ばらくてブログ――おうたのかいオブさんのおおばらブログ――

おうたのかい作曲・歌唱担当オブさんが、日々のあれこれをてきとうに綴る、まとまりもとりとめもないいかがわ日記

ブログでトグロ巻きR26 いよいよ2023統一自治体選挙(FB03.03.29)

2023-03-30 14:29:07 | ブログでトグロ巻きR
 2023統一自治体選挙がいよいよ告示。市民・県民生活のために立候補してくれるあらゆる候補者に心から敬意を表します。
わたしが期待する政治家は、以下のような方です。
◉あらゆる人々の人権保障を大切に考え、部落差別をはじめとするあらゆる差別のない社会を作る努力をしてくれる。
⚫︎社会的少数者・社会的経済的〝劣位〟に置かれた人々の人権・生活権保障のため尽力してくれる。
◉中央・東京の政治・経済の意向に振り回されない自立した地域主権を確立してくれる。
◉人間の生存の基本である衣食住を保証する努力をしてくれる。
◉地域の持つ潜在力を見抜き、発展させてくれる。
◉地域の良き伝統のベースである自然環境保全を大切に考え、ふるさとを破壊する原発の廃炉と自然エネルギー移行を積極的にすすめてくれる。
◉食糧安全保障・地域の食糧主権確立のため、地域の農業の振興・発展と農業従事者の生活・収入保障を重視してくれる。
◉近隣の諸外国との友好を進め、外国にルーツを持つ人々への差別や偏見をなくす努力をしてくれる。
このような候補者を、私は応援し、一票を投じたいと思っています。

ブログでトグロ巻きR番外 2022新潟市長選についての感想⑦(Facebook02.10.29)

2023-03-30 14:26:11 | ブログでトグロ巻きR
【今次新潟市長選についての感想⑦ 補遺(日本共産党を支持できない理由)】
◆さて、今次新潟市長選は、共産党が告示ギリギリで候補を擁立したことで無投票を免れました。そのこと自体には、これまでこの一連の投稿で書いたとおり敬意を表します。
◆しかし私は、共産党の党員が市長になることにはどうしても賛成できません。それは、共産党が、本当の意味で人権を尊重する政党とは全く思えないからです(それでも、今回は中原市政への反対票として鈴木さんに一票を投じましたが)。
◆私は、教育労働運動を通じて部落解放同盟の皆さんとかかわるようになり、部落差別の現実について学ぶ機会を得ました。部落人民のたゆまぬ努力で、部落差別解消推進法も成立しました。そういう部落人民の悲しみや苦しみ・努力を全否定し、「もう部落差別はない・差別があったとしてもその原因は解放同盟の運動だ」などと言いつのり、今なおある「鳥取ループ」などによるWeb上を中心としたえげつない差別にお墨付きを与えているのが日本共産党です。また、学校現場や同和教育講演会の会場等でも、同和教育・部落差別を正面から否定する言辞を唱え妨害するのを、私は目の当たりにしています。もし部落差別を否定する日本共産党員が市長になったら、市の人権・同和教育や差別解消のための施策は明らかに後退することでしょう。
◆実際、「鳥取ループ=示現舎」やネトウヨ連中の部落差別の理屈は、共産党の部落差別否定とほぼ同じ。こと部落差別否定については、日本共産党はネトウヨ連中と全く同じなのです。
◆しかし、今の政治状況下、日本共産党の示す政策・主張の多くはほぼ私の考えと合致します。かつての共産党は、狭山冤罪事件や成田(三里塚)闘争でも明らかなように、党のドグマや指導性に乗らない市民運動を無視・敵視・攻撃するというひどい政党でしたが、今は共産党も昔と比べて本当に柔軟になった、とは思います。だから、今こそ、部落解放運動に対して冷酷で非道な対応を改め、真に民主的で、あらゆる人権を尊重した政党となってもらいたい。そうなったとき初めて、心から信頼できる共闘の相手となれる、と私は思っているのです。(終わり)

