イスラム国による邦人人質事件は、最悪のかたちで結末を迎えることとなった。この件について、思うところをいくつか書いておきたい。
まず一つ目は、いわゆるホームグロウンテロの危険について。イスラム国は、インターネットで日本人を攻撃の標的とするようにと呼びかけている。ということは、カナダやフランスであったように、それに呼応して、イスラム国首脳部と直接関係のない人間が突発的にテロを起こす可能性があるということになる。国外から入り込んだ外国人がテロを起こすのではなく、国内の人間がある日突然テロリストになる――この危険を、われわれはどう評価するべきだろうか。
たしかに、国内でそのようなテロが発生する可能性はあるかもしれない。だが、それは決しておそれるべきものではないと私は考える。というのも、おそらくそのようなテロは、たとえ本人がイスラム国とつながりがあると言い張ったところで、実際には関係がないからだ。奇しくも先日、秋葉原死傷事件の加藤被告が死刑判決確定というニュースがあったが、要は、イスラム国に参加する人々というのは、あのように自暴自棄に陥った人間であり、イスラム教を熱狂的に信奉するあまりに参加しているというわけではない。彼らは、ただ捨て鉢な破壊活動それ自体を望んでいるのであって、イスラム国が掲げているような事柄はその口実に過ぎない。逆にいえば、そういう人たちはイスラム国の呼びかけなどなくてもそういった行動を起こす可能性が高い。したがって、イスラム国が日本国内でテロを起こすよう呼びかけているからといって、われわれは過度に反応するべきではない。というのは、それに呼応して破滅的な行動に走るような人物であれば、イスラム国が存在しなくてもそのうち同種の行動を起こしていただろうからだ。このような犯罪行動を未然に防止するのは、治安維持ではなく格差や貧困の解消といった領域の問題である。
二つ目。日本人がこのような事件に遭ったのは日本が軍備を持っていないからだという主張をする人がいる。これがあきらかに間違っているのは少し考えればわかることだが、一応その間違いを指摘しておく。これまでにイスラム国に拘束された人々の母国は、アメリカやイギリス、フランスなどであり、みな例外なく軍備を持っている。むしろ軍備を持たない日本こそ、これまでテロの対象から外されていたとみるべきである。今回人質となった二人は、数ヶ月前に拘束されていながら脅迫に利用されずにいた。それはおそらくイスラム国の側でも日本をそれほど敵視していなかったからで、先日の事件も、後がないところまで追い詰められた末の暴走ではないだろうか。
三つ目。この事件を踏まえて邦人救出のために自衛隊を海外派遣できるようにするべきだという意見があるが、これもおそろしく現実離れした暴論である。先にも書いたが、これまでにアメリカやイギリス、フランスといった国の人たちがイスラム国に拘束されている。それぞれの国に軍隊があり、特殊部隊が存在しているが、彼らがイスラム国に潜入して人質を救出したなどというケースは一つたりとない。デルタフォースもSEALsもMI6もSASもGIGNも、そんなことはできていない(あくまでも報道されているかぎりでの話だが、もしそれに成功したら大々的に発表するだろうから、していないのだろう)。現実は、ハリウッド映画や007のようなわけにはいかないのである。仮に日本に国防軍が存在して特殊部隊を持っていたとしても、今回のケースで人質を救出することができたとはとうてい考えられない。よって、今回の事件を受けて、邦人救出のために軍隊を持つべきだという主張はナンセンスである。
最後に、日本政府の対応について。事件がひとまず現在進行形ではなくなったことを受けて、国会ではこの件に関して日本政府の対応が適切だったかを問う声も出ている。それに対する安倍首相の姿勢に、私にはどうにも違和感を感じる。安倍首相の答弁を聞いていると、まるで自分を批判することはすなわちテロに屈することだといわんばかりに聞こえるのだ。危険があるからといって人道支援を控えるのではテロに屈したことになる――という主張は、なるほどそのとおりかもしれない。だがいっぽうで政府は、後藤健二氏に対してシリアへの入国を思いとどまるよう再三にわたって勧告していたという。そこでひとつ問いたいのだが、危険があるからといってジャーナリストが現地に入るのを控えるのは、テロに屈したことにならないのだろうか? 何がテロに屈することで何がそうでないのかは、非常に難しく微妙なところを含んだ問題だと私は思う。だからこそ、「政府を批判すること」=「テロに屈すること」というように単純化してしまうべきではない。そのような短絡的な二分法は、かつてアメリカのブッシュJr大統領がとったような論法であり、そんなふうに世界を見ているととんでもない失政をやらかしてしまう危険がある。
テロを恐れるあまりに極論に走ってしまうのは、テロリストの思う壺だ。いたずらに恐怖をあおるのではなく、冷静に事態を見つめなおすことが重要である。
