たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

タバコとその処し方 今朝の記事<職場の禁煙、対策進むか>を読んで

2017-01-23 | 健康に生きるとは

170123 タバコとその処し方 今朝の記事<職場の禁煙、対策進むか>を読んで

 

今朝はかなりの寒風が一層寒さを感じさせてくれました。そして雪が舞うようになると、当地では冬景色の美を興じることができます。

 

さて今朝の毎日記事はタイトルの見出しで、国が2020年東京五輪・パラリンピック開催等を前に、受動喫煙防止対策の強化を打ち出し、厚労省が昨年10月に発表した職場での対策案として、建物内を原則禁煙にしたうえで、喫煙室の設置は可能としています。

 

上記の対策案は、正確には「受動喫煙防止対策の強化について(たたき台)」で、これによると次の通り、3つの類型に区分して、それぞれの性格に応じて禁止策を講じています。

     多数の者が利用し、かつ、他施設の利用を選択することが容易 でないものは、 「建物内禁煙」とする。 (官公庁や社会福祉施設等)

     上記①の施設のうち、特に未成年者や患者等が主に利用する施 設は、受動喫煙による健康影響を防ぐ必要性が高いため、より厳 しい「敷地内禁煙」とする。(学校や医療機関等)

     利用者側にある程度他の施設を選択する機会があるものや、娯 楽施設のように嗜好性が強いものは、 「原則建物内禁煙」とした上 で、煙が外部に流出することを防ぐための措置を講じた「喫煙室」 の設置を可能とする。(飲食店等のサービス業等)

 

で、③の例外措置である喫煙室方式が毎日記事で取り上げられた一般の職場です。そして

これは飲食店やホテルなどのサービス業も対象となるため、喫煙者のお客さんとの関係で、これらの業界から強力な反発の声が上がっているようです。喫煙室を設けるスペースがとれないとか、商売ができなくなるとか、猛烈な反対の声、むろん愛煙家からも上がっています。で、この問題は神奈川県の事例を対象に検討するのがいいかと思いますが、今日は毎日記事で取り上げられている、普通の職場について、少し言及してみたいと思います。

 

振り返れば、タバコに係わる規制の歴史はさほど古くなく、それでもいわゆる喫煙権運動が始まった70年代後半から約40年の間に、急速にタバコ環境が変わってきたと思います。

 

少し私の狭い経験談を踏まえて日本の変わり様を語ってみたいと思います。私は子どもの頃から愛煙家の父がいる家庭で育ち、家の中は濛々とした紫煙で充満している環境ですくすくと?育ちました。高校は少し離れたところに電車ないしは汽車通学でしたが、電車内はタバコの煙で充満していましたが、まったく平気でした。

 

その後大学でもかなりの仲間が大人への仲間入りのつもりか、酒のがぶ飲みとともにタバコをふかすのは当然というか、なんの疑問ももたない時代でした。むしろ東京の大気汚染のひどさ、幹線道路の排ガス汚染の猛烈さはまるでその後の北京などの空気に近かったように思いますし、私自身、なんどか体調不良になったことがあります。

 

その後弁護士になり、勤務先を選ぶ頃(当時は引く手あまた)、15箇所くらいの事務所の中で、最もきれいな事務所の一つを選びました。私の師匠ともいうべきH先生は仕事が丁寧で、部屋もきれい好きなのと健康志向が強く、事務所内は原則禁煙でした。私自身、大学時代もタバコを好きになれないものの、友人が喫煙することには頓着していませんでしたが、仕事場が禁煙というのは気持ちよかったです。というのは当時、法律事務所で禁煙にしているところがあまりなかったと思うからです。たいていタバコを吹かしながら仕事をするというのが弁護士のスタイルみたいな印象がありました。

 

で、その後東京弁護士会の当時、公害消費者委員会に参加したのですが、驚いたのはヘビースモーカーが多く、会議中も紫煙が漂っていました。とはいえ、その後日弁連会長になった宇都宮さんとか、多くの消費者問題を専ら担っていた委員は、活発な議論を展開し、どちらかというと公害担当の委員は喫煙を楽しむという不思議な雰囲気がありました。

 

当時の公害訴訟を担った弁護士の多くは、結構なヘビースモーカーが多かったように思います。いや公害問被害者に寄り添い、立証に協力し、運動を指導した医者の方々にもそういう人が少なくなかったと思います。タバコが持つ緊張緩和など一定の薬効が彼ら闘志家にとって安らぎになったのかもしれません。

 

実際、私の先輩もそういった公害訴訟を闘い続けた人ですが、ボルネオの熱帯林調査では、ほとんど隣の座席に座って雲の上、食堂などを一緒にして貴重な体験談を聞かせてくれました。その彼がとてつもなくヘビースモーカーでしたが、当時はなんの不快感も感じなかったのです。ただ、シンガポールのレストランに入ったとき、禁煙ですと言われ、彼は閉口していたのですが、私自身はこれで料理の味を楽しめると思ったように記憶しています。これが80年代後半から90年代初めの話です。

 

で、大きく変わったのが、これまたしっかりした記憶ではないですが、嫌煙権運動のリーダーの一人、伊佐山さんが参加して、いろいろ問題提起してからだと思います。当時は毎年、東京都環境保全局長との懇談会を東弁公害委員会とが昼食会を兼ねて行っていましたが、当然のようにいつも灰皿を全員の席に置いていました。そこに伊佐山さんが異議を述べ、灰皿を撤去させたのです。私自身、なんとなく違和感がありつつ、そんなものかと思っていたのですが、伊佐山さんの正論は、だれも反対しなかったように記憶しています。