ブログでトグロ巻きR番外 2022新潟市長選についての感想⑤、⑥(Facebook02.10.28)

2023-03-30 14:19:25 | ブログでトグロ巻きR
【今次新潟市長選についての感想⑤ 未来の新潟のため、今から準備を始めましょう】
◆〈承前〉今次新潟市長選についてこれまで思うところをつらつら書いてきました。これまでの一連の投稿をお読みになり、不愉快な思いをされた人もいらっしゃるかもしれませんが、私は特に間違ったことを書いてはいない、と自分で思っています(①をお読みになった共産党関係者の方が「立憲民主党をはじめとする野党陣営の力のなさ」と私が書いたことに対し「今回の選挙の最大の責任は立憲民主党にあり、共産党には責任はない」という趣旨の反論をくださいましたが、前回選挙から4年もの時間があったにもかかわらず候補者を立てられなかったのは、共産党も含めた野党・市民共闘全体の問題であり、共産党にも応分の責任があると私は考えています)。
◆前回④でも書いたとおり、野党・市民共闘側は、応援した候補が全有権者の8.5%弱(12人に1人ですよ)しか得票できなかったこと、自分たちの政策が多くの有権者には伝わらなかったことを率直に受け止め、今から4年後に備えるべきと思います。2期目の中原市政も、おそらく1期目と代わり映えのしないものとなるでしょう(できれば野党側のもっともな政策提案を受け入れてもらいたいものですが)。中原さんの体現する「自民党的」なものではない、東京・中央から自立し、一次産業をはじめとする新潟市の特徴・特性を生かし、最も厳しい状況におかれた市民の立ち位置をベースに施政をすすめる市長を選ぶために、今からすぐにでも準備をすすめなければならないと思います。
◆しかし、今回の立憲民主党の迷走や、本来立つべき・立たせるべきだった市議・県議や有識者から誰も手を挙げる人がいなかった、という事実は重いものがあります。政治のプロだけでなく、多くの市民も交えた粘り強い話し合いを行う場を作る必要もあるでしょう。その際は「オール沖縄」ではないですが、保守で〝まとも〟な人も含めた「オール新潟」的な感じになればとよい、と思います。今回はさまざまな事情で出られなかった人でも、4年後なら、という人もいるでしょう。とにかく、慌てず焦らず、しかし着実に、未来の新潟市のために、という気持ちで取り組んでほしい、と思います。
◆しかしまあ、この一連の投稿は、候補選定に全く関係のない、いち有権者の無責任な駄文に過ぎません。まさかこれを読んで「オマエにゃ言われたくない」とか「だったらオマエがやってみろ」とか言い出す、言論の自由をわきまえないしょうもない政治・政党関係者はいないと思いますが、まあ、トシヨリのたわごとと思い、どうかご勘弁ください。(つづく)

