中華人民共和国(以下「中国」)と言えば、中国共産党一党支配の全体主義国家、ということになりますが、その中国共産党については、「共産主義社会建設に邁進する前衛政党」というよりは、軍事評論家の田岡俊次さん言うところの「でっかい商工会議所」、中国型資本主義(開発独裁の一種かな)を推進する組織、というほうが適当なようです。
もちろん、法制度も中国共産党がかなり恣意的に運用しているように見えますし、当然ながら基本的人権や言論・表現の自由などは制限されています。それはよくないよね、と私たちは思います。何しろ、私たち日本人は日本国憲法によって、すべて個人として尊重され、基本的人権を保持し、表現の自由、移動の自由など、さまざまな自由を享受することが認められているわけですから、中国のようなあり方は「権力が人民のさまざまな自由を制限していて、好ましくない」と映るのは当然です。
「個人」が「個人」として尊重される社会のほうがよさそうな気が
私は、「国民はすべて個人として尊重される」という日本国憲法の規定が、やはり好きです。自分が、他の何者でもない、独立した「個」として認められていることは、自分の人生の主人公は自分なのだ、ということが認められていることだ、と思うからです。さらに、自分の「個」を認めるということは、他者の「個」も認めなければならない、ということです。人々が、他者の「個」を認め合うことで、社会は寛容さを保ち、広がりと豊かさを持っていくのではないか、と私は思います( ← なんかすごく当たり前なことを言ってるような気が)。
自民党改憲草案の「おもしろさ」
ところで、今の自民党の憲法改正案である「改憲草案」、いろんな意味でおもしろいですよね。
現行憲法では、「すべて国民は、個人として尊重される」とあるところを、「個人」の「個」を取って「人として……」に変えられています(13条)。
また、21条「表現の自由」では、改正案はこうなっています。
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
(3項は省略)。
また、この草案についてのQ&Aで、「西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要がある」という文言もあります。
早い話、今の自民党の皆さんは、日本国憲法にある人権規定や自由規定は、日本という「国柄」や社会のあり方に合わないから変えたい、と思っているわけです。
彼らの日本史は明治以前が存在していない
ただ、彼らの言う「日本の(良き)伝統」とか「日本の(良き)歴史」とか「日本の國體」とかは、正直、かなりうさんくさいというか何というか。彼らの多くは、東京大学など、入試偏差値とブランド価値が高いとされる「有名」大学を出ていらっしゃるようですが、こと「日本史」に関しては、明治の半ばの大日本帝国憲法制定時以降、せいぜい明治国家成立時以降からしか存在していないような感じです。アメリカ合衆国の歴史より短いですね。彼らの言う「伝統的な日本人の美徳」とかって、パオロ・マッツァリーノさんが『「昔はよかった」病』(新潮新書)等のご著書で指摘しているように、ほとんどはまるで裏づけのないようなものばかり(そういえば、一時期もてはやされた「江戸しぐさ」、あれも全く架空なデタラメだったそうですね。これを「学ぼう」とそのまま載せてしまった小学校の道徳教科書が、2015年度のトンデモ本大賞に選ばれたのは記憶に新しいところです)。
ついでに言えば、1月25日付の毎日新聞夕刊の「それホンモノ? 『良き伝統』の正体」という記事がネット配信されたのを読みましたが、それによると、「行列に並ぶ」とか「ゴミは決められたところに捨てる」とかは、戦後のさまざまなとりくみによって定着したものだし、夫婦同姓も、明治民法に定められる以前は、奈良時代からずっと別姓が基本だったのだそうです。とすれば、自民党の方々が言う「伝統」とやらは、いったいどういう根拠から来ているのでしょう。変なの。
「エライ人は永遠にエライまま」な改憲草案
ひょっとして、今の総理大臣閣下をはじめとする自民党の皆さんが改憲したいその狙いは、「オレたち権力者は永遠にエライんだ。シモジモなやつらとは違うんだ。そういうやつらがオレたち『お上』に逆らうなんて許せない。はっきり言って『非国民』だ。そういうヤカラがいちいちウルサイことをやったりこいたりできないようにしてしまおう」ということでしょうか。とすれば、その目指す国のあり方は、「欧米と同様の民主主義が保障された先進国」ではなく、一握りのエライ人が国の中枢を占めて国民を思い通りに動かそうとする、あの中国や北朝鮮と同様の方向なのだなあ、と私は思います。
