180606 家事は舵取りが必要 <「名もなき家事」の不満 夫も家庭運営を>を読みながら
今日もいろいろな用事をしていると、いつの間にか業務終了時間になっています。さてブログはと話題は浮かばず、ふと不比等について少し書いてみようかと頭の中で構想を練ろうとしたのですが、ちょっと考えただけでなかなか見えてきません。
少しだけ着想の一旦を書いておいて、いつか中身が熟してきたら書いてみようかと思います。不比等という人物は、藤原家という日本最大の長期政権?を最初に作り上げた人物ではないでしょうか。その不比等の生涯のうち、20代前半くらいまではほとんどわかっていませんね。小説的には面白い部分で、この辺のストーリーはいくつか波瀾万丈の一端を展開するものがあり、そこに踏み込むのも面白いと思っています。
私は彼が低級官吏の地位にあったとき、どのようにして右大臣まで上り詰めたかの出発点に着目したいと思うと同時に、その家族形成をどのようにしてすすめ、その家族関係はどうだったのかを掘り下げると面白いかなと思ったりしています。
父親は中臣鎌足といわれたり、天智天皇皇胤説もあったりで、やはり生まれから不思議ですが、やはりこの両名が倒した蘇我氏との関係がとても不思議に感じるのです。
最初の妻は、蘇我連子の娘、蘇我娼子というのですから、いわば敵方に属する家系の娘を政略結婚で嫁にしたともいえるかもしれません。連子は馬子の孫で、蝦夷・入鹿親子と伯父・従兄弟の関係ですね。むろん蘇我本家は一人頂点にあって、他は反発があったとも言われていますから、天智・鎌足と完全に敵対関係にあったかはわかりません。とはいえ、蘇我家の娘を、それも当時没落気味の連子の娘をもらったのはどうしてでしょう。
当時天武天皇の皇后は一応夫婦仲はよかったといわれていますが、馬子の子で蝦夷の弟・倉山田石川麻呂の孫ですから、そういった蘇我一族に連なることを頭に入れていたのかもしれないと思うのです。不比等は。そうでないと、天武天皇死亡後の空白の期間、その後の持統天皇擁立という流れをつくる立役者になれなかったのではと思うのです。
ただ、不比等が娼子を政略のためにだけ妻にしたかというと、長男武智麻呂、次男房前、三男宇合と藤原4兄弟という大黒柱の3人まで生んで、かれらを朝堂の中心に据えるといったことからすれば、結構愛情深い関係であったのかなとも思うのです。このあたりはさらに複雑な女性関係を含めていつか整理してみたいと思うのです。
で、不比等は家庭人であったかというのがここでのテーマで、私は肯定的に考えています。おそらく長く不遇の人生を歩み、ほぼ孤独の生活を送る中で、家族愛・親子愛に植えていたのではないかと考えるのです。長女宮子を文武天皇の夫人にさせ、聖武天皇を生ませただけでなく、妹を光明皇后として人間愛あふれる慈母のような子に育て上げていることに私はとても不比等の深く・強い愛情を感じるのです。
余談はこの程度にして毎日昨夕の記事<特集ワイドゴミ分類、献立作り……やるのはいつも妻!? 「名もなき家事」の不満 夫も家庭運営を>を基に、家事論を少し考えてみたいと思います。
「名もない家事」という見方自体に違和感が少しあります。だいたい家事と仕事を選別することもどうかと思いつつ、実態がそうであることを無視することもできません。しかし、家事も仕事も、すべて大事なことです。家事をおろそかにするような人間は仕事も満足にできるとは思えません。
それを女性が家事を、男性は仕事をといった硬直した見方には疑問があります。脱炭素社会がパラダイムチェンジを要求しているのですから、仕事も生活も、全面的にこの観点で見直されないといけないことでしょう。
そのとき舵取りをするのは、妻とか夫とか、子とか、といった基準で誰かに任すというのではなく、すべてが意識を持ってそれぞれの役割を担う必要があると思うのです。
廃棄物の分類などはもちろん、いかに脱炭素社会にするか、あるいはプラスチックの排出抑制を図るかということになると、生活の全要素が対象となり、それは一人で解決できないことであることは間違いないのです。不比等が家族全員で体制構築を図った以上に、個々の家庭で脱炭素革命を実践的に担う意識改革と行動が必要でしょう。
ロジスティクスをどう考えるかも重要ですが、より求められるのはフード・マイレージ (food mileage)とか、脱炭素社会に向かうためのそれぞれの家庭での明確なメジャーを打ち立て、実践することではないでしょうか。そのときだれかが家事を主として担うなんて話は通用するはずがないと思うのです。こんなことを言うと、実態をわかっていないとの声が聞こえてきそうですが、世の中、事情変われば、意識も変わるのが自然です。
家づくり一つとっても、同じ事でしょう。そういう意識が一人ひとりに生まれれば、子供は社会に出ても、詐欺商法や消費者被害に遭わないだけの力量を自然に培うことができるでしょう。夫婦は自然に相互理解が生まれ、私は作る人、私は食べる人といった、どこかのCMに使われてきたような文脈から抜け出て、自由な個々と家庭を形成できるのではと夢物語のような考えをもっています。
ちょうど一時間になりそうです。また明日。
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