ばらくてブログ――おうたのかいオブさんのおおばらブログ――

おうたのかい作曲・歌唱担当オブさんが、日々のあれこれをてきとうに綴る、まとまりもとりとめもないいかがわ日記

新潟県人権・同和センターの創設者・高山弘さんのお通夜に出席しました

2020-01-31 18:21:41 | Weblog
◆昨晩は、新潟県人権・同和センターの創設者で前の事務局長だった高山弘さんのお通夜に参加してきました(本日は葬儀が行われましたが、こちらは欠席)。高山さんの死に顔は大変安らかで、苦しまずに旅立ったことがうかがえました。
◆高山さんは新潟高教組(新高教)の大先輩。1995年に私が勤務していた高校の教頭が連続的な差別発言事件を起こし、そのときの新高教同和教育担当役員として調査に訪れたときにお会いしたのが最初の印象です。その後、高山さんは県同教や新高教の重鎮となり、教員生活の最晩年には副委員長まで務めました。そして、人権・同和センター設立に伴い事務局長に就任。私が2008年度から11年度にかけて新高教専従役員になり同和教育担当となって、高山さんとは4年間いろいろ付き合うこととなりました。
◆高山さんのすごいのは、自分でやらなけりゃならん、と思ったら、周辺への根回しもろくにやらず、周りがどう思おうが関係なく突っ走る、というところです。とにかくあらゆる差別が許せない。差別や子どもへの差別など、県内で起きたあらゆる差別問題の渦中に飛び込み、解決のために奔走していました。あのエネルギーというか馬力はそれはそれはすごいものでした。高山さんのおかげで解決したり顕在化して行政課題となったりした差別事件は数多かったと思います。
◆整理整頓が苦手で、当初沼垂にあった事務所(一戸建て)の中は書類で埋まっていました。また、ことあるごとに新高教の印刷室に入り浸り、センターの文書の印刷をしていたので、新高教の文書印刷に支障が出て「いい加減にしてください」と怒られるのですが、全く懲りずに平然と現れてやっぱり印刷していました。パソコンが全く使えず、ものすごく豪快な(早い話が読みにくい)手書きの字を、印刷屋さんだけでなく、あるときは新高教の役員が入力したりしていました。最終的にはお連れ合いがパソコンを覚えて入力作業をやっていたと思います。自分のできない仕事は基本的に周囲に投げる、という技は、そのときは「困った人だなあ」とも思いましたが、今から考えれば極めて合理的だった、とも思います。
◆基本的に人の話をちゃんと聞かないので、いろいろ叱られたりもしていたようです。私も、仕事に絡んで納得できないことが多々あり、何度か高山さんを怒鳴りつけたことがあります。でも、高山さんは全くめげないのです。人なつっこくで厚かましくて、ときどきムチャクチャで、でも、結局は憎めない人でした。何といっても、高山さんがいなければ、新潟県の人権教育や啓発、行政の人権政策の進展はありません。前述のような人でしたから毀誉褒貶は当然あるわけですが、そんなことを超越した、すごい人だった、と今は心から思います。
◆私の心残りは、高山さんに本を書かせることができなかったことです。センター事務局長を退任するころ、私は高山さんに「これまでの経験を書いてください。本にしましょう。私がしっかり編集しますから」とことあるごとにお願いましたが、結局書いていただけず、かなわぬこととなってしまいました。それが、高山さんの身に降りかかった難病のせいだということを、亡くなってから知ることになりました。
◆昨日のお通夜には、県同教のお歴々、解放同盟県連のみなさん、行政の人権担当者、新高教や新教組の新旧の同和教育関係者、ご近所のみなさんなど約200人が参列していました。いなくなってしまうと、こんなに寂しいものか。そんなふうに、今私は高山さんのことを思っています。
(乱筆乱文お許しください)

今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク その12 新潟駅前「炭鮮」でよっぱらう

2020-01-31 16:51:26 | 今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク

◆一昨日の晩は、先週来家族の重要課題解決のため奔走していたツマを慰労するため、新潟駅前の「#炭鮮」へ。ここは、豊富な定番のつまみのほか、鮮魚の刺身、刺身をカラシ・梅肉等で和えたもの、炭火で焼く魚介やヤキトリ、ラーメンやパスタ、なぜか焼きたてのパン等々、バリエーションに富んだクオリティの高い肴の数々を堪能できるナイスな居酒屋🍶🍺
◆昨晩はツマとともにカウンターに陣取り、#麒麟山サワー#麒麟山ぽたりぽたり#朝日晴 の燗酒・生ビールをいただきつつ、鮮魚のゆず胡椒和え・同梅和え・鶏のハラミ焼き・タラ白子の炭火焼き・ヤキトリ(鶏ハツ・モモ)をいただく。もう何を吞んでも何を食べても旨い。支払いも思いのほかリーズナブル。
◆「炭鮮」の店長には、店長が別の店の板さんだった数年前からお世話になっていて、その腕前とセンスは実に確か。新潟の酒飲みなら、一度と言わず何度でも行くべきおすすめのお店です。てなわけで、また来月に行こうかな🍶🍺⬅︎ これだからカネが貯まらない😜)。


