ばらくてブログ――おうたのかいオブさんのおおばらブログ――

おうたのかい作曲・歌唱担当オブさんが、日々のあれこれをてきとうに綴る、まとまりもとりとめもないいかがわ日記

ブログでトグロ巻きR その9 アヤしさてんこ盛りの傑作、映画「FAKE」

2016-08-22 12:50:56 | ブログでトグロ巻きR
 旧聞に属する話で恐縮ですが、8月上旬、森達也さんの新作ドキュメンタリー映画「FAKE」を鑑賞してきました。上映会場は市民映画館シネ・ウインド。席数は約90席ですが。週末の公開初日の2回目上映で、時間が午後1時過ぎからということもあったのか、客席はもう満員です。東京・ユーロスペース等での大盛況ぶりはもちろん新潟にも伝わっていましたから、おそらくその評判を聞きつけた映画ファンが集結したのでしょう。
 上映時間は約1時間半くらい。キャッチコピーは「ラスト12分は、絶対に話さないでください」。そりゃネタバレになるから、未見の人にしゃべっちゃうという野暮なことはもちろんしないわけですが、特にラストだけでなく、とてもおもしろい映画でした。

ほかのドキュメンタリー映画とは趣を異にしている

 実は私、常用している薬のせいもあって、映画を観てると途中で必ず寝てしまう、という悪い癖があります。「阿賀に生きる」なんか、これも大変な傑作なのですが、3回観てやっと全体の話がつながった、というありさま(とほほ)。ところが、「FAKE」は、以前に森さんの「A」「A2」を観たときと同様、何とか眠らずに最後まで見続けることができたのです。それは、この作品が、ほかのドキュメンタリーとはちょっと趣を異にするおもしろみを持っている、ということなのだろうと思います。
 で、その中身。主人公は、数年前雑誌やテレビにおいて、いわゆる「ゴーストライター問題・ニセ聴覚障害者問題」で大変な騒ぎになった、あの佐村河内守さんとそのお連れ合いです。何しろまだあちこちで公開中の作品ですから、細かく説明するのは避けますが(というか私の能力ではそもそもうまい解説なんぞできませんが)、映画の冒頭、森さんと撮影スタッフは、佐村河内さんからの「私を信用してくれますか」という問いかけに対し、「信用してますよ。信用してなきゃ撮れません」的なことを言うわけです。そういうこともあってか、世間を欺いた悪者として佐村河内さんを指弾する人々からの、「佐村河内を被害者に仕立て上げているこんな映画はダメだ。森達也は間違っている」的な批判も多いようです。

とにかく登場人物全員がアヤシイ

 しかし、私にはこの映画が、「主人公の佐村河内さんは一方的で誤った激しいバッシングにさらされて社会的信用を失った被害者である」という描き方をしているようには全く見えませんでした。映画の舞台は、その大部分が佐村河内さんの自宅マンションで、そこで佐村河内さんご夫婦に密着して撮影しているわけですが、なんというか、登場人物が全員アヤシイ。もちろん佐村河内さんとそのお連れ合いもそうです。
 佐村河内さんの音楽作品のいわゆる「ゴーストライター」であったことを告白した新垣さんのテレビ映像を見ている佐村河内さんは、「どうして彼はあんなウソをつくんだろう」的なことをカメラの前でつぶやきます。それを見て、観客の一部は「なるほど、佐村河内さんはむしろ被害者なんだな」などと思ってしまうかもしれません。が、私にはそこはかとないアヤしさが画面からにじみ出てくるのを感じるばかり。お連れ合いは、出演依頼に来たテレビ局のスタッフや、ゴーストライター問題を取材に来た外国メディアの記者など、ほとんど「招かれざる客」も含め、あらゆる来客にケーキを出してもてなします。一見、社会から干し上げられたかわいそうな夫をかいがいしく支える妻、という映像が展開されるわけです。でも、これは私の人間性にも問題があるのだろうとは思うのですが、なんか、あざといというか、正直、「本当は、腹の底では何を考えているのかわからない」という人物のようにしか見えなくなってくるのです。
 アヤシイのはご夫婦だけではもちろんありません。出演依頼をしに来たテレビ局のスタッフは、これ以上ないほどの美辞麗句を並べ立て、佐村河内さんをTVに引っ張り出そうとします。その心の中は一体どんなものだろう、と観ている私は思います。また、あるとき森さんたちは新垣さんのサイン会にカメラを持って直撃します。新垣さんは森さんを見て、にこやかに「一度お会いしたかった」と言い、取材依頼に対して「ぜひお願いします」と答えます(その後、所属事務所が断ってきたそうですが)。これもまたアヤしさが満開です(唯一アヤしさを感じなかったのは、わざわざ外国から佐村河内さんを取材に来た記者さんだけでした)。

