ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

無事に抜去済みました

2013-01-11 20:26:04 | 釣り
心配かけましたが、無事にポートの抜去は終わりました。患者カードは記念になるでしょうと言われ看護師さんから頂きました。生半可のポートへの知識の為に色々と不安が募って眠れぬ夜もありましたが、何とか終わりました。いま、麻酔が覚めてきて痛みがでてきました。TVのアタルの格好で左胸をかばっています。生きている証拠だという強がりは止めて、抗菌薬と痛みどめをのみました。

抗凝固薬のワーファリンを服用したままなら、出血が止まらなくなる危険があるということで、昨年のガイドラインなどから4日前から止めると危険は少ないという意見がありで止めていました、が一過性の脳虚血発作を起こした既往を持つ者として、ワーファリンを止めている間に脳梗塞などを起こすのではと正直不安でした。

循環器外科の先生は、ワーファリンを止める一方でリバウンドを防ぐため、その間は半減期の短いヘパリンを投与して脳梗塞の予防をして、ポート当日を迎える方法もある、と言って呉れましたが、4日休薬法にしたわけです。明日からワーファリンを開始します。エックス線の透視台に寝せられて、左前胸部を消毒され、心電図と血圧のモニターがされて、胸から、顔も手術用の布で覆われました。

緊張で血圧が随分と高くなっていましたが、大腸カメラの時も同じようだったと応えて局所麻酔を進めて貰いました。正味15分ほどできれいに血管デバイスは抜去されました。1時間、何事も起こらないかを確かめる為に外来の待合室で安静にして待ちました。初めて執刀医と顔を見合わせた時に「先生が前に勤めていた老健施設で老人医療を研修し、是非大学院に行け、内科もいいと紹介されました」と思い出させてくれました。縁なのでしょうね。念の為に1週間以上経過をみて、釣魚連の新年会の後に抜糸することにしました。

この頃、巷に流行るもの

2013-01-10 14:51:22 | 釣り
カミさんの整形外科通いが続いていますので、毎回近くのスーパーについて行きますが、まだ正月物価が続いているような物価高です。大根半分にカットしたのが149円でした。クロガシラが千円を超えていました。大雪、大しけの影響だけでもないでしょう。

この頃、巷に流行っているものは、物価高についで外で食べ物を食べる外(そと)食いというか歩き食いです。雪の中でも食べながら歩く方が増えてきました。暖かい時には、コンビニの前にしゃがんだりして食べていましたが、寒いせいでしょうか、雪の中を歩きながらパンやおにぎりを食べています。釣りに行けば、外食いしてますね。

外食いは年齢が徐々に高くなって、60台のおやじさんが、買い物用リュックを背負いパンを食べながら私の車の前を横切って歩いていきました。ゴミは捨てないようにと祈るばかりでした。世の中、忙しくなってきたから、という説もあります。

地下鉄を待つ間、乗ってからの携帯やスマホを覗く群、画面を眺めて他人と接触しないように技術は上がってきています。異常に見える社会現象です。特に障害はもたらしていませんが、どうなるんでしょうか。ぶつかった、落とした場合に責任はどちらに有るんでしょう?釣りバスの中でも流行だしています。

留萌の大雪は、北極海の氷の減少のせい?

2013-01-09 17:23:48 | 釣り
留萌JR線が6日間も普通になって、いまだ留萌と増毛の間は開通していないようです。昨年岩見沢の大雪は、皆さんの記憶にあると存じます。これについて、北海道新聞1月7日朝刊では、地球温暖化で北極海を覆う氷が減少すると、日本の冬は寒くなる―。と報道しています。1969年も留萌は大雪でした。

今冬の全国的な寒波や、道内の大雪に影響している可能性が高いというという独立行政法人・海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)の研究によるものです。北極海の一部でノルウェー北部にあるバレンツ海では、2000年ごろを境に冬季に結氷する面積の減少が目立ち始め、以前は毎年12月の平均で海域の50~60%が氷に覆われていたが、同年以降は大半の年で30~50%に減少している。とのことです。