【今次新潟市長選についての感想⑥ 政治のプロがダメなら市民の出番です】
◆〈承前〉今次新潟市長選では、野党側の既存政党、特に立憲民主党の当事者能力のなさが白日の下にさらされました。どうも立憲民主党は、国政選挙と県議・市議選には力を入れるもの、首長選挙には関心が薄いようです(これはひょっとすると新潟だけでしょうか)。先の知事選でも結局自分では候補を擁立できず、反原発団体のリーダーが自ら立候補しました。今次新潟市長選は、皆さんご承知のとおりです。まあ、社民ブロックも(私も含まれます)人のことは言えませんが、国政野党第一党とは思えない体たらくでした(これくらい厳しく書いてもいいですよね)。
◆実は皆さんご承知のとおり、かつて新潟市長選で、新潟水辺の会などを中心とした市民グループが自ら候補を擁立したことがあります。あのときは政党が候補を立てられず、このままでは新潟市はどうなるのか、と多くの市民が心配していました。そこで動いたのが市民グループでした。それこそ会員が自民党から共産党までいる幅広い環境NPOだった新潟水辺の会を中心とした市民グループが、この際新潟市の水辺環境を良くしてくれてよりよい街づくりをすすめてくれそうな人物を自分たちで担ぎ上げたのです。それが新潟日報の元名物記者の篠田昭さんでした。篠田さんはその選挙で勝利し、4期にわたって市長を務めました。
◆まあ、新潟水辺の会の会員は、政治・経済・社会的に有力な人も多かったですから、他の市民団体に比べても力があったとは言えますが、それでも、政党とは違う場から市長が生まれたのは事実です。政党がダメなら市民自身が市長を担げばいい。篠田市長の誕生は、そういう可能性を示したものとも言えると思います(篠田市政の中身については、ここでは述べません)。
◆しかし今、そういう力のある市民グループなどないし、作れない、と思う向きもあろうかと思います。ただ、今は意見発信の方法や場が、篠田市長誕生の時より飛躍的に多くあります。初めは少ない仲間でも、共感さえ得られれば広がりを持つ可能性がある。もちろん情報の確度・正邪を見極める力も必要となりますが。あるいは、市民の側が積極的に政党に意見を述べ、かかわり、利用する、ということも面白いと思います。政治を「プロ」任せにせず、自分の生活や自分のいる社会をよりよくする作業として自分からかかわっていくことを考えてもいいのではないでしょうか。(つづく)

ブログでトグロ巻きR番外 2022新潟市長選についての感想③、④(Facebook02.10.27)

2023-03-30 14:12:04 | ブログでトグロ巻きR
【今次新潟市長選についての感想③ 残念ながら鈴木さんは、無投票阻止のためだけの候補でした】
◆〈承前〉さて、鈴木さんは、告示日が迫っても野党の立候補者が出ない状況で、共産党がギリギリに擁立した党の職員で、正直名前を聞いても誰だかわからない全く無名の候補。経歴を見ると、県外出身で35歳、数年前新潟に転勤、共産党の主張に共感して入党し党職員になり、前回市議選で落選し、来年の市議選出馬の準備をしていた、という人だそうです。そういう人を、候補を出せなかった社民党や緑にいがた、れいわ新選組と市民連合が乗っかって推薦したわけです。県外出身であること、若いことは全く問題ありませんが、実質的には新潟では支持者が極めて少ない共産党の組織内候補で、有権者の多くが「誰?」と思ってしまう、市長候補としてのふさわしさが全くない人ではありました。
◆口の悪い私の知人は、「今回の市長選で落ちるのは織り込み済み。ここで名前を売って来年の市議選で当選しよう、と考えて出たんだよ」などと言っていました。まさかそんな邪なことを考えて出馬したなどとはさすがに私も思っていませんが、そんなことを言われるような「甘い」候補者ではあった、ということです。
◆つまり、あくまで鈴木さんは、勝てないのは初めから百も承知で、無投票を阻止するためだけに立った候補者だ、ということでしょう。そのことは、選挙戦で鈴木さんを応援していた全員が、内心思っていたであろう、と私は推測します。
◆鈴木さんが選挙戦で語った政策は、私も共感できるものが多く、それ自体は良いのですが、良い政策でも、それを語る器というか人物が多くの市民にとって納得できる人でなければ、やはり伝わらないのではないでしょうか。しかし、それは鈴木さんの責任ではありません。繰り返しになりますが、この4年間市長選の準備を怠り、市長にふさわしい人物の育成・選定に真面目に取り組んでこなかった立憲民主党をはじめとする全ての野党陣営や今の中原市政に批判的だった市民に責任がある、と私は思います。
◆ただ、あえて申し述べますが、無投票を何が何でも避け、現職への批判票の受け皿を作るため、とにもかくにも候補者を出した共産党の努力は(私はある決定的理由で共産党を全く支持していませんが、それでも)、率直に評価すべきでしょう。(つづく)

