真夜中の2分前

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それは“自己責任”なのか――邦人人質事件によせて

2015-02-01 19:06:45 | 政治・経済
 イスラム国による邦人人質事件が、急展開をみせた。まだ断定できる状態にはないが、最悪の結末を迎えた可能性が高いようだ。このような非道な行為に対して、あらためてここで非難の声をあげておきたい。
 ところで、この事件に関しては、“自己責任”ということがいわれた。二人は自分の意志で危険な場所に行ったのだから、それは自分の責任だ、というものである。最悪の結果によって今後そのような主張は下火になっていくと思われるが、ここで自己責任論についても一言いっておきたいと思う。
 かつて信濃毎日新聞に桐生悠々というジャーナリストがいた。この人は、「自分はいいたいことではなく、いわなければならないことをいっているのだ」といったという。いいたいことをいうのは権利の行使だが、いわなければならないことをいうのは義務の履行だ。自分は、その義務を果たしているのだ――というのである。このことは、すべてのジャーナリストにあてはまることだと私は思う。彼らはもちろん報道という仕事を自ら選び、やりたくてやっているのだろうけれど、同時にまたそれは「やらなければならないこと」でもある。私たちが世界でおきているさまざまな事象や問題について知ることができるのは、彼らがいるからだ。自己責任論を云々する人たちも、彼らが存在するからこそあれこれいえるわけである。ジャーナリズムとは、古い言葉で言えば、“社会の木鐸”であり、それがなければ世の中は深刻な状態に陥るだろう。権力によって管理されることが望ましくないために公的な機関に担われていないというだけで、公共的な側面を強く持っているのだ。であるならば、ジャーナリストの活動は義務の履行なのだから、“自己責任”で切り捨てられる話ではない。
 後藤氏は、なぜそこへ行かなければならなかったのか、何を伝えようとしていたのか――事件が悲劇的な結末を迎えたいま、私たちは、そのことに思いを馳せるべきである。