筆敬氏から又もメールです。
「おめえがけえておるように、黒日売は、その父親の差し向けた船で帰国したのじゃありゃあへんぞ。かんげえてみねえ」
と、そのわけが書いてあります。彼曰く、
古事記には、「然畏其大后之嫉(しかれども そのおほぎさきの ねたますをかしこみて)。逃下本国(もとつくにに にげくだりにき)」と書いてあります。要するに、黒日売は、石日売の激しい嫉妬を恐れて、大急ぎで、取るものも取り合えず逃げ帰ったはずです。そんなに父親の船が難波津に入ってくるのを、悠長に、待って居る暇なんかないはずです。一刻も早く大后のいる宮殿から逃げ出す必要があり、そんな切羽詰まった時、兎に角、港にいた西行きの船に飛び乗って帰国したのです。だから、大后の派遣した兵に、既に、海上に出ていた船にいたにも関わらず、すぐ黒日売は捕まるのです。
「どうだ」と言われるのです。
でも、こちらからも、「かんげえてみねえな」と、今度ばかりは、逆に、筆敬氏に言いたいのです。
というのは、その黒日売が乗った船が港を出て行くのを仁徳天皇は、こっそりと見送っているのですよ。そうであるとするならば、その帰国については、天皇は、とっくにご存じの筈であったと思えます、天皇の思惑が、その出船には、相当含まれているように私には思えるのです。そうでなかったならば、宮殿の高台に上って、黒日売の出舟を見送ったりはできないと思います。いくら急いだとしても、そこら辺りはやはり天皇です。内密の策略は十分に整えて居ったのではないでしょうか。私は、黒日売は、父親の船で帰ったのだと信じています。吉備海部直です。吉備の海一帯を、いや瀬戸内一帯を支配していた海賊の棟梁だったのです。強力な勢力を備えていたこと疑いなしです。
でも、黒日売の乗った船が、父親の船であったとしたら、どうして、黒日売は、そう易々と、大后石日売命に捕まって、船から降ろされて歩いて吉備の国まで帰る羽目になったのでしょうか。これもちょっと不思議ですね。その理由についても古事記には、何も書かれてはいません。
この辺りの謎解きは、いまだかってした人はいないと聞いております。だから、敢て、私がそれに挑戦しようと思うのです。さて、此の結末は、如何になりますやら。