今次新潟市長選挙、中原八一さんが接戦を制してご当選されました。おめでとうございます。
しかしまあ、この選挙、4人も立候補したにもかかわらず、本当に面白くなかったですね。
私は、かつて県知事選で、以下のポイントで行政を進めてもらいたい、と申しました。これは、一定程度新潟市長選でもあてはまると思っています。
◆日本国憲法を守る(公務員には憲法遵守義務がありますから、これは当然ですね)
◆脱原発をすすめる(持続可能な自然エネルギーへのシフトはもはや世界的な流れです)
◆地域主権を確立する(新潟県内だけで衣・食・住をはじめとした自立経済・社会体制を確立し、中央=東京の思惑に振り回されない共生社会を形成していくことは、今後の縮小社会を考えても重要ですね)
◆いちばん困っている人の立場に立って政策を立案する(そうすることで、結果として県民全体への目配りができると思います)
さらに、
◆近未来の新潟市像についての理想像というかビジョンというか、について示す、ということも重要です。
しかし、今次市長選では、そうした視点を訴える候補者は、残念ながらいらっしゃらなかった。というか、4人の候補者とも、結局新潟市をどうしたいのかが全く見えなかった、というのが正直なところです。
私の尊敬する元県議にして私の出身大学の優秀な後輩の斎藤喜和さんは「今回の市長選の候補者は全員不支持」とおっしゃっていましたが、私もそれに同感せざるを得ません。
てなわけで、ここでは、私に入ってきた乏しい情報を元に、各候補者について批判的に「ソーカツ」させていただこうと思いますが、かなりの偏見が含まれてますので、あんまり真に受けないように。
◆中原八一さん
中原さんは、自民党県議を4期務めた後、参議院議員を1期務めた後落選し浪人中でしたが、今次市長選で接戦を勝ち抜き、めでたく新市長に就任することとなりました。
しかし、県議・国会議員としての中原さんは、そういっては失礼かもしれませんが、目立った活動をしていたようには見えませんでした。というか、単なる「頭数」としての存在(それも実はもちろん重要なんですが)だったようなイメージです。そういう人が、さまざまな政治決断をトップとして迫られる首長、それも財政難に苦しむ政令指定都市の市長を務めるとなると、何かと大変なような気がします。
しかも中原さん、この間の県知事選でも一部で候補者に挙げられていましたが、結局は高級官僚ではありましたが政治経験のない花角さんに持っていかれちゃいました。これ、「中原さんでは知事は務まらない」、と自民党筋が考えたから、ということですよね。んで、知事はダメでも政令市市長なら務まるだろう、という感じで候補者に選ばれた、というなら、ずいぶん新潟市民をナメた話だと思います(ちょっと言い過ぎかな)。
さらに、中原さんは、「国・県との連携をはかる」との公約を示していますが、まあ、県との連携はあったり前の話なのでいいとして、国との連携、というのはどうでしょう。今の国のトップは、違法・脱法・政治倫理違反行為てんこもり、農業をはじめとする国内産業を欧米に売り渡す政策を推し進めているアベ政権ですよ。地方自治や食糧主権の重要性なんぞさっぱり理解していないあの政権と連携するということは、新潟の農業や地場産業を欧米に売り渡すとイコールだと思うのですが。
◆吉田孝志さん
アンチ篠田市長を全面に、BRT廃止を第一の公約として突っ走った吉田さん。正直、私はこの人にだけは市長になってもらいたくない、と思っていましたから、今回この方が落選して本当によかった、と思っています。
吉田さんの主張は、他の候補者と比べても、まあ、よく言えばメリハリのきいた明確なものだったとは言えるでしょう。しかし、それは別の角度から見れば、予算の裏づけのないままの土建業的な主張でした。また、「文化より経済」という主張もしていましたが、文化のベースがない都市作りなどそもそもあり得ません。吉田さんのモノサシは、まずもって「カネもうけ」が第一、ということのようですが、まちづくりには、その前提として「文化」の観点がなければならない。そのことが理解できなければ、金沢や仙台が栄えている理由も永遠に理解できないことでしょう(これは、金沢や仙台を模倣しろ、という意味ではありません)。
ついでにもう二つ。
これは中山均・新潟市議からの情報提供ですが、2005年の教科書選定委員会で、人権・同和教育に対して否定的見解を述べていた、ということです。人権感覚にも問題がありそうです。
また、前回市長選にも立候補していましたが、そのときのTV取材でボードに字(公約かなんか)を書いたとき、新潟の「潟」の字を間違えて書いていたそうです(点四つの部分が、「湯」みたいになってたそうです)。市長に立候補するという人がそれかい?