YouTube・Facebook共通 おうたのかいオリジナル23曲目「夢のつづき」をYouTubeにアップしました

2020-01-25 14:43:18 | おうたのかいオリジナル

◆新潟のマボロシのオリジナル楽曲音楽ユニット「おうたのかい」の23曲目をYouTubeにアップしました。 詞は渋谷珠子さん(たまちゃん)、曲はオブナイです。

◆今回アップするのは「夢のつづき」。20世紀の終わりか21世紀初頭のころに作った楽曲です。伴奏アレンジは例のごとくヤマハQY20、録音はTASCAMのカセットMTRです。

◆夢を熱く語る恋人と別れ離れてゆく女性が主人公の繊細な歌詞に合うように曲をつけましたが、サビの高音のメロディがなかなか苦しく、自分の歌の下手さと曲作りの甘さが出てるかな、という感じです(作って歌ってる本人が言うのもなんですが)。でも、歌詞の世界を壊さないように、という目的は達成してるかな、とも思います(自分に甘い)。

◆てなわけで、ほかの楽曲とともに、おヒマな折にでもお聴きいただけるととてもうれしいです。

◇歌詞を以下にアップします。

夢のつづき

詞・渋谷珠子  曲・オブナイ秀一

雪がやむ前に この部屋を出よう

足跡が消えて 真っ白な朝が あなたに 訪れるように

夢を追うあなたの 輝きを受けて

誰よりも近く 見つめてた日々を 静かに 思い出にかえて

 ヒロインが替わるように  あなたの舞台を降りてゆく

 これからは彼女の隣で  めざす未来を 語るのね

 

雪に落とすリング 白い闇で眠れ

どこまでも深く この恋を連れて

いつかはたどり着く 海へ

 やさしさを悔やまないで  すべてを嘘だと言わないで

 いつの日か 笑顔で逢えたら  夢のつづきを聞かせてね


今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク その11 新潟駅南「信」でヨッパラう

2020-01-23 18:51:27 | 今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク

 今週は親族の関係で大切なことがあり、それがとりあえず一段落したので、昨日は、ツマとともに新潟駅南の住宅地にある居酒屋「信」で夕食。

「信」は若い店長が作る厳選された旨い肴を堪能できる、隠れた(失礼)ナイス居酒屋。昨日は、まずは生ビールとタコとタマネギの酢の物からスタート(このタコ酢がもう旨い)。

 

 続いては、真野鶴辛口純米ぬる燗を吞みながらのお造り。メバルとコウイカ、南蛮エビ、ホッキ貝。どれもとても旨い。醤油のほか、「煎り酒」もつけてくれました。これでいただく刺身もまた旨い。

 

 次は、鴨と葱の焼き浸し。火の入り具合やだしのうまみと浸み加減が絶妙で鴨も葱も旨すぎ。真野鶴が進む進む。

 

 今度は麒麟山伝辛ハイボールを頼み、つまみは筋子の酒粕漬け。これもまた、酒を呑め、といわんばかりの絶品。酒粕をまとわせた筋子が旨すぎる。これはご飯でもいけるな。

 

 「信」ではいつも、こんなふうに旨いものをいただいております。てなわけで、次回もよろしくお願いします。

 


YouTube・Facebook共通 おうたのかいオリジナル22曲目をYouTubeにアップしました。

2020-01-12 23:57:18 | おうたのかいオリジナル

◆2020年明けましておめでとうございます。今年も「おうたのかい」の楽曲をよろしくお願いいたします。

◆20世紀末の一時期、新潟市民映画館シネ・ウインドの2階でこっそりと活動していた音楽ユニット「おうたのかい」。メンバーは、かつてのウインドの看板スタッフの渋谷(旧姓中川)珠子さん(愛称たまちゃん)、「王立宇宙軍オネアミスの翼」の監督として知られ、現在「蒼きウル」制作中のアニメ映画監督山賀博之さん、しがないミニコミ誌編集長オブナイの3人。渋谷さんが詞を書き、オブナイが曲をつけて歌い、山賀くんがそれに付きあう、という感じでやってました。今回は22曲目をアップします。

◆今回アップするのは「あの海が消えるまで」。これも1996年ごろに作った曲です。アレンジは例のごとくヤマハQY20、録音・ミックスダウンはTASCAMのカセットMTRです。渋谷珠子さん(たまちゃん)の、昔愛した人への思いを捨てきれない彼女への、愛憎半ばする思いを綴った歌詞に合った曲をつけようとしたら、マイナーなバラードに仕上がりました。例によって例のごとく、ボーカルに難があります(^_^;)。

◆てなわけで、おヒマな折に聴いていただけるととても嬉しいです。また、他の楽曲も、余裕がある折にお聴きくださるとありがたいです。

https://youtu.be/3KOaUKTyfu0

◇歌詞を以下にアップします。

 

あの海が消えるまで

詞 渋谷珠子  曲 オブナイ秀一

 