【今次新潟市長戦についての感想④ 鈴木さんはやはり惨敗だったことを認めませんか】
◆〈承前〉有権者数656,827人。投票率32.10%。中原八一151,887票(当選)。鈴木映55,595票。これが今次新潟市長選の結果でした。
◆新潟日報は鈴木さんについて「結果は5万5千票あまりで得票率は3割弱。大差をつけられたが、現市政に不満を持つ層の一定の受け皿になった」と評しています。また、同じ日報で「陣営幹部は『子育ての当事者世代であることに説得力があった』『知名度の低さやわれわれの非力さからいえば、よく頑張った』と語った」とあります。また、SNSでは「負けは負けでも良い負け方だった」「すがすがしい戦いだった」などとおっしゃる方もいました。
◆鈴木さんを応援している方のSNSなど覗いてみると、鈴木さんがいかにステキな人であるかを語っている向きがけっこう多いのに驚きます。告示直前ギリギリの立候補で、どういう人だかよくわからない、という状況だったのに、選挙に入ったらいきなりすばらしい人間だとわかっちゃう、というのは、ものすごく直感的に人を見る目があるのか、それともものすごく簡単に人を信じちゃう性格であるのか。
◆実際のところ、鈴木さんを応援していた人たちはおそらく、鈴木さんは良い候補だ、と自分に言い聞かせ続けていたのだろうと推察します。よくわからない人のままでは応援なんかできませんから。その気持ちはもちろん理解できます。
◆しかし、あの負け方を「良い負け方だった」などというのは理解できません。確かに中原さんとの得票差を比較すれば、一見「善戦」だったと見ることができるのかもしれませんが、それにしてもトリプルスコアです。また、得票数を有権者数で割ると、得票率はわずか8.5%弱。これが「善戦」とか「良い負け方」とは、私には全く思えません。また、投票率がここまで下がったのは、やはり立憲民主党をはじめとする野党側の問題だったと私は考えます。
◆「中原市政のままでは新潟は停滞が続く」と主張する、責任ある立場の人もいました。個人的には私もそう考え、投票行動もその考えに沿って行いましたが、中原さんに投票した人や棄権した人も新潟市民です。そういう人たちに、鈴木さんの、そして鈴木さんを支援する団体や人々の訴えは全く伝わらなかった、ということを、やはり率直に認め、反省的に考えなければならないと思います。この敗戦についてこの際じっくりと考え、今後の市政、そして県政・国政を良いものにしていくための糧にしていくことが、今最も大切なのだろうと、私は思います。(つづく)

ブログでトグロ巻きR番外 2022新潟市長選についての感想①、②(Facebook02.10.26)

2023-03-30 13:57:23 | ブログでトグロ巻きR
 2023統一自治体選挙がいよいよ明日から始まります。市民・県民生活向上のため立候補される方々には心より敬意を表します。
 で、昨秋に新潟市長選挙についてFacebookに書いたものを改めてアーカイブ的にこちらにも掲載します。投票の参考になるかどうかはわかりませんが、まあ、おヒマな折にでもお読みいただければ幸いです。長いので分割しながら上げていきます。
 
【今次新潟市長選についての感想① 選挙低調の責任は野党側にあると思うです】
◆新潟市長選が終わりました。投票率は約32%、現職が新人にトリプルスコアを付けた圧勝で再選しました。正直私は、この間の中原市長は実質的に何もやってこず、また、旧統一協会問題に端的に現れているいわゆる「悪しき自民党的」なものに支えられている人だった、と考えているので残念ではありますが、この選挙結果は当然だと思います。もちろん、無投票を阻止するためにギリギリで候補者を立てた共産党にはそれなりの敬意を表しますが、それにしても今次市長選は、4年前の選挙にもまして全くつまらないというか希望や期待のもてないものだった、というのが私の率直な感想です。
◆4年前の市長選挙も、なんでこの候補が非自公側の推薦候補なのか、と思ったものですが、今次選挙はもうそれどころではなく、選挙戦に入る前から勝敗が見えていた、ということは確かでしょう。こういう状況になった責任は、本来は4年前から候補者の選定や育成をしなければならないなのに、それを全く怠ってきた非自公野党側にある、と私は思います。告示日ギリギリになっても候補者を立てられず、結局自主投票となった立憲民主党をはじめとする野党陣営の力のなさは、やはり指摘しなければなりません。(つづく)

