ばらくてブログ――おうたのかいオブさんのおおばらブログ――

おうたのかい作曲・歌唱担当オブさんが、日々のあれこれをてきとうに綴る、まとまりもとりとめもないいかがわ日記

シロウト考え休むに似たり(10)プロ野球の球団名について考えちゃったりする

2016-03-28 22:02:01 | シロウト考え休むに似たり
 かつての「黒い霧」事件を否が応でも彷彿とさせる野球トバク事件でオフシーズンを騒がせながら、何事もなかったことにしたいという思惑を忍ばせつつ、開幕しましたね、プロ野球。
 てなことを言いながら、実は私もプロ野球好き世代なので、けっこう楽しみにしております。小学校6年生のときに「はだしのゲン」を読んで以来の広島ファンなので、開幕2試合目に黒田投手で今場所じゃないや今シーズン初勝利をあげたのは、新潟県に3人いるという広島ファンの一人として、たいそううれしゅうございました(もっといるといいなあ)。

「巨人」という呼称はおかしい

 で、実は、かねてから疑問に思っていることがあります。
 なんで、読売ジャイアンツは「巨人」なのでしょう。
 新聞やTVなどのマスコミにおけるプロ野球報道では、たいがいこのようになっています。
 「阪神 対 巨人」「広島 対 巨人」
 おかしいと思いませんか。

 「阪神」とか「中日」とか「ソフトバンク」とか「東北楽天」とかいうのは、そのチームの親会社や本拠地地域を表し、「タイガース」とか「カープ」とか「ブルーウェーブ」とか「ベイスターズ」というのはチームの愛称というようなものと私は認識しています(もし違ったらごめんなさい)。「巨人」も、「読売ジャイアンツ」と名乗っているはずです。そうすると、「巨人」というのはそういう呼称のあり方から外れている、とわたしは思ってしまうのです。
 もちろん、「読売巨人軍」というのがあのチームの正式名称ということは知ってはいますが。

筋を通すなら「巨人 対 鯉」となるはず

 筋を通すなら、呼称は愛称部分で「ジャイアンツ対タイガース」「カープ対ジャイアンツ」というふうに言うべきでしょう。もし、どうしても「巨人」と名乗りたいというならば、マスコミはチーム名をこんなふうに読んだり書いたりするべきです。
 「巨人 対 虎」。「巨人 対 竜」。「巨人 対 港の星」(ロッテの愛称「マリーンズ」はどう訳せばいいのかな~)。
 また、親会社や本拠地地域を示したいということなら、マスコミは「読売 対 横浜」とか「読売 対 ソフトバンク」とか言うべきではないでしょうか。少なくとも、「巨人 対 阪神」という呼び方は絶対におかしい、と私は感じてしまうのです。
 (ちなみに、テレビ朝日のスポーツニュースでは、「ジャイアンツ 対 カープ」という呼称をしているようです。筋としてはその方が「正しい」と私は思います)

「巨人軍」のおごりがプロ野球をつまらなくしているのでは

 ただし、そこでプレーしている選手に罪があると言っているわけではありません。「巨人軍」を実質的に支配しているお年寄りの皆さんの姿勢が問題なのでは、と思っているだけなのです。あの球団の経営陣は、自らを「球界の盟主」などといって憚らないようですが、どうも、「自分たちは12あるプロ野球チームの中でも特別な存在であり、特別扱いされるのが当然だ」などと思っているニオイがプンプンします。スポーツマスコミも、そのことについて疑問に思っていないようです。だから当たり前のように「巨人」という、他球団とは明らかに異なる扱いをしているわけです。
 そういう「特別扱い」や、当の「巨人軍」自身のおごり高ぶった姿勢が、実はプロ野球を面白くなくす方向へ向かう原因にもなり、さらには、今回のトバク事件の温床になっている、といったらさすがに言いすぎでしょうかねえ。なにしろシロウトなので、細かいことはよくわかりませんが。

 今回は、仕事で疲れているうえ酒で脳味噌がしなびた酒粕みたいになっているため、かなりの乱筆乱文のうえ、文章自体のクオリティもかなり低いなあ、と反省する今日このごろ(だったら書かなきゃいいのに、書いちゃうのね)。

