次に、おせんが政之輔に逢ったのは桜の馬場での会が行われる3、4日前です。最終打ち合わせのお稽古が終わってから師匠の家を出ての帰りです。
「おせんさんでっか」
と言う、まだ、幼い使いぱっしり風な男の子です。
「これふくろうの先生からだす。受け取ってもらえまへんやろか」
と、紙切れを渡し、あっという間に小走りにいんでしまいます。
その紙切れには、明日、申の刻に松の葉まで、お出でくださいと書かれていました。最後にちょこんと書いている「御出被下候 ふくろう」と言う字が、前までは「なんてへたくそな字やねん」と、思っていたのですが、今、つくづく見ると、何となく頼もしいようなうれしいような、なかなかしっかりとした力強い字のように思えます。
すると、なんだか明日が、急に、待ちどうしいような気にさへなります。
2回目の松の葉です。
「ふくろう先生、先ほどからお待ちどす。どうぞ」
と、女将に案内されます。
「ああ、やっと逢えました。この2、3日、結構小忙しくててんてこ舞いしとったんどす。ちょっと怖いおじさんにも会ったりしたもんですさかい。・・・・おせんさんの会も近づいてきよりましたな。・・・逢えて本当によかた。この前、ここで女は損だと、おせんさんが言わはりました。あれからずーっと、考えていましたのや。なかなかいい考えが浮かんできよりへんのどすが」
と、しばらくおせんの方を見ながら言います。やや間を置いてから、急にさびそうに一言一言噛みしめるように言います。
「それから、おせんさんの琴、聞きに行けんよういなってしもうたんどす。4、5日京までちょっと行かならん用事が出来たもんで。それも許してもらおうと、今日は来てもろうたんどす」
女将さんが出来上がった料理を運んできます。
「せっかくでおますよって、特別に今日は、こいさんのお琴がうまいこといきますようにという前祝もさしてもらいます。ふくろうの先生にはしかられるかも知れへんのどすが、おささ一本だけつさせて貰いましたぇ」
ふくろうの先生はちらりとお酒の燗を見ましたが、そのまま話します。
「おせんさんは、この前、女は損やと言わはりましたな。ずーっと考えておったのです。女と言えば、私には母しかおれへんのどすが、そこからしか考えることができまへん・・徳川さまの貧乏役人だった父と私のためにしか生きてはいなかったようです。・・・父がいなくなってからは、特に、私のためだけに生きていたかのようどした。長崎に行って間に、何もいわんと、勝手に一人で父の所に行ってしまいました」
と、話します。
針が立つものでしたからご近所の人にお裁縫を教えながらして生計を立てていたこと、大塩先生や父などのその仲間を何処までも追い詰めていた目明しの親分銀児の影におびえながら、息を詰めるようにして生きていたことなど話します。でも、女を殊更に意識してはいなかったようだったとか、それが女として当たり前だ、普通のことだと思っていたことなども。
女将も、手を休めて、ふくろう先生のえろう本気な話に耳を傾けています。
まだ12,3歳の頃、父の友人である大塩先生の高弟である松浦さんから聞いた話をします。
唐の国の玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇を歌にした白居易という人の「長恨歌」があります。その中で、比翼の鳥と連理の枝という、女と男が言い交わした最高の恋の言葉あります。
男と女は、結局、この比翼や連理に他ならない、強く結びついてお互いに思い合いながら生きていくことになるのだから、男はいいとか女がいいとかと言うことにこだわる必要がない。損だ得だという考え方はせんほうがいいのとちがうのやないか。
「これをおせんさんに言いたかったのです。それが女将が言った一生懸命と違いますやろか」
それまでは黙っていた女将は、政之輔の女将と言う言葉を聞いたからかも知りませんが、
「まあ、ふくろうの先生ったら、わたしという女がいてますのに」
おほほと、笑いながら言います。そして、「まま、ひとつい」と、徳利を政之輔に差し出しながら、
「こいさん。恋しいお人に、今度のお琴を聞いてもらえず、張り合いがおへんでしゃろが、しっかり弾いておくれやす。ふくろう先生の分まで、しっかりとあてが聞かせてもらいますよって、安心して弾いておくれやす」
「おいおい女将、へんなこといわんといてぇな、恋しい人だなんて、そ、そんなんじゃああらしましへんで」
女将の差し出すお酒を受けながらは政之輔は真顔で言います。そんな政之輔を無視するように、
「お二人さんはお似合いの比翼の鳥と、もう一つなんといわはりましたかな、何とかの枝でおます。うふふ・・・ごゆっくり」
