未来への便り アドバンス

学校職員を定年前に辞めました。そして株式会社を設立しました。AIを学びながらブログの記事をアップします。

アルバイト回想記<続き>

2006年12月09日 17時36分24秒 | NETネタ-Myブログ
この記事は、ジョブデパ協賛のブログ記事コンテストにエントリー中です。

あなたの探している希望の仕事がきっと見つかるジョブデパ
あなたの探している希望の仕事がきっと見つかるジョブデパ

シェアブログjobdepaに投稿

昨日予備校でのアルバイトの体験を書いた。
新しい時代の予備校

 それをきっかけに大学生時代にやったバイトの数々を思い出してきた。
高額の報酬にあこがれてはじめたのが、百科事典の訪問販売。そう、あの世界的に有名なイギリスっぽい名前の百科事典を売り歩くのだ。ろくに説明も受けずに、名簿を渡され一軒一軒ピンポン。百科事典の販売員であると名乗るとまず相手にされない。一日中歩いて、最後にはほんとに屈辱感に打ちのめされて帰ってきた。3日もしたらいやになってやめてしまったという苦い体験がある。

 でも今になって考えてみると、はじめから「こいつは使えない」と思われたのに違いない。だってろくにセールスのやり方も教えないで外に出されたわけだからね。おそらく、嗅覚のようなものがあって、一目でやれるかやれないか判断がつくというのではなかろうか。今ならそう思えるが、当時は若かったので、ずいぶん落ち込んだものだ。

 それから立ち直るために次に選んだのが、デパートのディスプレイを作ったり、住宅メーカーの家の模型をアクリル板で作ったりする工芸店でのバイト。そうガテン系を選んだわけだ。アルバイトニュースで見つけて応募、同時に4人くらいが採用になったと思う。締め切りがあり深夜まで続くきつい仕事だった。1週間で他のバイトはやめたが、私には意地もあり、なんとか続いた。接着に有機溶剤を使うし、電動工具は使うし、わけのわからない樹脂も使うという、とんでもない工房だったが、妙に私の性分にあったらしく、結構楽しかった。夏休みのほぼすべてを、そのバイトに費やしたが、最後の頃には先輩たちにもかわいがられた。そのうち身の上話も聞くようになったが、だいたいが美大出身者で高校の美術の教師を辞めて働いている人、芸術家を目指していたが食えなかった人など、今振り返っても、なんかドラマのある人が多かった。大学の授業が始まったので、バイトはやめたが、その後、バイトを続けないかと下宿に電話があった時は、ちょっとうれしかった。
 
 主に担当したのが、上野松坂屋で開催された「イギリス展」の古城作り。石垣を作ったのだ。発泡スチロールに色をつけた樹脂を厚く塗ってそれらしく見せた。開催日前日の深夜はデパートでの作業。明け方作業を終えて、外に出たときのすがすがしさは、今でもはっきりと覚えている。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする