エッセイアーカイブの二本目は、新潟東高校文芸部誌「簓」の創刊号に書いた顧問エッセイです。おヒマな折にでもお読みください。
文芸部室に巣くうおかしな先輩たち
高校生のころは、授業が終わるといつも、文芸部の部室に入り浸っていました。
吹奏楽部などの音楽系部活動や写真部なら、部室に集まって練習やら現像やらする必要もあるので、部室に集まる必然性は当然あるわけですが、文芸部員が部室に集まって、一体何をするというのでしょうか。みんなで一緒に小説やら詩やらを書いたり作ったり読んだりしているとしたら、それはそれでちょっと妙な感じがしますよね。
もちろん、そんなことをしているわけはありません。そもそも、文芸部室にいるからといって、そこで小説なり詩なりのものすごいアイディアが浮かんでくることは実はありません。大げさに言えば、文章書きは生活全体の中から書く材料をつかむわけです。とすれば、部室に籠もっているのはむしろマイナスに働いてしまう気さえします。
だから部室ですることといえば、トランプと世間話でした。いや、トランプはあくまで脇役、いろいろな話をするためのきっかけに過ぎず、とにかくわたしたちは高尚な話題からくだらない話題まで、飽きることなく話し続けていたというわけです。
文芸部に集うのは、今から振り返ってみてもそれはそれは個性的というかなんというか、面白い人たちばかりでした。当時は数えるほどしか女生徒がいなかったM高校だったので、部員も男子が大半です。で、わたしが一年生のころの三年生の先輩は、まさにクセ者ぞろいという表現がふさわしい面々でした。
そもそも、その先輩方が文芸部にいる理由というのがかなりインチキ臭いのです。
二年生の終わりごろ、先輩方は友人の生徒会幹部から「文芸部は今、部員がだれもいなくなった」という話を聞きました。その生徒会幹部はさらにこう言いました。「で、文芸部は、文芸誌製作代やら何やらで、部費が十ン万円ある。いい話だろう?」
その話を聞いた先輩方は、一も二もなく飛びつきました。十ン万円の金(この額は、今の東高文芸部の予算の約六倍です)を目当てに、休部寸前の文芸部に大挙して入部、そのまま乗っ取ってしまったというのです。
もちろん、その金で豪遊しようというわけではありません(そんなことしたら下手したら退学だ)。もともと文学的指向のあった面々が、タイミングよく文芸部活動に参集した、ということだったわけです。だからこそ、その後もM高校の文芸部は長く続いているわけなのですから。先輩たちは休刊状態だった部誌を復活させ、精力的に作品を発表し、活動を軌道に乗せました。もし先輩方が乗っ取ってくれなければ、ひょっとするとM高校文芸部はその時点で消滅していたかもしれません。
文芸部員のイメージというと、青白い顔色の、ひょろっと痩せた、なにやら線の細~い感じがしたりするわけですが、その先輩方はみんな、そういうステレオタイプな姿からはほど遠い人たちでした。なんというか、古いタイプのバンカラ高校生のイメージ。
リーダー格のYさんは、いつも恋愛小説や恋愛をテーマにした詩を発表していました。いかにも文学青年風のやや長い髪型でしたが、体力も体格も屈強で、ボウリングなどをしようものなら一番重いボールを投げ、ピンをへし折らんばかりの勢いでした。世間話も恋愛の大切さなどが主でしたが、どうしたわけか、つきあっている女性はいないのでした。
Tさんは、青春の屈折をもっぱら詩にして発表していました。外見は繊細そうなのですが、落ち着き払った真面目な顔でくだらないことを言うという芸風で、勉強とは別の意味で頭がいいという印象の先輩でした。
Mさんは、知的な外見とひどい成績を兼ね備えた人です。そもそも学校の勉強に意味を求めていないようで、そのひどい成績でも行ける大学を見つけてきてちゃっかりそこに進学しました。その先輩の書くものといえば、文章の半分を漢字が占める難解な小説であったりしました。何しろ勉強以外のことに関しての知識たるや大したものでした。特に、クラシック音楽と写真については、このMさんからいろいろと教えていただきました。(他にもおおぜいいらしっゃいますが、ここにはもう書ききれない)。
こんな先輩方からわたしは、さまざまのどうでもいいことを教わりました。それには今でも感謝しています(本当です)。いちばんあきれたじゃないやすばらしいアドバイスは、「人間、浪人しないと成長できないのだ。オブナイも当然浪人しなければならない」でした。そもそも、まだ現役の三年生のくせに、そんなことを言っていていいのだろうか、と思っていたら、Mさんら推薦で進学した以外の皆さんはことごとく浪人し、見事に自らの思想を実践に移していました(笑)。わたしも結局、卒業時に進学できず、いったん就職した二年後に改めて大学に行き直したわけですが、その時先輩方は「これでおまえの人間的成長は間違いない」と無責任に保証してくれました(わははは)。
しかしまあ、こんな文芸部があったからこそ、わたしはそれほど変なふうにもならず、わたしなりに充実した高校生活を送れたのだろう、と思っています。文芸部でのいろいろな経験は、まさに高校生の時にしか得ることのできない貴重な経験でした。今でも、あのころに戻れるものなら戻りたい、などと思うことがあったりします。だから、今、高校生活のまっただ中にいる皆さんを、ほんのちょっとだけうらやましく思ったりもするのです。
【新潟東高校文芸誌「簓」創刊号(2005年10月1日発行)顧問エッセイより】