【22.10.26② 今次新潟市長選についての感想② 有能な新潟市議の立候補はなぜダメだったのでしょう】
◆〈承前〉私は、個人的には新潟市議のどなたかが立ってくれたらよかった、と思っています。野党陣営には、青木学さん、石附幸子さん、加藤大弥さん、中山均さんといった有能で経験豊富な市議がいます。上記の方々なら野党・市民統一候補としての魅力・人望もあり経験・年齢的にも据わりがよく、新潟市政の問題・課題を熟知していますから市長として十分な実力があります。
◆そもそも、この4年間の中原市政をあまり評価していなかった議員さんたちは、当然ながら中原さんに代わる候補を立てる義務があっただろう、と思うのです。もし仮に候補がどうしても見つからない、というのなら、自ら出馬するくらいの責任感はあってしかるべきだと思います。例えば、4年前・8年前には、篠田市政に反対する吉田孝志氏が、市議を辞職して立候補し闘いました(私は吉田氏を政治家として全く評価していません。念のため)。仮に落選したとしても、半年後にはまた市議選があるのですから、そこで再起することも可能です(吉田氏は現にそうしました)。
◆そういう意味で、上記の方々のどなたかが立候補してくれなかったことを、心から残念に思っています。また、なぜ立候補できかった・させられなかったのか、その理由も聞きたいところです。(つづく)

ブログでトグロ巻きR番外 22.09.17 オブナイ近況

2022-09-17 10:07:25 | ブログでトグロ巻きR
◆この冬に転倒して左肩と腕を複雑骨折した母親は、亀田第一病院で入院・手術・リハビリを経て春に無事退院しました。今は要介護1に認定され、リハビリのデイケアに通う日々。認知症も心配な状況でしたが、何とか暮らしています。父親は、頭はまだそれなりにしっかりしているようですが、耳がすっかり遠くなり、意思疎通が面倒くさくなっています。
◆両親とも今年85歳になり、判断力も鈍ってきていろいろ生活に困ることも増えているので、ちょくちょく実家に顔を出しては郵便物の確認や必要な物の確認・買い出しなどの世話をしたり、ケアマネージャーさんとの連絡などしています。今はなんとかなっているようですが、油断せず見守る毎日です。
◆まあ、そればかりで全ての時間を取られているわけでもなく、家で洗濯・掃除などしつつ、おうたのかい活動(月末ライブの練習は声が出なくてもう大変)をメインに遊んでいます。実家へ行っている日も、午後遅くからは時間が空くことも多いので、美術館へ行ったり酒吞んだりもしています。ただ、同時に複数の作業をすることが苦手なため、文章書き(エッセイ・小説書き)は激しく滞っていますが、これは月末ライブが終わるまでは仕方がなく、上記の合間を縫って少しずつ、できる範囲で取り組んでいます。
◆こんなザマですが、お仕事は可能な限りお断りせず受けていこうと思っています。てなわけで、私にもできるお仕事をぜひお恵みくださいますようお願いしますm(_ _)m。ついでに、おうたのかい活動の応援も♫