窯変かえうた地獄 その8 サヨナラ小ネタ

2016-03-21 19:11:52 | 窯変かえうた地獄
 今週も業務繁忙でちっとも文章が書けませんでした(←いきなり言いわけスタート)。そんなときは、困ったときのかえうた地獄、ということで、今回はかえうたの小ネタパターンでごまかそうとじゃないや小ネタをアップしようと思います。

 前回、オフコースの「さよなら」の新潟弁をご紹介しました。今のところ、オフコースファンからの脅迫電話やカミソリの郵送などはないのでとりあえず一安心です。
  が、今回はまたも、「さよなら」をいじるネタでございまして、しかしまあ、ネタもないところですからもう仕方がないのでアップさせていただきます。

 「さよなら」と言えば、サビの「さよなら」のリフレインがやはり印象的ですが、歌い出しもけっこうキャッチーです。キャッチーなフレーズは、「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」ではないですが、けっこうかえうたになりやすいわけで。
 そんなわけで、「さよなら」の歌い出し、あるとき私にはこんなふうに聞こえてしまいました。

 象 巨大だね 君が 小さく見える

 そりゃそうだ。

 またあるときには、こんなふうにも。

 尿 漏らしたね 君が 小さく見える

 下品だ下品、弁士、演説中止!(←植木不等式師匠が使ってたネタをアレンジしてみました)。

  ……おそらくはこちらの方がファンからの憎しみを受けそうな感じ。しかし、これは、名曲だからこそ、いろいろかえうたにもなるのだ、ということでご納得いただきたいと思う今日このごろ(←すごく言いわけがましい)。

窯変かえうた地獄 その7 さよなら新潟弁

2016-03-14 11:41:41 | 窯変かえうた地獄
窯変かえうた地獄
新潟弁「さよなら」(元歌:オフコース)

へえ おしめぇらね
おめさんが ちっこて見える
おれは 思わず おめさんこと
抱きしめとぉなる
「おれは 泣かねすけ
このまんま 一人にしてくんなせや」
おめさんのほっぺたこと 涙が
流れては 落ちる
おれっては 自由らね
いつらったか そんげゆうったねっけ
まるで今日のことなん 思いもしねぇで

まずのぉ まずのぉ まずのぉ
へえじっき 外は しいれ冬
愛したんは 確かに おめさんだけ
そのまんまの おめさんだけ

愛は せつねぇね
おれの代わりにおめさんが
今日はだっかの胸に
寝てるかもわかんね
おれが しょうしがるすけ
だーも見てねえ道こと
寄り添い歩かれる あの道が
おめさんは好きらった

まずのぉ まずのぉ まずのぉ
へえじっき 外は しいれ冬
愛したんは 確かに おめさんだけ
そのまんまの おめさんだけ
(くりかえし)

外は 今日も雨
そのうち 雪になって
おれっての心の中に
降り積もっろう
 降り積もっろう


 これは、20世紀の末ごろにつくったかえうたです。
 わたしの新潟弁かえうたの持ち歌の中では、けっこう出来がよいのではと自分では思っております。
 「まずのぉ」の部分などは、地域によって違いがあることが知られていますから、その他の部分も含め、読者の皆さんの地域の新潟弁に合わせて変えてうたっていただいてOKです。
 しかし、オフコースファンの方々から恨みを買い、絞め殺されるのではないかと、ちょっと心配です。

ばらだるまインフォメーション ばらだるま2号の製作を開始します。

2016-03-14 11:13:20 | Weblog
 2014年12月に発行したばらだるま1号はおかげさまで、新潟を中心とした世間のごく一部で好評を博し、編集人の手元には残部がほとんどない状況となっております。これもひとえに、新潟を中心とした世間のごく一部の皆さま( ← しつこい)のおかげと、編集人一同、心より感謝いたしております。

 さて、先日、編集人打ち合わせを行い、ばらだるま2号の製作をいよいよ開始することとなりました。
 現時点での概要は以下のとおりです。

1.発行時期
 2016年9月末(目標)。

2.定価
 500円(税込予科。なるべく500円を維持したいと考えております)