◆飯野晋さん
新潟市北区長を辞しての立候補。その心意気は了としましょう。掲げた政策・公約も、農業や福祉重視、脱原発というのはいいセンスだったと思います。
ただ、いかんせん、知名度がない。新潟市出身でもない経産官僚出身ですし。というか、なんで立候補したのかが実はよくわからない。ひょっとしたら篠田市長の後押しがあったのかもしれませんが、それだけでは勝ち抜ける裏づけにはなりません(というか、篠田市長の支持率はもう地に落ちています)が、情勢によっては勝てる、と思っちゃったのかもしれませんねえ。
これは私の偏見に満ちた推測に過ぎませんが、東大・京大の学部卒が主流を占める高級官僚の世界で、早稲田の大学院出身というのはやはり傍流、さほどの出世は見込めない。だからこの際、政治の世界に転進して自分の力量を発揮しよう、と考えたのか、とも思いますが、それなら、もっと早くから根回しをした方がよかったのではないかと思います。どんなに良い政策を打ち出しても、応援するのが市役所OBとNSGグループだけではさすがに勝てません(政策はむしろ非自民共闘チームと親和性があるんですよね。だったら早めに非自民チームと話をつけりゃよかったのに)。北区長というのは確かに重職ですが、しょせん行政のトップ、政治家ではありません。
◆小柳聡さん
西村智奈美代議士の後押しを受け、北区選出の市会議員を辞めて立候補した小柳さん。その後、連合新潟や国政野党による「非自民共闘」候補ということになりました。
しかし、私も労働運動の端っこにいる人間ですが、小柳候補がどういう人なのかさっぱりわかりませんでした。市会議員とは言えまだ1期目、議会での発言や活躍ぶりもさっぱり見えません。公約も他の候補者との違いはほとんどないような。
そもそも私が思うのは、「なんで非自民共闘の候補者がこの人なの?」ということです。ほとんど何の実績もない人ではないですか。
もちろん、小柳さんは若さと可能性に満ちあふれ、将来性もある政治家なのでしょう。しかし、今はまだ政治家デビューしたばかりのルーキーです。そんな人を、特に難問が山積している新潟市の市長に推そう、というのはちょっと無理がありすぎなのではないでしょうか。そういう人を候補にするしかないほど、非自民の側には人材がいない、ということなのでしょうか。
私の身近な人が怒りをこめてこのように言っていました。「2018年の市長選には、現職の篠田市長はまず出ない。新人同士の争いになることは4年前からわかっていたはず。だったら、4年前、遅くとも2年前くらいには候補者選定などの準備を進めておくのが当然。それなのに、選挙直前になって右往左往しているのはどういうことなのか」。全くその通り、というしかありません(これは、労働組合員として私にも責任の一端があると感じています)。
厳しい言い方になりますが(そしてそれは自分にも返ってくるわけですが)、非自民共闘の側の新潟市長選の対応は、場当たり的というかその場しのぎというか、とにかくいいかげんだった、というしかありません。もっときつく言えば、非自民共闘の対応は不真面目きわまりないものでした。新潟市の行政の経過や問題点をよく理解した、人格・識見に優れた経験豊富な人材は間違いなくいたはずです。そういう人たちを立候補させることができず(あるいは何らかの事情のため出られなかったのかもしれませんが)、これからいろいろ学んでいかなければならないルーキーに貧乏くじを引かせてしまった、というのが、今回の非自民共闘の偽らざる実態だったのではないでしょうか。しかも、そういう候補を「非自民で選んだ候補なんだから推せ」というのは本末転倒です。これも私の印象ですが、小柳候補を応援し、良い候補だと訴えていた方々の言い方は、何だかまるで自分自身に言い聞かせているみたいでした。
今回の中原さん当選・小柳さん落選を受けて、「新潟市の政治は20年遅れてしまった」などとお嘆きの向きもあるようですが、そういうことではないでしょう。有権者の多くは、今回の立候補者の顔ぶれを見て、これじゃあ誰も選べない、と悩み、結果、もっとも据わりのよい、何となくヤバさが薄いと感じられた候補を選択した、と考えれば腑に落ちます。非自民候補が敗れたのは、非自民共闘側の(もちろんこの中には私だって含まれます)候補者選出の不真面目さが招いた、いわば「自業自得」なのだ、と私は思います。
しかしまあ、この選挙、4人も立候補したにもかかわらず、本当に面白くなかったですね。
