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ドイツ人は正しいか――集団的自衛権を考える④

2015-02-15 20:44:30 | 政治・経済
 いよいよ、集団的自衛権の行使容認に関する具体的な法案が国会で審議されるという状況になってきた。本ブログでは、集団的自衛権の問題にもう少しこだわっていきたい。
 今回取り上げるのは、そもそも実際の戦場と“後方支援”という区別が厳密に成り立つのかという問題である。この問題に関して、昨年の6月に朝日新聞に掲載された記事の内容を紹介したい。 
 以前書いたとおり、NATOが初めて集団的自衛権を行使したのは9.11.後のアフガン侵攻においてだったが、そこにはドイツ軍も加わっていた。日本と同様に、第二次大戦の敗戦国として戦後を歩んできたドイツは、長らく専守防衛を国防の方針としていたが、湾岸戦争で「カネを出しただけ」と批判されたことから、90年代以降その方針を転換しNATO域外でも活動することを認めた。このとき、ドイツの憲法にあたる基本法の解釈を変更するというかたちで、その決定がなされた。これが、憲法の解釈変更によって集団的自衛権の行使を容認しようとしている現在の日本の姿と重なる。では、「解釈改憲による集団的自衛権の行使容認」の先例であるドイツではどうなっているのか、という話である。
 件の記事によれば、アフガンに派遣されたドイツ軍は、直接の戦闘には参加せず、その活動は後方支援や治安維持・復興支援を主眼とする国際治安支援部隊(ISAF)への参加に限定されている。しかしながら、02年から昨年前半までのおよそ10年間で、ドイツ軍の死者は55名にのぼる。そのなかには帰還後の心的外傷後ストレス障害(PTSD)による自殺なども含まれているが、35名は自爆テロや銃撃などの戦闘での死者だという。記事は、独国際政治安全保障研究所のマルクス・カイム国際安全保障部長による「ドイツ兵の多くは後方支援部隊にいながら死亡した。戦闘現場と後方支援の現場を分けられるという考え方は、幻想だ」とのコメントでしめくくられている。
 これでアフガンの治安状況が改善していて復興が進んでいるというのなら、まだ彼らの死は無駄ではなかったといえるのかもしれない。だが、実態はそうではない。アフガンの治安改善は進んでおらず、最悪の時期は脱しているにせよ、まだ安定しているとはとうていいえない。また、ドイツの安全保障環境が高まったのかといえば、それも疑問だ。フランスでテロ事件が起き、今日もまたデンマークで発砲事件が起きていてイスラム過激派の関与が疑われているという欧州の現状を考えれば、アフガンへの派兵がドイツの社会をより安全にしたとも思えない。そうなると、果たして、アフガンへの派兵に意味はあったのか――そういう疑問が出てこないだろうか。
 先の朝日新聞の記事とちょうど同じ頃には、元防衛官僚である新潟県加茂市の小池清彦市長が講演で「集団的自衛権の行使を認めれば日本はアメリカの戦争への参加を拒むよりどころを失うことになる」と懸念を示したというニュースもあった。この指摘は重要だと思う。日本も集団的自衛権が行使できる――ということになれば、アメリカは自分たちの戦争に日本を駆りだそうとするだろう。そのなかには、目的も意義もよくわからない身勝手で無茶苦茶なものもあるだろう(というか、アメリカが起こす戦争はたいていそういう独善的なものだ)。これまでは、集団的自衛権を持ってはいるが行使はできないということが一つの防衛線となっていた。だが、その理屈も通用しなくなる。もう集団的自衛権を使っていいんだろ、だったら軍隊を出せよ、とアメリカはせっついていくる。そのとき日本はきっぱりノーといえるのか。ドイツの場合、湾岸戦争後に解釈改憲で集団的自衛権の行使を容認したことによって、米国のアフガン侵攻につきあわされ、一緒に泥沼にひきずりこまれることになった。日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、同じ道を進む危険はかなり高いのではないだろうか。