妄想系乙女の末路
http://blog.goo.ne.jp/icecreamscream
そんなワケで、前エントリー妄想系乙女さんをもう一度カモン。こうした秀逸なブログは平民新聞同様アレコレ言わず、読んだほうがいいに決まっている。ヘタに解説なんかしたらカッコ悪い。そんなことより面白いエントリーをパクッてネタにしたほうがいい。それはそうするつもりだけど、まあ、いいじゃん。で、「20代半ばの女の子が女性に向けてメッセージを発信しているのだろうか」と推測して、その後バックナンバーを読み進むと管理人のやのさんが「少女漫画で育った」と言っていた。そこで太った中年はピーンときた。「ははん、やのさんはブログの大島弓子だったのだ」、と。では、大島弓子とはいかなる少女漫画家なのだろうか。
(以下、大島弓子某著作のあるブックレビューから一部引用)
この社会は男の人のために作られている。
女の子は将来、妻、そして母、という役割を求められている。
それこそを誇りとして生きることを求められている。
女の子、その時点では、この社会の無用の長物。
その女の子が考える。
どうして、欲望の対象に、妻に、ならなくてはいけないのかしら。
どうして、誰かに従属しなくてはいけないのかしら。どうして、家族を、社会を、支えなくてはいけないのかしら。
そう考え続ける先は負け戦なのか?
-否!と大島弓子は考えた。だからマンガを書きながら考え続けた。
母を殺したり、
母は母でなくなったり、
男の子は男色家(=女の子を必要としない)になったり、
死んだ側からのぞいてみたり、
動物の側からのぞいてみたりした。その思考のすべて。 (引用以上)
上記のようなことをやのさんは実生活を通じて哲学的な思索を続けているワケで、例えば、前エントリーで取り上げた「ブスな女」。ちょっと考えればわかるけど「ブスな女」の明確な基準なんてあるワケがない。ブスとはそれぞれの感覚や観念の問題なのである。太った中年は、「ブスな女はブスな女」といったトートロジーがオジサンのブスな女に対する思考の限界である、と言った。やのさんはそこを一歩も二歩も踏み込んでブスな女について考え続けている。その過程でそれまで信じていたことを疑問に思ったり価値が逆転するだろう。但し、正しい答えなんかはない。いやぁ、スゴイ女の子だ。拙者の愛を受け止めてくれ。
突然の愛を告白したところで怒濤の毎日0:00更新をちょっと休憩する。今月は何故か忙しい。
近いうちに会おう、ではでは。