研究チームが同海で結氷面積と周囲の気圧配置を調べたところ、通常はシベリア沿岸部を東に移動する低気圧が、氷が少ない年ほど北極点に近い北寄りのルートを進む傾向にあることを発見。氷がなくなったことで地表付近の気温が変化した影響とみられ、その結果、シベリア高気圧が北極域まで張り出して、より強い寒気を南へと押し出していることを確認した。といいます。

西高東低の低気圧が、シベリア高気圧に阻まれて北海道に停滞するというわけです。流氷がオホーツクを降りてきましたが、海明けが遅れるかもしれません。その結果、釣り会の例会が例年の通り行われても海水温の上昇が遅れるでしょうから、釣れるものが釣れないということになるでしょう。審査方式も1の5にすべきでしょうね。アカハラでもドンコでも何でもオーライにしないと釣りにならないでしょう。

10日振りの初仕事

2013-01-08 16:15:03 | 釣り
暮の28日以来10日振りの初仕事。健診の方を数名診察し、二次健診の方の今後について相談したり、再来の方の診察を続けていた。はじめは、ゆっくり、そのうちにトイレに行く暇の無いほど一気に仕事をしていた。かくして初仕事は順調に滑り出した。

溜まっていた書類の返事を郵送したりの中に、勤務先の町内の会長から町内会新年会の案内状が届いていた、町内会長は所属釣り会の代表幹事のM岸さん。出席したいのはやまやまだったが、生憎この日は、ポートとバッテイングしていた。

通勤に通る道の除雪は拡幅され、朝の出勤タイムは大幅に短縮できるようになった。行きつけのコンビニで、いつものコーヒーを淹れて貰い、ゆっくりとモーニングコーヒを喫しんだ。朝礼の時間が冬時間で5分遅らせるという院長の指示、朝の5分は貴重だ!

昼食は、行きつけの蕎麦屋さん。寒い時に定番のカレー南蛮を猫舌の私は、レンゲで冷やしながら食べた。おいしかった。勤めに出ても、水分摂取は多めに、を心がけている。冬の天気が良いのは、長続きはしないので素直に喜べない。故郷留萌の方はJRが4日間も不通、時化で鉛色の海であろう。


窮すれば通ず

2013-01-07 11:10:38 | 釣り
私ごとに時間を取られて、留萌高校同期の皆から集めたおよそ300枚の写真を1枚のCDに編集する作業が中々捗らずにいました。正月明けてさあ~ととりかかりました。CD1枚に収める為には全体で200メガバイトの記憶量に抑えなければなりません。旭川のK君、留萌のM君、札幌のT君などの有能なクラスメートに相談しながら進めています。写真下は市役所裏から暑寒別岳を望む

350人以上の同期生の顔が浮かび、1枚1枚に思い出がよみがえってきて削除しないようにする為、画質のメモリーサイズを落とさざるを得ないものもでてきます。高校卒業後50年以上の間に、各クラスのクラス会がそれぞれ別々に行われてきましたので、何時何処で行われたものなのかを確定するにも難儀しています。写真は、砂浜が埋め立てられた瀬越浜から黄金岬を望む

写真にメモをつける作業一つとっても自前の3台のPCの画像処理ソフトが異なり悩んでいます。歳をとると、集合写真を取らないでくれという要望が多くなり、集まった写真のバランスが異なっています。高校時代の集合写真やスナップ(体育祭の仮装大会)も入れてみました。卒業後、留萌に帰ったことのないものも沢山おりますので、私が留萌海岸に釣行した時の写真や鬼鹿の郵便局長A君の作った絵ハガキ(写真下)など留萌近郊の写真を間に散りばめることにしました。

先ず編集方針としてクラスの垣根は外すことにしました。一人で作業を進めていると一気に出来る仕事量はたかがしれています。同じクラス会の写真ばかりが多くなったり、ダブリを出来るだけ無くすのにはどうしたらいいのか悩んでいました。1台のPCで、写真の撮影時間順に並ぶのが有りましたので、これを利用して窮余の一策、西暦の年号を先頭にして名前を付けてみると見事に並びました。年代不明のものは、皺や髪の毛の感じなどから適当に20年前とかの西暦に直しています。窮すれば通ず、道は開けました。