ブログでトグロ巻き26 安倍元総理銃撃事件を許さない

2022-07-08 16:15:32 | ブログでトグロ巻きR
◆あるFBFが「選挙中に元首相が銃撃されるなんてどこの国の話だよ」という記事をアップしていました。政情不安な某国々ならまだしも、平和なはずの日本で、という気持ちは全くよくわかります。
◆しかし、幕末から戦中まではもちろん、民主主義国となったはずの戦後でも、実は暗殺・テロが頻発しています。下山事件、三鷹事件、浅沼稲次郎刺殺事件、三菱重工ビル爆破事件、三木武夫首相襲撃事件などはもうだいぶ古い事件になりましたが、1987年の朝日新聞阪神支局銃撃事件(赤報隊事件。未解決)、1990年の長崎市長銃撃事件、2002年の石井弘毅・民主党代議士刺殺事件、06年の加藤紘一・自民党代議士宅放火事件、07年の長崎市長射殺事件などは比較的最近のことです。政治テロではありませんが、01年には秋葉原通り魔事件、08年には池田小襲撃事件、16年には津久井やまゆり園事件といった無差別殺傷事件も起こっています。
◆こう見ると、実は日本社会にも、テロや暗殺事件に繋がる何かが水面下にうごめいている、と言えるのかもしれません。
◆03年には、北朝鮮との国交交渉担当だった田中均・外務省審議官の自宅に「爆弾を仕掛けた」との脅迫電話・不審物発見の際、当時の石原慎太郎都知事が「そんなのは当たり前だ」とテロ行為を容認する発言をしています。政治的に対立する気にくわない人物は、テロで死んだってかまわない、という趣旨の発言で看過できませんが、この発言の後も石原氏は取り立てて厳しい批判を受けることもなく、その政治家人生を全うしました。また、赤報隊事件については、一部の(と思いたい)「ネトウヨ」的人々が「朝日はやられて当然」といった言説を未だに振りまいていたりもします。
◆こういう事例や、今次安倍元首相銃撃事件の報を見聞きするにつけ、実は日本社会の底流には、左右を問わず、政治的に気にくわない人物や問題はテロで手っ取り早く消し去ってしまえばいい、と考える人が(わずかとは思いますが)いるのではないか、という恐怖を抱きます。
◆しかし、民主主義が確立されておらず政治的に未熟だった戦前社会ならいざ知らず、「殺し合いを避けるための知恵」とも言える民主主義を真っ向から否定する暗殺・テロ行為は、繰り返しになりますが左右を問わず絶対に許してはなりません。安倍元総理はその在任中、お友だち仲間うち優遇の違法・脱法行為の数々、国会での虚偽答弁の数々、安倍氏の意を受けた官僚による公文書改竄とそれをやらされた末端職員の自殺、安保法制改悪をはじめとする国会・野党・国民軽視の数々の悪法成立、「アベノミクス」と称するお金持ち肥大化・格差拡大の経済制策など、首相としては失格でした。しかし、だから「殺してもいい」ということには絶対になりません。逆です。しっかり生きてもらい、その行為を検証し責任を追及し、必要なら刑事罰・民事罰を与え、その責任を取らせることこそが必要なのです。
◆最後に繰り返します。どんなに悪辣な人物であっても、絶対に殺してはならない。どんな理由があっても、テロは絶対に許されない。

ブログでトグロ巻きR その25 きのうの職場の職員会議での校長と私とのやりとり

2020-09-18 14:56:10 | ブログでトグロ巻きR
 きのうの職場の職員会議。月末に行われる前期卒業式の件で、
◆校長「国歌斉唱の際は、不起立のないようにお願いします」
◇オブ「質問です。新型コロナ感染症対策の観点から、校歌斉唱は省略、式後の卒業生を送る会でも、例年やってた教職員からの歌のプレゼントも省略、なのに君が代は歌わせるって、どういうこと?」
◆校長「(絶句)……」
◇オブ「君が代は、歌っても飛沫が飛ばないんですか?」
◆校長「(しばらく絶句)……送る会の歌は、対面なのでよくないが、君が代は対面ではないので……」
◇オブ「(だったら校歌だって対面じゃないよな、と思いつつ)全然合理的な説明になってないし、別に逆らいはしないけど(⇐逆らったら処分なんでね。退職金を減額されたら困るんで😥)、それでは納得できませんよ」
というやりとりがありましたとさ。
 まあ、校長もこの件の矛盾はよくわかってる様子がありありなので、実質「中間管理職」な立場ではどうにもならんのだろうな、と同情はしますが、それにしてもねえ。
東京都教委だけじゃない、新潟県教委も県校長協会も思考停止というかなんというか。