私は、かつて県知事選で、以下のポイントで行政を進めてもらいたい、と申しました。これは、一定程度新潟市長選でもあてはまると思っています。
◆日本国憲法を守る(公務員には憲法遵守義務がありますから、これは当然ですね)
◆脱原発をすすめる(持続可能な自然エネルギーへのシフトはもはや世界的な流れです)
◆地域主権を確立する(新潟県内だけで衣・食・住をはじめとした自立経済・社会体制を確立し、中央=東京の思惑に振り回されない共生社会を形成していくことは、今後の縮小社会を考えても重要ですね)
◆いちばん困っている人の立場に立って政策を立案する(そうすることで、結果として県民全体への目配りができると思います)
さらに、
◆近未来の新潟市像についての理想像というかビジョンというか、について示す、ということも重要です。
しかし、今次市長選では、そうした視点を訴える候補者は、残念ながらいらっしゃらなかった。というか、4人の候補者とも、結局新潟市をどうしたいのかが全く見えなかった、というのが正直なところです。
私の尊敬する元県議にして私の出身大学の優秀な後輩の斎藤喜和さんは「今回の市長選の候補者は全員不支持」とおっしゃっていましたが、私もそれに同感せざるを得ません。
てなわけで、ここでは、私に入ってきた乏しい情報を元に、各候補者について批判的に「ソーカツ」させていただこうと思いますが、かなりの偏見が含まれてますので、あんまり真に受けないように。
◆中原八一さん
中原さんは、自民党県議を4期務めた後、参議院議員を1期務めた後落選し浪人中でしたが、今次市長選で接戦を勝ち抜き、めでたく新市長に就任することとなりました。
しかし、県議・国会議員としての中原さんは、そういっては失礼かもしれませんが、目立った活動をしていたようには見えませんでした。というか、単なる「頭数」としての存在(それも実はもちろん重要なんですが)だったようなイメージです。そういう人が、さまざまな政治決断をトップとして迫られる首長、それも財政難に苦しむ政令指定都市の市長を務めるとなると、何かと大変なような気がします。
しかも中原さん、この間の県知事選でも一部で候補者に挙げられていましたが、結局は高級官僚ではありましたが政治経験のない花角さんに持っていかれちゃいました。これ、「中原さんでは知事は務まらない」、と自民党筋が考えたから、ということですよね。んで、知事はダメでも政令市市長なら務まるだろう、という感じで候補者に選ばれた、というなら、ずいぶん新潟市民をナメた話だと思います(ちょっと言い過ぎかな)。
さらに、中原さんは、「国・県との連携をはかる」との公約を示していますが、まあ、県との連携はあったり前の話なのでいいとして、国との連携、というのはどうでしょう。今の国のトップは、違法・脱法・政治倫理違反行為てんこもり、農業をはじめとする国内産業を欧米に売り渡す政策を推し進めているアベ政権ですよ。地方自治や食糧主権の重要性なんぞさっぱり理解していないあの政権と連携するということは、新潟の農業や地場産業を欧米に売り渡すとイコールだと思うのですが。
◆吉田孝志さん
アンチ篠田市長を全面に、BRT廃止を第一の公約として突っ走った吉田さん。正直、私はこの人にだけは市長になってもらいたくない、と思っていましたから、今回この方が落選して本当によかった、と思っています。
吉田さんの主張は、他の候補者と比べても、まあ、よく言えばメリハリのきいた明確なものだったとは言えるでしょう。しかし、それは別の角度から見れば、予算の裏づけのないままの土建業的な主張でした。また、「文化より経済」という主張もしていましたが、文化のベースがない都市作りなどそもそもあり得ません。吉田さんのモノサシは、まずもって「カネもうけ」が第一、ということのようですが、まちづくりには、その前提として「文化」の観点がなければならない。そのことが理解できなければ、金沢や仙台が栄えている理由も永遠に理解できないことでしょう(これは、金沢や仙台を模倣しろ、という意味ではありません)。
ついでにもう二つ。
これは中山均・新潟市議からの情報提供ですが、2005年の教科書選定委員会で、人権・同和教育に対して否定的見解を述べていた、ということです。人権感覚にも問題がありそうです。
また、前回市長選にも立候補していましたが、そのときのTV取材でボードに字(公約かなんか)を書いたとき、新潟の「潟」の字を間違えて書いていたそうです(点四つの部分が、「湯」みたいになってたそうです)。市長に立候補するという人がそれかい?