サーベイランス

2013-01-06 14:59:44 | 釣り
越冬戦略を考えています。天候が不順な上にポート抜去を受けますので、春まで釣りは遠慮して、かばっていた為に筋力が右よりかなり落ちてバランスが悪くなった左の肩や上肢の筋力をつけ、維持する作戦に臨みます。年頭の抱負は、何事も控え目に、新たな術後2年目の出発だという気持ちで進めていきます。

自分の体力と知力を磨くことは他人に迷惑をかけない、患者さんに頼りにされることにつながりますので継続させます。強く握る行為は血圧を上げますので、除雪は人一倍ゆっくりと時間をかけて行います。外の仕事は、朝の寒い内は血圧をあげますので暖かくなってからにします。宵ッパリの朝寝坊なのですが、夜更かしはせずに、早めの就寝に心がけます。今日出来ることでも明日に伸ばしてもいいとゆるく生きていきます。

他の方との競合は、出来るだけ避けるように気をつけていきます。人一倍負けず嫌いなのに修業の積りです。大物が釣れて来るのは喜んで拒まない積りです。カミさんから「あなたは家長としての威厳を示さないので困る。息子達にも示しをつけないとダメでしょう」と、焼きが入りました、が優しく生きると決めていますので、息子達も理解はしてくれると信じています。

大腸がんの再発や転移の監視を積極的に継続するサーベイランスは、今後も定期的に受診し検査を続けていきます。楽しく生きたいという大義名分があれば、禁酒、禁煙、暴飲暴食をしない、11種類以上の食物繊維を摂る、水分は1200ml以上摂る、定期的に受診し検査する、合併症の治療は継続する、趣味も深める、優しく生きるなど出来ないことはないのです。




ポートの抜去まで

2013-01-05 11:12:16 | 釣り
がんの再発は1年以内に発生するのが最も多いということが知られています。私は、術後2度目の入院で1週間ほどの間、再発予防のための抗がん剤を1クール受けました。その際に左前胸部にポートという点滴の針を安定的に挿入する装置を小手術で植え込みました。ポートには心臓の近くの中心静脈まで届くカテーテルがついています。

再発した場合には色んな抗がん剤を注射します。中には、少量を長時間かけて持続点滴しなければならないものもあります。そのような時に四肢からの静脈内投与は困難を極めますのでポートを用意しておくのです。それが12月末の診察で「無事1年過ぎましたので、11日にポートを抜去します。4日前からワーファリンをのまないで下さい」と言われました。

抗凝固薬ワーファリン服用を続けたままでカテーテルを抜去すると出血が止まらなくなる恐れが有ります。逆に、ワーファリンを急に止めるとリバウンド現象として血液が凝固し易くなる危険が待っています。一過性の脳虚血発作(TIA)を起こしていますので、慎重に準備しておかねばなりません。流行りのインフルやノロ対策にマスクは離せません。

冬期間湿度が低く部屋は乾燥しがちですので、脱水が起きないように2000mlの水分を摂取しようと記録します。血圧が高くならないように出来るだけ無理はしないように、心配症ですのでこの小手術が無事終了すると晴れて釣りの蛙リュックが背負えるという明るい希望を持って早めに就寝することにします。当日は何が起きるか不安もありカミさんについて貰います。

大井さん「つりしん」読みました。

2013-01-04 15:31:55 | 釣り
私は、ほぼ創刊から定期購読で道新の販売店から「釣り新聞」が配達されて来ますので、いつから題字が「つりしん」になったのかは知らずにいました。新年早々の大井編集長のぼやきを読みながら、初めて「つりしん」という字を眺めてみました。読者の反応がないと淋しがっているようですが、表紙の字に注目しなかったのではないかと思います。

「つり」は「釣り」だろうと多くの方は思いますが「釣り」だけは残して欲しかった。週刊新聞の題字は雑誌なら名前に相当するのではないだろうか?題字を変えるという知らせは、販売店からも無かった。契約にうるさい会社なら、この機会にと購読を止めた場合も有ったのではないだろうか。逆に「つりしん」に変えて都合が良かったという契約者もいたでしょうね。

