も24号線に沿って途中まで路線式に展開して、その他は大和街道沿いも含め容積率200%・建ぺい率60%の第一種住居地域(昔の住居地域)に指定されています。これもだいたい全国的にそういった配置をする傾向にありますから、とくに気になる話ではないですが、それにしても実態や将来の方向性とも異なる印象を拭えません。
そんな都市計画といった大きな話よりも、今日の歩きで目についた空き家の多さに、いま行政がどう対応しているのか、少し気になりウェブ情報を見ますと、橋本市では平成28年4月<橋本市空家等対策計画の策定について>ということで、対策をおこなっているようです。そういえば私の依頼人にも橋本市から照会文がきたという話を以前、資料とともに、伺ったことがあります。
<市内全域空家等実態調査の実施について>では平成28年度に一年間かけて実施されると言うことでしたが、調査結果はどうなったのか興味ありますね。
空き家問題は全国の自治体が抱えている重要な一つでしょうから、簡単に解決できる話ではないでしょうけど、目に見えるような施策と実践があれば、より住みやすい町になるでしょう。
空き家は空き地、耕作放棄地、荒廃する森林と同様に、悩ましい問題ですが、いずれも共通する根っこがあるように思えますし、一歩ずつ前進していくことも大事ではないでしょうか。
そういえば昨年、20年以上いろいろな機会で教えを頂いてきた北村喜宣氏から著作『空き家問題解決のための政策法務』を頂いたものの、なかなか読む機会がないままですので、この機会に少し読もうかと思ったりしています。
他方で、国交省の縦割り行政の施策の一環みたいに、細切れに対応していてよいのか、自治体それぞれの立場で総合的な対策を講じた方がより実効性があがらないかなどとも考えています。雑念止まないきょうの散策でした。
今日はこの辺でおしまい。また明日。
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