まず一つ目は、いわゆるホームグロウンテロの危険について。イスラム国は、インターネットで日本人を攻撃の標的とするようにと呼びかけている。ということは、カナダやフランスであったように、それに呼応して、イスラム国首脳部と直接関係のない人間が突発的にテロを起こす可能性があるということになる。国外から入り込んだ外国人がテロを起こすのではなく、国内の人間がある日突然テロリストになる――この危険を、われわれはどう評価するべきだろうか。
たしかに、国内でそのようなテロが発生する可能性はあるかもしれない。だが、それは決しておそれるべきものではないと私は考える。というのも、おそらくそのようなテロは、たとえ本人がイスラム国とつながりがあると言い張ったところで、実際には関係がないからだ。奇しくも先日、秋葉原死傷事件の加藤被告が死刑判決確定というニュースがあったが、要は、イスラム国に参加する人々というのは、あのように自暴自棄に陥った人間であり、イスラム教を熱狂的に信奉するあまりに参加しているというわけではない。彼らは、ただ捨て鉢な破壊活動それ自体を望んでいるのであって、イスラム国が掲げているような事柄はその口実に過ぎない。逆にいえば、そういう人たちはイスラム国の呼びかけなどなくてもそういった行動を起こす可能性が高い。したがって、イスラム国が日本国内でテロを起こすよう呼びかけているからといって、われわれは過度に反応するべきではない。というのは、それに呼応して破滅的な行動に走るような人物であれば、イスラム国が存在しなくてもそのうち同種の行動を起こしていただろうからだ。このような犯罪行動を未然に防止するのは、治安維持ではなく格差や貧困の解消といった領域の問題である。
二つ目。日本人がこのような事件に遭ったのは日本が軍備を持っていないからだという主張をする人がいる。これがあきらかに間違っているのは少し考えればわかることだが、一応その間違いを指摘しておく。これまでにイスラム国に拘束された人々の母国は、アメリカやイギリス、フランスなどであり、みな例外なく軍備を持っている。むしろ軍備を持たない日本こそ、これまでテロの対象から外されていたとみるべきである。今回人質となった二人は、数ヶ月前に拘束されていながら脅迫に利用されずにいた。それはおそらくイスラム国の側でも日本をそれほど敵視していなかったからで、先日の事件も、後がないところまで追い詰められた末の暴走ではないだろうか。
三つ目。この事件を踏まえて邦人救出のために自衛隊を海外派遣できるようにするべきだという意見があるが、これもおそろしく現実離れした暴論である。先にも書いたが、これまでにアメリカやイギリス、フランスといった国の人たちがイスラム国に拘束されている。それぞれの国に軍隊があり、特殊部隊が存在しているが、彼らがイスラム国に潜入して人質を救出したなどというケースは一つたりとない。デルタフォースもSEALsもMI6もSASもGIGNも、そんなことはできていない(あくまでも報道されているかぎりでの話だが、もしそれに成功したら大々的に発表するだろうから、していないのだろう)。現実は、ハリウッド映画や007のようなわけにはいかないのである。仮に日本に国防軍が存在して特殊部隊を持っていたとしても、今回のケースで人質を救出することができたとはとうてい考えられない。よって、今回の事件を受けて、邦人救出のために軍隊を持つべきだという主張はナンセンスである。
最後に、日本政府の対応について。事件がひとまず現在進行形ではなくなったことを受けて、国会ではこの件に関して日本政府の対応が適切だったかを問う声も出ている。それに対する安倍首相の姿勢に、私にはどうにも違和感を感じる。安倍首相の答弁を聞いていると、まるで自分を批判することはすなわちテロに屈することだといわんばかりに聞こえるのだ。危険があるからといって人道支援を控えるのではテロに屈したことになる――という主張は、なるほどそのとおりかもしれない。だがいっぽうで政府は、後藤健二氏に対してシリアへの入国を思いとどまるよう再三にわたって勧告していたという。そこでひとつ問いたいのだが、危険があるからといってジャーナリストが現地に入るのを控えるのは、テロに屈したことにならないのだろうか? 何がテロに屈することで何がそうでないのかは、非常に難しく微妙なところを含んだ問題だと私は思う。だからこそ、「政府を批判すること」=「テロに屈すること」というように単純化してしまうべきではない。そのような短絡的な二分法は、かつてアメリカのブッシュJr大統領がとったような論法であり、そんなふうに世界を見ているととんでもない失政をやらかしてしまう危険がある。
テロを恐れるあまりに極論に走ってしまうのは、テロリストの思う壺だ。いたずらに恐怖をあおるのではなく、冷静に事態を見つめなおすことが重要である。