あの海へ連れて行って 君がねだる夜には

忘れられない誰かの 気配が苦しい

深まる夜の青さ 君の痛み映して

 

 帰ろう 今足下に 震えながら寄せる波は

 きっと 昨日の君の 捨てきれない 涙だから

 

 

どこまでも逃げるように 車を走らせては

曖昧に頷いてる 横顔を見てた

途切れた 会話の向こう 僕のいない思い出

 

 どうして 寄り添う肩に 君は僕を選んだのか

 いっそ 記憶の海へ 君と二人 沈めたなら

 

戯れに 繰り返す 恋の真似事 Imitation

 

 帰ろう 二人出会えた あの季節を 超えて遠く

 君の心に響く 波の音が 消える日まで

 

 どうして 寄り添う肩に 君は僕を選んだのか

 いっそ 君のすべてを 突き放して 憎めたなら

 

https://youtu.be/3KOaUKTyfu0

 


【ブログでトグロ巻きR その22】週刊金曜日2020年1月10日号の内田樹先生インタビューが腑に落ちる

2020-01-11 15:13:16 | ブログでトグロ巻きR
 週刊金曜日の2020年1月10日号、内田樹先生インタビューがおもしろい。特に、23ページの、教育の市場原理化を批判し、中高一貫教育で12歳から18歳まで同じ仲間と過ごすことの問題点を指摘した後の以下のくだり(一部略)には深く納得。
 
 日本は集団主義で、「同質化圧」が強いと言われていますけれど、それ以上に「自己同一化圧」のほうが強いと思う。
 「自分探しの旅」とか、「自分らしく生きる」とか、「ベストワンよりオンリーワン」とか言う言葉はどれも「自己同一性を早く決めて、決めたらそこから一歩も出るな」というメッセージを言外に発している。(略)でも、「自分らしさを貫け」というのは、「成熟するな」ということと実は同義なのです。
 「成熟する」というのは、変化し、複雑化することです。(略)でも、子どもたちが昨日と別人になること、「よりわかりにくくなる」ことをあらゆる機会に阻止しようとしているのが、日本社会です。自然な成長を構造的に阻害している。日本人が幼稚化した理由はこの「自己同一化圧」にあると僕は思っています。「自分らしさ」なんてどうだっていいじゃないですか。大事なことは成熟し、複雑化することです。
 
 私がふだん漠然とアヤシイと感じていたことを、見事に言語化してくださったここのところを読むだけでも、この号を読む意味がありました。週刊金曜日では久しぶりの(失礼)ヒットと思いました。

2020年 新年のごあいさつ

2020-01-02 12:35:08 | Weblog

あけましておめでとうございます。昨年も皆様方にはいろいろお世話になりました。今年もお世話になる予定ですので、その点どうかお諦めください。

 2019年は正直言って全く低調な一年でした。18年末に第6・7胸椎を圧迫骨折した影響が後々まで厳しく続き、体調・気力とも全く振るいませんでした。また、様々な差別事象にも行き合い、非常に不愉快な思いも味わいました。特に胸椎骨折の影響は甚大で、懸案のばらだるま2号制作をはじめ、やりたいこと・やらねばならないことの10%もこなすことができませんでした。状況は多少マシになりつつあるもののそれほど変化はありませんが、2020年は、もう少し前向きにいろいろ取り組まねば、と考えております。皆さまには、どうか辛抱強く、温かい目でお見守りいただければ幸いです。

本業の稼ぎ仕事(高校教員)では、定年まであと2年(+3月)となりました。体調の問題もあり、可能なら定年を待たず勧奨退職、ということも考えておりますが、収入や貯金等、先々の問題もあり、そうそう簡単に辞められるかどうか、なかなか難しいところではあります。退職後に再任用や非常勤等で教員を続ける気は全くなく、辞めた後に何で稼ぐか、ということもリアルな問題です。皆様方に、仕事についてのお願い・ご相談をする場面もあるかもしれません。その節は何とぞよろしくお願いいたします。

やりたいことはいろいろあるのです。ちょっと羅列します。

◇前述の「ばらだるま2号」の制作。金銭面や気力の問題がありますが、なんとかしなきゃと。

◇ひっそりこっそり続けている「おうたのかい」のうた作り。そのうちライブなどやりたい、などと思ったりしております。

◇しばらく怠けていた文章書き。いろいろ書きたいこともあったにもかかわらず、昨年は(それ以前から)全然手に着きませんでした。今年は多少なりとも書いていかないと、もはやボケる一方であるなあ、とマジ不安です。

退職後の稼ぎ仕事についても、真剣に考えなければならないようです。むか〜し昔は居酒屋をやりたかったですが、リウマチで手足が不自由になった今日、もう少しリアリティのある、しかも自分でやりがいを感じる仕事を見つけなければ、といろいろ模索する年になりそうです。

 しかしまあ、公私ともいろいろ不安なことばかりな人生の終盤戦ですが、何とかしぶとくもう少しシャバでのたくっていきたい、とは考えております。てなわけで、今年もよろしくお願いいたします。