3.特集テーマ
 新潟の山に登る。

4.執筆者(予定)
 ばらだるま1号の執筆者+α

 特集テーマをごらんになり、「なんだつまらないテーマだな」と思われた方もいらっしゃるとは思いますが、そこは「風だるま」+「ばらくて」ですから、決してストレートなものではなく、かなりヘンな方向での特集となる予定です。
 なお、執筆をご依頼したい皆さまには、改めて原稿依頼(締切・分量等)の連絡をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。

5.製作費
 製作費については、これまで、広告代の他は、編集人自身が経費を負担してきましたが、編集人も手元不如意で、なかなか厳しい情勢です(とほほ)。
 そこで、編集人打ち合わせの結果、今回は、広く世間の皆様方からご寄付を募り、そのお金を中心に製作費としたい、ということになりました。まあ、大げさでない「クラウドファウンディング」みたいな感じで資金調達したい、ということです。
 この件については、後日あらためて「ばらくてブログ」およびオブナイのFacebookにて具体的にお願いしたいと思います。皆さまからの生暖かいご支援、何とぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m。

 というわけで(どういうわけだか)、ばらだるま2号、楽しみにしないでお待ちいただければ幸いです。

ブログでトグロ巻きR その6 あくまで一般論ですが

2016-03-09 23:20:46 | ブログでトグロ巻きR
 最近のさまざまなニュースを見聞きしながら思うこと。

 たとえ当人が被差別の立場にある人であっても、その言動が被差別者の解放や差別の解消につながらないばかりか、差別を拡大・強化する方向性しか持たないようであれば、その人物は評価するに値しない有害な人物であると言うしかない。
 たとえ当人が障がい当事者であっても、その言動が障がい者の解放や権利保障につがならず、かえって差別を温存したい勢力にいいように利用されるのであれば、その人物はやはり有害な人物であると言うしかない。

 ……これは、あくまで、最近のニュースを見聞きしながら、一般論として、こういう人がいたとしたらまずいだろう、と思ったまでのこと。誰か特定の人物を指して言っているわけではありません。本当です。念のため。

シロウト考え休むに似たり(9)自民党憲法改正草案について考えちゃったりする

2016-03-08 15:07:32 | シロウト考え休むに似たり
 中華人民共和国(以下「中国」)と言えば、中国共産党一党支配の全体主義国家、ということになりますが、その中国共産党については、「共産主義社会建設に邁進する前衛政党」というよりは、軍事評論家の田岡俊次さん言うところの「でっかい商工会議所」、中国型資本主義(開発独裁の一種かな)を推進する組織、というほうが適当なようです。
 もちろん、法制度も中国共産党がかなり恣意的に運用しているように見えますし、当然ながら基本的人権や言論・表現の自由などは制限されています。それはよくないよね、と私たちは思います。何しろ、私たち日本人は日本国憲法によって、すべて個人として尊重され、基本的人権を保持し、表現の自由、移動の自由など、さまざまな自由を享受することが認められているわけですから、中国のようなあり方は「権力が人民のさまざまな自由を制限していて、好ましくない」と映るのは当然です。

「個人」が「個人」として尊重される社会のほうがよさそうな気が

 私は、「国民はすべて個人として尊重される」という日本国憲法の規定が、やはり好きです。自分が、他の何者でもない、独立した「個」として認められていることは、自分の人生の主人公は自分なのだ、ということが認められていることだ、と思うからです。さらに、自分の「個」を認めるということは、他者の「個」も認めなければならない、ということです。人々が、他者の「個」を認め合うことで、社会は寛容さを保ち、広がりと豊かさを持っていくのではないか、と私は思います( ← なんかすごく当たり前なことを言ってるような気が)。

自民党改憲草案の「おもしろさ」

 ところで、今の自民党の憲法改正案である「改憲草案」、いろんな意味でおもしろいですよね。
 現行憲法では、「すべて国民は、個人として尊重される」とあるところを、「個人」の「個」を取って「人として……」に変えられています(13条)。
 また、21条「表現の自由」では、改正案はこうなっています。
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
(3項は省略)。
 また、この草案についてのQ&Aで、「西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要がある」という文言もあります。
 早い話、今の自民党の皆さんは、日本国憲法にある人権規定や自由規定は、日本という「国柄」や社会のあり方に合わないから変えたい、と思っているわけです。