◆飯野晋さん
新潟市北区長を辞しての立候補。その心意気は了としましょう。掲げた政策・公約も、農業や福祉重視、脱原発というのはいいセンスだったと思います。
ただ、いかんせん、知名度がない。新潟市出身でもない経産官僚出身ですし。というか、なんで立候補したのかが実はよくわからない。ひょっとしたら篠田市長の後押しがあったのかもしれませんが、それだけでは勝ち抜ける裏づけにはなりません(というか、篠田市長の支持率はもう地に落ちています)が、情勢によっては勝てる、と思っちゃったのかもしれませんねえ。
これは私の偏見に満ちた推測に過ぎませんが、東大・京大の学部卒が主流を占める高級官僚の世界で、早稲田の大学院出身というのはやはり傍流、さほどの出世は見込めない。だからこの際、政治の世界に転進して自分の力量を発揮しよう、と考えたのか、とも思いますが、それなら、もっと早くから根回しをした方がよかったのではないかと思います。どんなに良い政策を打ち出しても、応援するのが市役所OBとNSGグループだけではさすがに勝てません(政策はむしろ非自民共闘チームと親和性があるんですよね。だったら早めに非自民チームと話をつけりゃよかったのに)。北区長というのは確かに重職ですが、しょせん行政のトップ、政治家ではありません。
◆小柳聡さん
西村智奈美代議士の後押しを受け、北区選出の市会議員を辞めて立候補した小柳さん。その後、連合新潟や国政野党による「非自民共闘」候補ということになりました。
しかし、私も労働運動の端っこにいる人間ですが、小柳候補がどういう人なのかさっぱりわかりませんでした。市会議員とは言えまだ1期目、議会での発言や活躍ぶりもさっぱり見えません。公約も他の候補者との違いはほとんどないような。
そもそも私が思うのは、「なんで非自民共闘の候補者がこの人なの?」ということです。ほとんど何の実績もない人ではないですか。
もちろん、小柳さんは若さと可能性に満ちあふれ、将来性もある政治家なのでしょう。しかし、今はまだ政治家デビューしたばかりのルーキーです。そんな人を、特に難問が山積している新潟市の市長に推そう、というのはちょっと無理がありすぎなのではないでしょうか。そういう人を候補にするしかないほど、非自民の側には人材がいない、ということなのでしょうか。
私の身近な人が怒りをこめてこのように言っていました。「2018年の市長選には、現職の篠田市長はまず出ない。新人同士の争いになることは4年前からわかっていたはず。だったら、4年前、遅くとも2年前くらいには候補者選定などの準備を進めておくのが当然。それなのに、選挙直前になって右往左往しているのはどういうことなのか」。全くその通り、というしかありません(これは、労働組合員として私にも責任の一端があると感じています)。
厳しい言い方になりますが(そしてそれは自分にも返ってくるわけですが)、非自民共闘の側の新潟市長選の対応は、場当たり的というかその場しのぎというか、とにかくいいかげんだった、というしかありません。もっときつく言えば、非自民共闘の対応は不真面目きわまりないものでした。新潟市の行政の経過や問題点をよく理解した、人格・識見に優れた経験豊富な人材は間違いなくいたはずです。そういう人たちを立候補させることができず(あるいは何らかの事情のため出られなかったのかもしれませんが)、これからいろいろ学んでいかなければならないルーキーに貧乏くじを引かせてしまった、というのが、今回の非自民共闘の偽らざる実態だったのではないでしょうか。しかも、そういう候補を「非自民で選んだ候補なんだから推せ」というのは本末転倒です。これも私の印象ですが、小柳候補を応援し、良い候補だと訴えていた方々の言い方は、何だかまるで自分自身に言い聞かせているみたいでした。
今回の中原さん当選・小柳さん落選を受けて、「新潟市の政治は20年遅れてしまった」などとお嘆きの向きもあるようですが、そういうことではないでしょう。有権者の多くは、今回の立候補者の顔ぶれを見て、これじゃあ誰も選べない、と悩み、結果、もっとも据わりのよい、何となくヤバさが薄いと感じられた候補を選択した、と考えれば腑に落ちます。非自民候補が敗れたのは、非自民共闘側の(もちろんこの中には私だって含まれます)候補者選出の不真面目さが招いた、いわば「自業自得」なのだ、と私は思います。