 

その後は、東弁公害員会でも灰皿は配ることがなかったと思います。たしか80年代後半くらいだったのではないかと記憶です。伊佐山さんのこういった意見は東弁の会議全体に向かっていたのではと思いますが、ある別の会議に出席したとき、たまたま一緒になった弁護士は、最近変な弁護士がいるので困る、タバコという嗜好を制限するというのだからちょっとおかしいのではないかといった声でした。そういった声は愛煙家の多かった弁護士にも相当内心ではあったのではないかと思います。

 

とはいえようやく私も伊佐山さんの意見に感化され、東京三会と日弁連の弁護士会館を、新たに建て替える計画が持ち上がったとき、新たな「環境建築物」としての弁護士会館を求め、雨水、太陽光、風の利用といった再生可能エネルギー利用のほか、分煙化を求める意見をまとめたことがあります。結局、採用されたのは中途半端な分煙室だけでしたが(これはその後改良されています)。それが90年代初めの頃でしょうか。

 

その後90年代終わり頃、再び伊佐山さんら嫌煙権運動の人たちと一緒にある訴訟を検討する会議や集まりを一年余り続けたように思います。そのきっかけはたしか、90年代終わり頃に、アメリカで米国タバコメーカーを相手に州政府が保険料負担の増大の原因がタバコにあるということで、訴訟を提起し、25兆円?くらいの制裁金を支払う和解が成立したことから、わが国でもなんらかの訴訟ができないかと医師、アメリカ法制度の研究者などを交えて討議を繰り返しました。州政府のような請求を日本でやる場合の住民訴訟、タバコ喫煙者の健康被害、いわゆるタバコ病、そして受動喫煙の被害者による訴訟などを検討しましたが、結局、タバコ病による被害が甚大であるということなどから、これを取り上げることになったように思います。それだけタバコ病で苦しんでいる方々の苦悩は複雑であり、厳しい状況にさらされていたからです。

 

なお、90年代に経験したある事件は、当時の世相の状況を表しているように思います。私の卑近な例としては、事務所のあるビルのエレベータで降りていったところ、途中で入ってきた二人の一人がタバコを口にくわえていて、まさか火をつけるとは思わなかったのですが、おもむろに火をつけ気持ちよく一服したのです。それで私はつい、エレベーター内は禁煙ですよと軽く一言声をかけたところ、突然、彼が形相を変え、なにか言った途端、殴りかかってきました。一応手で交わしたのですが、もう一人の男が抑えてくれたので、それ以上の悪化はありませんでした。

 

もう一つ、タバコ訴訟の仲間の人、Yさんが地下鉄ホームにいたとき、タバコを吸おうとした人がいたので注意したところ、唾を吐きかけられたと言うことで、たしか訴訟にしたような記憶です。その後彼から詳細を聞いていないので、どうなったかはっきりしたことは覚えていません。このように90年代というのはまだまだタバコ喫煙が当たり前で、多くがそういう意識であったように思います。

 

そして元歯科医を代表に、タバコ訴訟が提起され、訴訟は敗訴に終わりましたが、その中で、タバコの有害性と、健康被害の因果関係は確立した医学文献など多数の資料で立証され、判決でも不十分ながら認定されました。広告は当時、あらゆる媒体で自由にされていて、タバコの箱の表示も極めて抽象的な有害表示に止まっていましたが、それがいかに誤った誘導にあたるかを、アメリカの訴訟などを参考に、一定程度追求できたのではないかと思います。

 

東京地裁、その上級審も、タバコの依存性を認めず、自由に判断で喫煙し、喫煙を止めることができるとの立場で、タバコ会社、JTも、それを監督する国の責任も認めませんでした。

 

その後有力な若手を中心に横浜地裁で、新たにタバコ病の責任追及訴訟を提起しましたが、残念ながら敗訴となりました。

 

たしかに訴訟では敗訴となっていますが、この間に多くの人々の意識を変え、また厚労省をはじめ政府も大きく政策変更に舵をきってきました。

 

これは訴訟を担った原告団や弁護団だけでなく、訴訟を舞台としつつも、医師グループをはじめ多くの支援者が強力な意識改革運動を行った結果ではないかと思うのです。

 

そして厚労省の前記たたき台案は、まさに建物内禁煙を強力に推し進めることが、世界的に遅れたわが国の制度状況にあることを自覚し、このまま放置すると新たな高齢化社会でのタバコ病を起因とする病気の拡大・悪化を招き、医療・介護費用の負担増大になることが必至な状況を改善するため、オリンピックなどを契機に、抜本的な施策を打ち出したものと思われます。

 

と長々とつい書いてしまいましたが、このような規制的手法は限界があり、むしろ前向きに、職場環境、働き方改革を行う施策こそ、それぞれの企業や法人などが自主的に取り組むことが肝要だと思われるのです。その意味で、記事で取り上げら得た企業のような積極的な対応は、授業員との持続的な話合い、試行錯誤を繰り返して、新たな働き方を創造する一手法となるように思うのです。

 

最後の結論めいたことに入るのに、前置き部分が長すぎたのは、過去への多少思い入れがあったような、いろいろ思い出すこともあり、つい書いてしまいました。

 

タバコを楽しむ人と好ましい関係をつくりながら、老後というか高齢社会で生き生きと快適に暮らしていけるかを、多様な意見を交えて、望ましい環境作りができることを期待したいです。

 

 

 

 

 

 

 


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