「あたごさん」こんな言葉聞いたことありますか。 JR吉備線と旧山陽道が交差している所にある板倉踏切の傍に小さな祠があります。それがわが町の『愛宕さん』のお社です。 江戸時代には、旧山陽道板倉宿は、この一帯に東西に約1000mに渡って位置していたようですが、今は、昔を偲ばせるような佇まいは何一つと言っていいほど留めてはいません。ただ、軒の低い家並みが、当時の宿場の賑わいを留めているに過ぎません。 その名残のひとつといっていいのが、この祠、『愛宕さん』です。今だに町内の人たちが、昔ながらに7月23日に、幟旗,提灯を掲げ、僅かながらにお祭りを続けています。
しかしながら、どうして、このお祭りをと言う事は、今では人々の口に膾炙されることもなく、ただ、形式的にお祭りだけが延々と続けられております。それで結構ではないかと思います。
「ものには形でなく心が留まっておれば、それが存続の条件になる」 と誰かが言っていますが、その通りだと思います。
理屈では説明でできない何かがこの世の中にはあると思います。そんな風習を大切にしたいものです。
(このいいようには少し自身がありません。ご意見をどうが)