ブログでトグロ巻きR その24 我が職場にも「改革」がやってきた

2020-04-02 22:35:06 | ブログでトグロ巻きR

 2020年度が始まりました。我が職場(高校通信制課程)では本日職員会議があり、通信制をもり立てるための「改革」を始める、という提案が管理職からなされました。曰く地域連携、曰くキャリア教育、曰く生徒の学習意欲を高める新機軸の授業、等々(ほかに、これまでのPCによる「古い」事務処理システムそのものを全く新たなものに切り替える、という提案もありました。実務的にはこっちの方が大変そうかも)。

 確かに、今の高校に求められているのは、手っ取り早く成果が目に見えるような「改革」なのかもしれません。何しろ、上は国から下は地域社会まで「改革」が合い言葉みたいになっているので、公的教育機関である高校に「改革」圧力がかかるのはある意味当然なのでしょう。

 しかし、私はそういう「改革」には正直ついて行けません。というか、今までのやり方でそれほど困ってもいなかったのに、ある日突然「今のままではダメだ、『改革』が必要だ」と言われてもねえ。

そもそも私は「改革」なるものが大嫌いです。極端な「改革」は、基本的に単なる「破壊」もしくは「混乱」であることがほとんどですし、その「改革」が実行されたとき、その利益を得る人はごく少数だったり、「改革」を主導した人たちだけがご満悦な「自己満足」的なものであったりするからです。私たちができるのは、日々の営みの中で改善点を見つけてその都度少しずつ「修正・改善」していく作業なのであり、また、そうであるからこそ大きな混乱を引き起こすことなく、社会や職場をよりマシな方向へもっていくことができるのだろう、と思います。それでも「改革」が必要だ、というなら、それはこれまで日々発生していた問題を小さなうちに修正する作業を怠ってきた、という証明になってしまうのではないでしょうか。

 だいたい、我が職場である高校通信制課程に所属する生徒の皆さんの住所は極めて広域に及んでいます。学校が立地する地域の地元エリアの企業(というかお店)と協力してキャリア教育を行うとか新たな商品開発をするとか管理職は言っていましたが、そういう活動に参加できるのはそれこそ学校の近くに家があるごく少数の生徒でしょう。大多数の生徒にとっては「自分にゃ関係ないもんね」ということになるのでは、と私は心配しています。

 新しいことを一切するな、と言っているわけではありません。ただ、我が職場には様々な考えの教職員やそれぞれの事情を抱えた多くの生徒さんがいます。そういう人々の一部でも「ついて行けない」と思わされるような「改革」は、やはり何か問題があるのではないか、と言っているだけです。しかし、この「改革」の動きは止められないのでしょう。おそらく新潟県教委、ひいては文科省からの「改革」圧力がかかっていることはほぼ間違いありません。今回提案された「改革」案は、2020年度末、遅くとも2021年度末には完成させたいそうです。私は定年まであと2年ですが、正直、あと1年、2020年度末で退職しなければならないのかな、と半ば覚悟を決めています。

 というわけで、今年度いっぱいで退職、ということになったなら、さすがに一定程度の収入は必要なので、どなたか私を雇ってくれないでしょうか。上下肢不自由で障がい2級、PCスキルはWordは人並み、Excelは全然だめ、なぜかInDesignは使える、手書きの字はそこそこマシ、ミニコミ雑誌編集はそれなりにできる、という人間です。フルタイムでなくてけっこうです。どうかよろしくお願いします。