と、笑いながら出て行きます。
「おせんさんでっか」
と言う、まだ、幼い使いぱっしり風な男の子です。
「これふくろうの先生からだす。受け取ってもらえまへんやろか」
と、紙切れを渡し、あっという間に小走りにいんでしまいます。
その紙切れには、明日、申の刻に松の葉まで、お出でくださいと書かれていました。最後にちょこんと書いている「御出被下候 ふくろう」と言う字が、前までは「なんてへたくそな字やねん」と、思っていたのですが、今、つくづく見ると、何となく頼もしいようなうれしいような、なかなかしっかりとした力強い字のように思えます。
すると、なんだか明日が、急に、待ちどうしいような気にさへなります。
2回目の松の葉です。
「ふくろう先生、先ほどからお待ちどす。どうぞ」
と、女将に案内されます。
「ああ、やっと逢えました。この2、3日、結構小忙しくててんてこ舞いしとったんどす。ちょっと怖いおじさんにも会ったりしたもんですさかい。・・・・おせんさんの会も近づいてきよりましたな。・・・逢えて本当によかた。この前、ここで女は損だと、おせんさんが言わはりました。あれからずーっと、考えていましたのや。なかなかいい考えが浮かんできよりへんのどすが」
と、しばらくおせんの方を見ながら言います。やや間を置いてから、急にさびそうに一言一言噛みしめるように言います。
「それから、おせんさんの琴、聞きに行けんよういなってしもうたんどす。4、5日京までちょっと行かならん用事が出来たもんで。それも許してもらおうと、今日は来てもろうたんどす」
女将さんが出来上がった料理を運んできます。
「せっかくでおますよって、特別に今日は、こいさんのお琴がうまいこといきますようにという前祝もさしてもらいます。ふくろうの先生にはしかられるかも知れへんのどすが、おささ一本だけつさせて貰いましたぇ」
ふくろうの先生はちらりとお酒の燗を見ましたが、そのまま話します。
「おせんさんは、この前、女は損やと言わはりましたな。ずーっと考えておったのです。女と言えば、私には母しかおれへんのどすが、そこからしか考えることができまへん・・徳川さまの貧乏役人だった父と私のためにしか生きてはいなかったようです。・・・父がいなくなってからは、特に、私のためだけに生きていたかのようどした。長崎に行って間に、何もいわんと、勝手に一人で父の所に行ってしまいました」
と、話します。
針が立つものでしたからご近所の人にお裁縫を教えながらして生計を立てていたこと、大塩先生や父などのその仲間を何処までも追い詰めていた目明しの親分銀児の影におびえながら、息を詰めるようにして生きていたことなど話します。でも、女を殊更に意識してはいなかったようだったとか、それが女として当たり前だ、普通のことだと思っていたことなども。
女将も、手を休めて、ふくろう先生のえろう本気な話に耳を傾けています。
まだ12,3歳の頃、父の友人である大塩先生の高弟である松浦さんから聞いた話をします。
唐の国の玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇を歌にした白居易という人の「長恨歌」があります。その中で、比翼の鳥と連理の枝という、女と男が言い交わした最高の恋の言葉あります。
男と女は、結局、この比翼や連理に他ならない、強く結びついてお互いに思い合いながら生きていくことになるのだから、男はいいとか女がいいとかと言うことにこだわる必要がない。損だ得だという考え方はせんほうがいいのとちがうのやないか。
「これをおせんさんに言いたかったのです。それが女将が言った一生懸命と違いますやろか」
それまでは黙っていた女将は、政之輔の女将と言う言葉を聞いたからかも知りませんが、
「まあ、ふくろうの先生ったら、わたしという女がいてますのに」
おほほと、笑いながら言います。そして、「まま、ひとつい」と、徳利を政之輔に差し出しながら、
「こいさん。恋しいお人に、今度のお琴を聞いてもらえず、張り合いがおへんでしゃろが、しっかり弾いておくれやす。ふくろう先生の分まで、しっかりとあてが聞かせてもらいますよって、安心して弾いておくれやす」
「おいおい女将、へんなこといわんといてぇな、恋しい人だなんて、そ、そんなんじゃああらしましへんで」
女将の差し出すお酒を受けながらは政之輔は真顔で言います。そんな政之輔を無視するように、
「お二人さんはお似合いの比翼の鳥と、もう一つなんといわはりましたかな、何とかの枝でおます。うふふ・・・ごゆっくり」
と、笑いながら出て行きます。