昔の自民党は、そういう極端な思惑を前面に出している人って、そんなに多くはなかったという記憶があります。源田実とか石原慎太郎とか中曽根康弘とか、変な人は確かに何人かはいましたが、基本的には、戦後の日本国憲法体制下、平和と経済成長を基調にした、マイルドな政見を持っていた人が多かったように思います。まあ、そういう人たちが政治の表舞台を去ってから、今のような政治情勢になっていったわけですが。
彼らは本当は中国や北朝鮮が好きなのでは
あ、なるほど。今気づきました。総理大臣閣下をはじめ、今の自民党とそれを支持する皆さんは、本音では中国や北朝鮮のような国家社会システムが好きでしょうがないわけだ。とすると、現在中国や北朝鮮に対して厳しい対応をしているのは、ある種の「同族嫌悪」なんですね。それならそれで、ちゃんとそのように言ってもらいたいものですが。また、それならそれで、TPPや沖縄米軍基地対応に見られる、デモクラシーの大御所アメリカべったりの政策なんかすぐに止めりゃいいのに。やることにいちいち整合性がないのが、これまた不思議なところです。彼らはいったい、何を目指しているのかな~? 彼らのアタマの中って、いったいどうなっているのかな~? と、ちょっと心配になります。
改憲すると何がどう良くなるのか、ぜひ教えてほしい
ともあれ、今の自民党の皆さんは、草案のような憲法に変えることで、日本は良くなると本気でお考えのようです。そうでなければ、日本の法制度の大もとである憲法を変える意味はありませんから。
しかし、私たち国民の自由を制限すると、どのように日本社会が良くなるのか、自由を制限された国民が、どのように今より幸せになるのか、私には良くわかりません。ですから、そういうことについて、私のようなオロカな国民にもわかるように、きちんと示してもらいたいと思う今日このごろです。
もちろん、法制度も中国共産党がかなり恣意的に運用しているように見えますし、当然ながら基本的人権や言論・表現の自由などは制限されています。それはよくないよね、と私たちは思います。何しろ、私たち日本人は日本国憲法によって、すべて個人として尊重され、基本的人権を保持し、表現の自由、移動の自由など、さまざまな自由を享受することが認められているわけですから、中国のようなあり方は「権力が人民のさまざまな自由を制限していて、好ましくない」と映るのは当然です。
「個人」が「個人」として尊重される社会のほうがよさそうな気が
私は、「国民はすべて個人として尊重される」という日本国憲法の規定が、やはり好きです。自分が、他の何者でもない、独立した「個」として認められていることは、自分の人生の主人公は自分なのだ、ということが認められていることだ、と思うからです。さらに、自分の「個」を認めるということは、他者の「個」も認めなければならない、ということです。人々が、他者の「個」を認め合うことで、社会は寛容さを保ち、広がりと豊かさを持っていくのではないか、と私は思います( ← なんかすごく当たり前なことを言ってるような気が)。
自民党改憲草案の「おもしろさ」
ところで、今の自民党の憲法改正案である「改憲草案」、いろんな意味でおもしろいですよね。
現行憲法では、「すべて国民は、個人として尊重される」とあるところを、「個人」の「個」を取って「人として……」に変えられています(13条)。
また、21条「表現の自由」では、改正案はこうなっています。
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
(3項は省略)。
また、この草案についてのQ&Aで、「西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要がある」という文言もあります。
早い話、今の自民党の皆さんは、日本国憲法にある人権規定や自由規定は、日本という「国柄」や社会のあり方に合わないから変えたい、と思っているわけです。
彼らの日本史は明治以前が存在していない
ただ、彼らの言う「日本の(良き)伝統」とか「日本の(良き)歴史」とか「日本の國體」とかは、正直、かなりうさんくさいというか何というか。彼らの多くは、東京大学など、入試偏差値とブランド価値が高いとされる「有名」大学を出ていらっしゃるようですが、こと「日本史」に関しては、明治の半ばの大日本帝国憲法制定時以降、せいぜい明治国家成立時以降からしか存在していないような感じです。アメリカ合衆国の歴史より短いですね。彼らの言う「伝統的な日本人の美徳」とかって、パオロ・マッツァリーノさんが『「昔はよかった」病』(新潮新書)等のご著書で指摘しているように、ほとんどはまるで裏づけのないようなものばかり(そういえば、一時期もてはやされた「江戸しぐさ」、あれも全く架空なデタラメだったそうですね。これを「学ぼう」とそのまま載せてしまった小学校の道徳教科書が、2015年度のトンデモ本大賞に選ばれたのは記憶に新しいところです)。
ついでに言えば、1月25日付の毎日新聞夕刊の「それホンモノ? 『良き伝統』の正体」という記事がネット配信されたのを読みましたが、それによると、「行列に並ぶ」とか「ゴミは決められたところに捨てる」とかは、戦後のさまざまなとりくみによって定着したものだし、夫婦同姓も、明治民法に定められる以前は、奈良時代からずっと別姓が基本だったのだそうです。とすれば、自民党の方々が言う「伝統」とやらは、いったいどういう根拠から来ているのでしょう。変なの。
「エライ人は永遠にエライまま」な改憲草案
ひょっとして、今の総理大臣閣下をはじめとする自民党の皆さんが改憲したいその狙いは、「オレたち権力者は永遠にエライんだ。シモジモなやつらとは違うんだ。そういうやつらがオレたち『お上』に逆らうなんて許せない。はっきり言って『非国民』だ。そういうヤカラがいちいちウルサイことをやったりこいたりできないようにしてしまおう」ということでしょうか。とすれば、その目指す国のあり方は、「欧米と同様の民主主義が保障された先進国」ではなく、一握りのエライ人が国の中枢を占めて国民を思い通りに動かそうとする、あの中国や北朝鮮と同様の方向なのだなあ、と私は思います。
昔の自民党は、そういう極端な思惑を前面に出している人って、そんなに多くはなかったという記憶があります。源田実とか石原慎太郎とか中曽根康弘とか、変な人は確かに何人かはいましたが、基本的には、戦後の日本国憲法体制下、平和と経済成長を基調にした、マイルドな政見を持っていた人が多かったように思います。まあ、そういう人たちが政治の表舞台を去ってから、今のような政治情勢になっていったわけですが。
彼らは本当は中国や北朝鮮が好きなのでは
あ、なるほど。今気づきました。総理大臣閣下をはじめ、今の自民党とそれを支持する皆さんは、本音では中国や北朝鮮のような国家社会システムが好きでしょうがないわけだ。とすると、現在中国や北朝鮮に対して厳しい対応をしているのは、ある種の「同族嫌悪」なんですね。それならそれで、ちゃんとそのように言ってもらいたいものですが。また、それならそれで、TPPや沖縄米軍基地対応に見られる、デモクラシーの大御所アメリカべったりの政策なんかすぐに止めりゃいいのに。やることにいちいち整合性がないのが、これまた不思議なところです。彼らはいったい、何を目指しているのかな~? 彼らのアタマの中って、いったいどうなっているのかな~? と、ちょっと心配になります。
改憲すると何がどう良くなるのか、ぜひ教えてほしい
ともあれ、今の自民党の皆さんは、草案のような憲法に変えることで、日本は良くなると本気でお考えのようです。そうでなければ、日本の法制度の大もとである憲法を変える意味はありませんから。
しかし、私たち国民の自由を制限すると、どのように日本社会が良くなるのか、自由を制限された国民が、どのように今より幸せになるのか、私には良くわかりません。ですから、そういうことについて、私のようなオロカな国民にもわかるように、きちんと示してもらいたいと思う今日このごろです。
憲法改正はしなければと最近になって気づいたのですが。これまで甘く見ていました。
ただし、1条から8条ですけどね。
それは政治家にとっての都合が良くなる。
自分たちの都合の良いように国民を使えるようになる。
自分たちの都合の悪いことは責められなくなる。
自分たちのことを考えれば
そりゃあ改憲するほうが良いに決まっている。
あとはどうやって国民を騙すかだ。
騙されないようにしないとね(^^;