一筋縄ではいかない傑作モヤモヤ映画

 ラスト12分(本当は17分らしい)の場面も、もちろんこの映画の最も重要な部分なわけですが、私には、そこはかとないアヤしさが微妙に伝わってくるばかり。そして、ラストのラストでの森さんと佐村河内さんのやりとり。これでもう私の心の中は、アヤシイ印象で満ちあふれることとなります。
そもそも、撮影している森さんご本人が、最初から最後までとにかくアヤシイ。場面ごとに佐村河内さんに投げかける言葉に乗せられている「思い」は、決して言葉どおりのものではないのではないか? という「アヤしさ」を、へそ曲がりな私は感じてしまうのです。
 おそらく、観る人によって、印象が全く違う、一筋縄ではいかない映画であることは間違いありません。
 観終わってしばらく経った今、とりあえず私は、こんなことを思っています。人は誰でも、他人に対しては自分のよい部分だけを見せようとする。そのときはもちろん腹の中の黒々とした部分は見せない。「FAKE」は、そういう登場人物たちによって形作られた、観客にシッポをつかませない、ことさらにモヤモヤした印象ばかり与える、奇妙で、そして圧倒的におもしろいドキュメンタリー映画である、と。

ブログでトグロ巻きR その8 オリンピックにふさわしい格闘技とは

2016-08-21 23:35:14 | ブログでトグロ巻きR
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 スポーツ観戦はわりと好きなほうですが、オリンピックに特別な思い入れはありません。だからテレビが連日日本選手のメダル獲得をこれでもか、と伝えてくれるのは、まあ私も日本人ですのでそれはうれしいとは思いますが、私の好きなテレビ番組がオリンピック放送のせいでなくなっちゃうのはとても残念に思ったりします。まあ、それでもそれなりに楽しく拝見してはいるのですが。

外国人選手の「JUDO」はおもしろくない

 で、柔道とレスリングを見ていて、こんなことを思っちゃいました。
 柔道ですが、外国人選手の柔道って、あれ柔道ですか? 子供のころ、テレビドラマ「柔道一直線」の一条直也(当時の青春スター、桜木健一さんが演じていましたね)に憧れ、小林まことの漫画「柔道部物語」を楽しんだ私には、あれが柔道とは思えないのです。
 だって、「技」がないというか、「柔よく剛を制す」という柔道本来の理念なんか、どこにもないように見えるんですもん。強いと言われる選手は、ただ力任せに攻めるだけ。かと思えば、腰をひいた状態で相手の攻めをただただしのぎ、時折足技等をかけるふうを装い、時間の過ぎるのを待つだけ、という選手もいました。そういう相手を攻めあぐね、結局ポイントで負けてしまった日本人選手もいましたね。だから結局、あれは、「柔道」ではなく「JUDO」なのだな、という印象を持ちました。
 あれは楽しくない。

「レインボーマン」の世界とは違うレスリング

 レスリングのほうは、往年の特撮ドラマ「レインボーマン」の主人公もアマレス選手だったと思いますが、両肩が地面についたら負け、というルールの下、多彩な技を巧みに繰り出して相手を倒す、というイメージを持っていました。バックドロップも、プロレスの技だと思っている人も多いようですが、もともとはアマレスの技だそうです(何しろ決まれば一発で相手の両肩が地面についちゃう必殺技です)。
 という感覚で試合を眺めていると、ちょっとイメージと違っていました。まず、バックドロップなんて大技を掛ける選手なんていやしない。というか、選手の皆さんはみんな鍛えていますから、あんな技をかけられるような人ははじめからオリンピックなんかに出ていません。相手の足を取り体をひっくり返し、あるいは相手のバックを取って責め立てる。それがポイントとして積み上がって勝ちにつながる、というのは、少なくとも柔道よりはわかりやすい、のですが、やはりあまり楽しくない。