ひらかなの「つりしん」になって、コンビニに並んでいると、釣りをやらない人達からすれば、名称から中味の分からない他のいろんな無料のフリーペーパーが置いてあるコーナーに並んでいるのだから、スルーされてしまうのではないだろうか。「週刊釣り新聞ほっかいどう」と非常にちいさな文字で説明文のように下書きされていますが、老眼の身には見えない。

ちなみに私の職場はコンビニの二階にあり、ちょくちょくコーヒーを淹れて貰っています。一般人はどんな反応を示すか、これからは注意して見守ることにします。あの「ニューズウイーク」も紙の新聞(ハードコピー)を止めて、ウエブの世界に入りました。北海道の釣り人でつりしんを見ていないものはいません。大井さん達の努力はみな知っています。全道の釣り場に出かけて自ら実釣し取材している記者の方も、知られていますよ。特派員の方も住所があそこだったかな~という方も良く知られています。高齢化の波は釣りの世界にもやってきています、大かたはハードコピー対応の方達ですので「つりしん」は頼りです、頑張って下さい。

いつもの食事に戻って

2013-01-03 16:20:46 | 釣り
暮の29日より今朝まで息子一家と久しぶりの年末年始を迎えた。航空便のないところから、年末の不順な天候の中を汽車で札幌まで来るのはエライ大変なことで、心配していたが無事に零下の世界にやってきた。

私のことが心配で来てくれたのであった。私が、元気に車で迎えたのを会って安心したのだろう、娘からの差し入れのカニを大喜びで孫たちは食べた。二人の食事から急に6人の食事となって、カミさんは大変だった。私は、腰痛のシップ貼りを手伝うくらいだった。

やっと、今日からいつもの食事に戻る。「(孫たちは)来ても嬉し、帰っても嬉し」は、誰の発句なんだろう、ぴったりと当てはまる。留萌からの数の子が残さずに食べられたのは、ニシンのような帰趨本能があるのかもしれない。産卵にやってくる魚種を狙うときには、地元の名産をコマセに入れると良いのであろう。

暮に送られてきた妹たちからのおいしいものは、すべて無くなった。義妹のT枝さんからの差し入れのチーズケーキも無くなり、買い置きのアイスクリームも無くなった。これからはオーソドックスな和食を食べて松のうちを過ごそう。低気圧で不通列車が多くなり、帰りの汽車は函館までだが、兎に角、勤務も有るので函館で別の汽車の便を待つといって汽車に乗った。無事に山形まで帰り着いて欲しい。

賀状を読んで

2013-01-02 17:23:16 | 釣り
一昨年は、私の病気を知り手術や入院を聞き、こういう場合に賀状を出すべきか出さざるべきかで悩まれた方がおられたのでしょう、50通ほど増えておりました。私も、このような場合に、何度も周りの方に伺って判断しておりました。

私は、大学院を終えると臨床検査技師学校の教務として職を得ておりました。その時の教え子達が、続々と定年の年になって心境を伝えて呉れました。大半がリタイヤ後も働くという内容でした。内科の外来や病棟にも顔を出していましたので、他の教務の先生方には「どちらから給料を貰っていると心得ておりますか」と説教されてもいました。

無給の医局員が大学病院を支えていた時代だったのですが、既に結婚して子供が二人おりましたので、臨床のトレーニングの為に教務の職に就いたのでした。二股かけての務めは、非難されて当然でした。そんな昔を思い出していた中に、医師となって技師学校時代の級友と結婚した卒業生の賀状にあたりました。二人で頑張って開業し今は繁盛しているという嬉しいものでした。彼らがウニの受精の生物学実習で徹夜で顕微鏡を覗いているのを傍観しながら、私は、実験場近くの忍路の防波堤で釣りをしていました。

嬉しい知らせの反面、がんとなった身を詠った短歌を書き送ってくれた知人もおりました。奥様を亡くして喪中の葉書を呉れた友人は、どのようなエピソードが奥様にあったのか、是非娘に伝えたいので寒中見舞いを送って欲しいとありました。未亡人となった友人の奥様方からも数通の近況報告が参りました。1年に1回位は生きている証の賀状をやりとりするのもアリでしょう。