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ふたたび、それは“自己責任”なのか

2015-02-08 19:59:09 | 政治・経済
 先日、このブログにコメントをもらったので、それについて少し書きたい。
 「それは“自己責任”なのか」という記事に対するコメントである。その趣旨は、政府も安全を保証しないところに行くのだから、それは自己責任かどうかといわれれば自己責任であろう、というものだ。
 本論の前にまず一つ――コメントの最後の部分が、もし私をジャーナリズムの世界に身をおく人間だと思っていっているのだとすると、それは事実に反するということをいっておく。私はジャーナリストと呼ばれる職業に就いている人間ではない。したがって、ここで私が述べることは、ジャーナリストが自身の活動を美化するような種類のものではないということをまず断っておきたい。
 さて、問題の記事で私は、ジャーナリズムは公共的な側面を強く持っていると書いた。
 その意図をはっきりさせるために、ここで、名実ともに公共的な職業との類比で考えてみよう。たとえば都道府県の職員が、災害に遭って避難している被災者に物資を届けに行っているときに二次災害に遭って死亡したというような場合はどうだろうか。私たちはその職員に対して「被災地に入ったのは自己責任だ」というだろうか? いわないだろう。それは、一個人よりも大きい何かのためだからである。件の記事で私がいいたかったのは、そういうことだ。
 狭い意味でとらえれば、ジャーナリストが戦場や被災地へ行くのは自己責任であろう。だが、広い意味で考えれば決してそうではない。それはやはり、“一個人よりも大きい何かのため”なのだ。都道府県の職員が被災地に物資を届けるのは、あきらかに権利ではなく義務によってである。それと同様に、記者がある事実を世人に知らしめるというのは一つの義務といえるのではないか。公共的な側面を持つと書いたのは、そういう意味においてだ。
 もちろん、法律のどこを読んでもそんな義務は規定されていない。法典のどこにも、「記者には報道の義務がある」などとは書かれていない。だが、法律に書かれていないとしても、この世界には“知らなければならないこと”があり、それはまた“伝えなければならないこと”でもあると私は考える。“知る権利”だけではなく“知る義務”があり、そうであるからこそ、ジャーナリストにも“知らせる義務”がある。

 私はたまたま、先日の人質事件が起きる前に後藤健二氏の著作を一冊読んだことがあった。
 それは、シエラレオネという国についての本だった。(汐文社刊『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』)シエラレオネというのはアフリカの北西部にある小国で、1990年代から2000年代初頭にかけて内戦が起きていたところである。この国はダイヤモンドがよくとれることで知られていて、内戦はダイヤモンドの利権をめぐる争いという側面も持っていた。内戦の過程でダイヤ鉱山は反政府勢力RUFの手に落ち、そこから採掘されるダイヤモンドはRUFの資金源となり、紛争を長期化させる一つの要因となっていたのである。こうしたダイヤは“紛争ダイヤ”あるいは“ブラッドダイヤモンド”と呼ばれ、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ブラッドダイヤモンド』の題材にもなった。
 子ども兵も動員された残酷な紛争の原因となっていると知れば、そんなダイヤを好んで買いたがる人はそうはいない。問題があきらかになると、紛争ダイヤが市場で取引されないよう監視する“キンバリープロセス”と呼ばれる枠組みが作られることになった。
 この一連の経過にも、ジャーナリズムは大きく関わっている。
 映画『ブラッドダイヤモンド』でもジャーナリストが重要な役割を果たしているが、危険な戦場に入って取材をする記者がいなければ、紛争ダイヤの問題が国際社会に知られることも、ダイヤを購入する人たちの注意を喚起することもなかっただろう。その場合、キンバリープロセスも誕生せず、ダイヤモンドは反政府勢力に資金を供給し続け、シエラレオネの内戦はずっと続いていたかもしれない。そして、子どもを含む多くの命が失われていたかもしれない。もちろんこれらは仮定の話にすぎないが、そう考えると、ジャーナリズムの果たす役割は決して小さくないと私には思えるのである。
 後藤氏の著作が直接キンバリープロセスと関係しているわけではないが、氏がシエラレオネという国のおかれた状況を見つめ、それを子供向けの本として書いたということには、意義があると思う。この本の中に、子ども兵によって回復不能な傷害を受けた人物の語るこんなせりふがある。
 「おれはこう思うよ。彼らはまだ幼い子どもだし、何も知らずに兵士として使われたんだろう。/もし、その子がおれの目の前にいたとしても、おれは彼を責めない。たとえ、そいつが知っている子だったとしても、おれは何もしやしない。/おれたちはこの国に平和がほしいんだ。何よりも平和なんだ。それがすべてさ。」
 これを読んだ人が何かを感じ、何かの行動を起こすとしたら、後藤氏がシエラレオネで行った取材活動には意味があったといえるだろう。それはまた、“知らせる義務”に“知る義務”が応えるということでもある。人質事件は悲劇的な結末を迎えたが、それだからこそ、「しなければならないこと」に思いを馳せたい。