今迄に書いた岡田屋熊次郎についていろいろと誤りが見つかりましたので、今日はその訂正です。
先ず、その1。
誠に、どうしてこんな初歩的な過ちを犯したのか、私自身も不思議に思っているのですが、その名前です。「くまじろう」には違いはありませんが、その字に違いがあるのです。
私は熊<次>郎だろうと初めから思いこんでいたので、そう書いていたのですが。本当は熊<治>郎が正しいのだということが分かりました。片山墓地にある彼の墓碑を見れば一目瞭然です。その墓碑の右側に「居士 嘉永五子正月八日岡田屋熊治郎」と刻み込まれています。また、片山町にある彼が寄進した常夜灯の石にも、願主岡田屋熊治郎とあります。彼の位牌にも、やはり『熊治郎』と書きこまれているのだそうです。
なお、新庄上にある庚申山参道脇(階段の登り口左)に彼が寄進した石造猿がありますが、その台坐の石に彫り込まれている字には「岡田屋熊次郎」と<次>と言う字が書いてあります。念のために 。また、庭瀬にも彼が寄進した常夜灯があると聞いておりますので、その台坐に刻まれている彼の名前があると思いますから一度確かめてみたいと思います。
どうして、場所によって治と次を使い分けていたのかそこらあたりも推理してみたいものだと思います。閑をもて余す年老いた男の思いです。
続いて、その2
吉備津神社の回廊脇にある石燈籠(常夜灯)を熊治郎の娘「きくえ」が寄進したと書いたのですが、これも誤りでした。
その正面に彫り込まれている字には「奉灯 願主橋本屋磯野」とあります。ここに刻まれている「橋本屋磯野」とは熊治郎の妻なのです。妻の名にして常夜灯を寄進した理由は、昨日、私が推理した通りだと私は確信しているのですが。
熊治郎について、大分調べたつもりですが、このような初歩的な過ちが在りましたので訂正して、お詫びします。