彼らの日本史は明治以前が存在していない

 ただ、彼らの言う「日本の(良き)伝統」とか「日本の(良き)歴史」とか「日本の國體」とかは、正直、かなりうさんくさいというか何というか。彼らの多くは、東京大学など、入試偏差値とブランド価値が高いとされる「有名」大学を出ていらっしゃるようですが、こと「日本史」に関しては、明治の半ばの大日本帝国憲法制定時以降、せいぜい明治国家成立時以降からしか存在していないような感じです。アメリカ合衆国の歴史より短いですね。彼らの言う「伝統的な日本人の美徳」とかって、パオロ・マッツァリーノさんが『「昔はよかった」病』(新潮新書)等のご著書で指摘しているように、ほとんどはまるで裏づけのないようなものばかり(そういえば、一時期もてはやされた「江戸しぐさ」、あれも全く架空なデタラメだったそうですね。これを「学ぼう」とそのまま載せてしまった小学校の道徳教科書が、2015年度のトンデモ本大賞に選ばれたのは記憶に新しいところです)。
 ついでに言えば、1月25日付の毎日新聞夕刊の「それホンモノ? 『良き伝統』の正体」という記事がネット配信されたのを読みましたが、それによると、「行列に並ぶ」とか「ゴミは決められたところに捨てる」とかは、戦後のさまざまなとりくみによって定着したものだし、夫婦同姓も、明治民法に定められる以前は、奈良時代からずっと別姓が基本だったのだそうです。とすれば、自民党の方々が言う「伝統」とやらは、いったいどういう根拠から来ているのでしょう。変なの。

「エライ人は永遠にエライまま」な改憲草案

 ひょっとして、今の総理大臣閣下をはじめとする自民党の皆さんが改憲したいその狙いは、「オレたち権力者は永遠にエライんだ。シモジモなやつらとは違うんだ。そういうやつらがオレたち『お上』に逆らうなんて許せない。はっきり言って『非国民』だ。そういうヤカラがいちいちウルサイことをやったりこいたりできないようにしてしまおう」ということでしょうか。とすれば、その目指す国のあり方は、「欧米と同様の民主主義が保障された先進国」ではなく、一握りのエライ人が国の中枢を占めて国民を思い通りに動かそうとする、あの中国や北朝鮮と同様の方向なのだなあ、と私は思います。
 昔の自民党は、そういう極端な思惑を前面に出している人って、そんなに多くはなかったという記憶があります。源田実とか石原慎太郎とか中曽根康弘とか、変な人は確かに何人かはいましたが、基本的には、戦後の日本国憲法体制下、平和と経済成長を基調にした、マイルドな政見を持っていた人が多かったように思います。まあ、そういう人たちが政治の表舞台を去ってから、今のような政治情勢になっていったわけですが。

彼らは本当は中国や北朝鮮が好きなのでは

 あ、なるほど。今気づきました。総理大臣閣下をはじめ、今の自民党とそれを支持する皆さんは、本音では中国や北朝鮮のような国家社会システムが好きでしょうがないわけだ。とすると、現在中国や北朝鮮に対して厳しい対応をしているのは、ある種の「同族嫌悪」なんですね。それならそれで、ちゃんとそのように言ってもらいたいものですが。また、それならそれで、TPPや沖縄米軍基地対応に見られる、デモクラシーの大御所アメリカべったりの政策なんかすぐに止めりゃいいのに。やることにいちいち整合性がないのが、これまた不思議なところです。彼らはいったい、何を目指しているのかな~? 彼らのアタマの中って、いったいどうなっているのかな~? と、ちょっと心配になります。

改憲すると何がどう良くなるのか、ぜひ教えてほしい

 ともあれ、今の自民党の皆さんは、草案のような憲法に変えることで、日本は良くなると本気でお考えのようです。そうでなければ、日本の法制度の大もとである憲法を変える意味はありませんから。
 しかし、私たち国民の自由を制限すると、どのように日本社会が良くなるのか、自由を制限された国民が、どのように今より幸せになるのか、私には良くわかりません。ですから、そういうことについて、私のようなオロカな国民にもわかるように、きちんと示してもらいたいと思う今日このごろです。