私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

板倉の宿

2006-07-29 18:15:15 | Weblog

 江戸時代の山陽道について調べてみました。 当時の地図など、余り詳しくは分りませんが、藤井俊先生の「吉備津神社」(岡山文庫52)によると、江戸中期ごろになると本陣、脇本陣が一軒づつ置かれ、はたごの数も70軒,その他茶屋も相当あったようです。飯盛り女も相当数いたようです。今はその面影は何処を捜してもなく、ただ、道に沿って続く軒の低い家並の中に、往時の面影をしばしとどめているに過ぎません。吉備津神社の付近の宮内と並んで、江戸時代の山陽道の中で、一番隆盛を極めていた宿場町であったということです。

 この板倉の町には、当時芝居小屋が、例の「あたごさん」の下手に立てられていたと言う事です。この芝居小屋の火災予防のために、この祠が作られたのではないでしょうか。
 このあたごさんの上手の家を最近になって壊したところ、軒垂木にやけだだれた跡が見られたと、その屋のご主人が言っておられました。

 古老の話ですと、この地にはもう一軒の芝居小屋もあったと言う事です。宮内にも一軒あったそうですから、この地がいかに繁昌していたかがうかがえると思います。

 


かき氷の味?

2006-07-29 13:16:11 | Weblog

 “かき氷”と聞きますと、自然に遠く過ぎ去った昔が思い出されます。 
 

 もう何年も使っているのでしょうか、下の部分が少々破けて、軒の深い麦わら屋根のみすぼらしい店先の入り口に立てかけてある竹ざおの先に、ぶら下がているあの旗がまず目に浮びます。
 その旗の赤い「」と言う字だけが、やけにぎらぎらと輝いていつも見えていました。
 10銭かそこらあたりのの値段だでしょうか、でも、毎日買ってもらえるわけではありません。まあ10日に一回ぐらいあればいいほうです。それを手にしっかりと握り締め、小走りで懸けていった夏の日が、ついこの間のように思い出されます。
 ねじり鉢巻をして、首にはいつも小汚いタオルをかけた『しいやン』と呼ばれていた初老のおじさんが、青ペンキかなにかを薄汚く塗ってある小さなガラス窓越しに、手回しの器械で、ガラスの一寸洒落た色つきのお皿に、ガラガラシャッシャ、ガラガラシャシャと削ってくれ、瞬く間に、その器に山もりにかき氷が積もって行くのをいつも眺めていました。
 「もう少し高くなれ!」
 子供心にいつもそんな思いで、うず高くなる白い氷を見つめていました。
 それから、しいやんが、アルミの蓋がしてあるガラスの入れ物に入っている赤と黄の蜜を、これもアルミ製の小さいひしゃくで掬い上げ掬い上げして、かけてくれます。
 白い氷の山が、その掛け蜜によってやや低くなるのを不思議な世界の中に引き込まれるようにして見つめていました
 その出来た色のなんて美しいこと。スップンだったと思うのですが、そんな洒落たものが、私の田舎にあったかどうか記憶には残っていませんが、その赤と黄の色をした氷を掬い取り、一口、口に入れたときの感動はいつまでたっても忘れられないものです。
 甘さと冷たさと同時に、私自身の幸福感も満足感もなんもかんも、みんなぐちゃぐちゃに、一緒くたになって味会うことができたように思われました。

 この"かき氷"という言葉を耳にすると、いつも、こんな遠い昔の風景が、頭の中で、飛び回っております。