高校時代からのクラスメートの伴侶の葬儀が続いた。どのように声をかけてよいのやら悩んではいたが、葬儀に参列して初めて彼らの家庭生活を垣間見ることができた。高校を卒業して50年、年に何回かは顔を合わせ、時には夜遅くまでクラス仲間どうしとして旧交を温めてはいた。
気にはなってはいたが、触れるのを避けていたきらいはあった。病気のことで聞かれたときから、時間が経って時々話題にはなっていたのだがお互いに深入りはしないで交際してきた。釣りの仲間とも似たような付き合いなのかもしれない。お互いに家庭内までには入り込まないでいる。
しかし、晩年は看病に明け暮れたであろうが、多くの友人に囲まれたご主人の通夜の席で初めて素晴らしい人生をともに歩んだことを知らされて安堵の気持ちとともに、息子さんの立派な挨拶に涙が止まらなかった。
先の奥様の場合は、新聞に出るほど活躍されていたのに周りの級友たちは誰も知らずにいた。本人も奥様のことは一言も触れずに豪快に笑っていた。「抗がん剤の治療の合間に家族で旅行をしていた」「やはり男が先に行くべきだな、一人は辛い、飯も用意できない」と寂しく笑っていた。
気にはなってはいたが、触れるのを避けていたきらいはあった。病気のことで聞かれたときから、時間が経って時々話題にはなっていたのだがお互いに深入りはしないで交際してきた。釣りの仲間とも似たような付き合いなのかもしれない。お互いに家庭内までには入り込まないでいる。
しかし、晩年は看病に明け暮れたであろうが、多くの友人に囲まれたご主人の通夜の席で初めて素晴らしい人生をともに歩んだことを知らされて安堵の気持ちとともに、息子さんの立派な挨拶に涙が止まらなかった。
先の奥様の場合は、新聞に出るほど活躍されていたのに周りの級友たちは誰も知らずにいた。本人も奥様のことは一言も触れずに豪快に笑っていた。「抗がん剤の治療の合間に家族で旅行をしていた」「やはり男が先に行くべきだな、一人は辛い、飯も用意できない」と寂しく笑っていた。