円ジョイ師匠とセタッシーの時事ネタ

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祝!ケンタッキーチキン創業日

2012-07-04 07:34:02 | マスター独り言
本日!創業記念日!7/4ケンタッキーチキンが食べ放題!
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2069680&media_id=119

動くカーネルサンダースの貴重映像
http://www.youtube.com/watch?v=II3sc7bTRHw&feature=youtube_gdata_player

ケンタッキーが日本に初めて進出したのは、1970年(昭和45年)の7月4日大阪万博。月の石で数多くの観光客を集めた「アメリカ館」の横に、実験的に店をオープン。鮮やかな紅白を基調とした、おしゃれな外観と、唐揚げとも違う、アメリカの珍しい食べ物に、-客足は集中!フライドチキンを目当てに、4時間待ちの行列ができるほどだった。同じ年の11月、名古屋に一号店をオープン。これが、記念すべき、日本初の外資系ファストフード店となった。「手羽先から揚げ」で有名な名古屋から、全国に「フライドチキン」を広めていく作戦。しかし...結果は散々だった。当時、フライドチキンの値段は、1個100円。かけそば1杯40円の時代としては、決して安いとは言えず、名古屋の一号店は、わずか2年で閉店を余儀なくされた。1971年(昭和46年)、ファストフード界の巨人「マクドナルド」が日本上陸。彼らが一号店に選んだ場所は、銀座の一等地。マクドナルドの知名度は一気に全国区となった。味には自信があるものの、苦戦がつづく、ケンタッキー。1972年(昭和47年)、創業者のカーネル・サンダースが来日。82歳という、高齢のため、すでに経営の第一線からは退いていたものの、その情熱が衰えることはなく、精力的に各地の店舗をまわり、フライドチキンの味をチェックをした。1973年から始めた、クリスマスCMの効果で、フライドチキンは、クリスマスシーズンに、最も売れるようになった。そして1977年、ケンタッキーは、巻き返しを図るべく、新たな戦略に打って出る。ファストフード店では、日本初となる「ドライブスルー」の店舗をオープンしたのだ。さらに、1985年には、「パーティーバーレル」という、日本オリジナルの商品を発表!一つの箱の中に、「チキン、サラダ、アイス」が入ったパーティー向けの商品を出すことで、「クリスマスには、ケンタッキーのチキン」というイメージが、より定着していった。
(記事より)

円ジョイが子供の頃、地元の成城や二子玉川にもケンタができてカーネルサンダース本人が来店したのを記憶してる(笑)

何故か双子のカーネルサンダースがいる現在の二子玉川店

1970年代のチキン1個100円は子供には大金だったため、貧しい円ジョイ少年は内臓を揚げたレバー&ギザード1個30円を買っていた。
(このメニューの復活希望)
世の中に、こんな美味しいものがあったのか!とアメリカ素晴らしいと安保反対を叫びながらむしゃぶりついたものだ(笑)

現在、50歳をこえてフライドチキンとか体に負担だが、時々食べたくなるよねー

子供ノ頃に食べ放題があったら、どんなに幸せだったか思う

皆んなはフライドチキン好きです。か?