柔道やレスリングは「通」好みの格闘技

 まあ、それはただ単に、私が柔道やレスリングを知らないから、ということに過ぎないわけですし、柔道やレスリングの経験者や、経験はなくても興味を持ってずっと見てきたファンの皆さんにとっては、私にはわからない微妙な点も含めて楽しめる競技なのだとは思います。「通好み」の格闘技、といってもよいかもしれません。
 しかしまあ、オリンピックで行われている競技スポーツというのはどれも、競技人口よりも観戦者のほうが圧倒的に多いわけで、その観戦者は多くが私のようなシロウトなのだろうと予想できます。そうすると、柔道やレスリングは、そういう、「通」でない人々にはなかなかおもしろみが伝わりにくいのかな、とも思います。

テレビ観戦オンリーの人々にもわかりやすい格闘技を採用してくれないか

 どうせなら、オリンピックにおいて、私のようなシロウトにもおもしろく見ることができる格闘技があればいいのに、と思います。柔道やレスリングに限らず、フェンシングやテコンドーなども、その道に通じている「通」の格闘技であるという点では変わりがありません。
 そこで、私がオリンピックに加えてほしい格闘技があるのです。

相撲は最もわかりやすい格闘技

 それは、相撲です。
 相撲という格闘技のすばらしさは、まず、なんといっても「わかりやすい」ということです。相手より先に土俵から出たら負け。足の裏以外の体が相手より先に土俵についたら負け。突き押しのほか、投げ技・足技・反り技など、決まり手も多彩で、技が決まったときの美しさは他の競技にはない魅力があります。一試合(というか取り組み)あたりの所用時間も平均十秒前後で、長くても2〜3分しかかからない。拳で殴る、といった行為は禁止なので、安全性もレスリングや柔道とそれほど変わらない。どうです。相撲、いいでしょう?
 いや、裸でまわし、という競技スタイルは、国際競技としてはダメだろう、という人もいるでしょうが、それは、男子ならショートパンツの上から、女子もレスリング用のウェアの上からまわしを着用すればいいだけのこと。国際相撲大会ではもうすでにそうなっています。そういう意味では、もう問題は解決しているともいえます。

オリンピック相撲は、日本相撲協会と切り離して「国際化」しよう

 オリンピックに相撲を加える際、ジャマになるのはおそらく日本相撲協会でしょう。彼らはことさらに「伝統」を持ち出し、その「伝統」に反すると思われるやり方に対しては執拗に反対することでしょう。未だに、土俵には女性を上げないとか、日本国籍を取らないと親方(つまり協会の運営者)にはしないとか言ってる組織ですから。ですから、オリンピックに相撲をエントリーする際の母体となる団体は、日本相撲協会から切り離すことが不可欠です。もちろん、競技ルールはなるべく統一することも必要ですが、日本人にしか理解できないような「神事」としての独特のしきたりは大相撲の中だけにとどめておく、ということにもなるでしょう。でも、スポーツとしての相撲は、競技の性質から見ても、十分国際的に通用すると思います。
 その際、体重別で行うのは致し方ないとは思いますが、あんまり細かく分けるのではなく、軽量級・中量級・重量級くらいにして、そして、もはや柔道では消えた無差別級も設定するのです。「柔よく剛を制す」の世界が、相撲によって表現されることになるのです。本当にすばらしいですね。

 というわけで、どうでしょう。私はやめたほうがよいと思いますが、2020年には東京でオリンピックを行うということになっています。そこには間に合わないにしろ、「見ていて最もわかりやすい、スカッとする格闘技」として、ぜひ相撲をオリンピック競技としてもらいたいと思う、今日このごろの私なのです(酔っぱらった勢いで書いてますので、はっきり言ってほぼむちゃくちゃですが、けっこうマジ)。