9月13日の晩、新潟市中央区のクロスパルに、映画「アジアの純真」を観てきました。シネ・ウインドのツネちゃんや賢作さんたちが緊急上映会を企画したので、そこに行ってみたわけです。
私は、実はあんまり映画を観ないので、映画を語る言葉を持っていません(というか、小説にしろなんにしろ「批評」というのはとても難しい、と思っています)。ですから、ここに書く文章もあくまで私の「感想文」に過ぎず、およそ「批評」の水準にない、ということはあらかじめご容赦ください。
この映画、冒頭から私の心になんとも言えない〝いたたまれなさ〟を感じさせます。2002年の小泉総理訪朝と金正日総書記の拉致を認めての謝罪、拉致被害者の生存者の帰国と死亡発表、そんな中で北朝鮮非難が日本国中で湧き上がり、朝鮮学校の児童・生徒が登下校中に暴行を受ける事件が相次ぐ、そういうご時世で、一人の朝鮮学校の女生徒が駅の地下道近くで暴漢に襲われる。その少女は、主人公の一人である少年がチンピラ少年たちに絡まれているのを助けてくれた少女だった。その少女が暴漢に殺されていくのを、見て見ぬふりで通り過ぎる日本人たち。主人公の一人である少年も、恐ろしさに何もできず、ただ見ているだけ。その少年の無様な姿、視線ををそらして行き過ぎる人々を見て、私は思うのです。「ああ、この少年はオレだ」、と。
ひどい差別があっても、見て見ぬふり。それどころか、その差別を肯定し、あろうことか面白がって拡散していくヤツ、さらにえげつない差別言動を行うヤツも大勢いる。それは2019年の今の日本の姿です。10年前に公開されたこの映画の中の状況は、現実の私たちの社会では、今むしろ悪化して存在しています。
(続きます)
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