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ワシントンの銃弾――集団的自衛権行使事例を検証する(アメリカによるニカラグア干渉)

2015-12-02 19:58:45 | 集団的自衛権行使事例を検証する
  ニカラグアではじめて革命が起きたそのとき
  アメリカからの干渉はなかった
  アメリカの人権外交ってやつ
  民衆との闘いに敗れ 指導者は逃げていった
  ワシントンの銃弾がなければ 奴に何ができるだろう?

                                  ――The Clash, ‘Washington Bullets'


 集団的自衛権の行使事例を検証するシリーズの第六回として、今回は中米のニカラグアに対するアメリカの干渉をとりあげる。

 ことの発端は、1979年。この年、中米のニカラグアで、独裁者ソモサを放逐して反米的な左翼政権が誕生する。
 その主体となった反政府組織は、FSLN。1961年に結成されたこの組織は、かつて反米解放闘争を指揮して暗殺されたアウグスト・サンディーノ将軍の名をみずからに冠している。その正式名称はサンディーノ民族解放戦線――通称“サンディニスタ”である。
 このサンディニスタがソモサ政権を打倒した当初、アメリカは“人権外交”を掲げるカーター政権の時代だったこともあってか静観のかまえを示していた。その背景には、かつてキューバに対して強硬な姿勢をとったことがむしろキューバを社会主義圏に押しやったという過去に対する反省もあったという。ところが、80年代のレーガン政権になると、このサンディニスタ政権に対して、アメリカは積極的な干渉政策に出る。
 ニカラグアへの小麦輸出を停止したり、カーター政権が行っていた経済支援を打ち切るなど、経済的な締め付けを強化し、さらには間接的な軍事介入も行う。隣国ホンジュラスを拠点として、ソモサ派の残党であるニカラグアの反政府ゲリラ“コントラ”を支援したのだ。このホンジュラス支援が、集団的自衛権の行使事例とされている。これらの干渉の結果、ニカラグアは3万人ともいわれる死者を出し、経済も破綻状態に追い込まれ、ダニエル・オルテガ率いるサンディニスタ政権は内部から多くの離反者を出すなどして瓦解することになる。
 その経緯から、このケースは「東西冷戦を背景にした介入」というパターンに属するといえる。大国が、近隣の国を自分の勢力下においておくために干渉するというもので、旧ソ連によるハンガリーやチェコスロヴァキアへの介入に似ている。

 以下、このニカラグア干渉について周辺的な情報を二つほど書いておく。

 まず、集団的自衛権史上に汚名を残す「ニカラグア事件」について。
 これは、1987年、アメリカがコントラを支援していることについてニカラグアが国際司法裁判所(ICJ)に提訴したというものである。この件を審理したICJは、ニカラグアの訴えを認め、アメリカに行動中止を命令した。アメリカの行動を、裁判所が断罪した例である。

 また、このニカラグアへの干渉は「イラン・コントラ事件」という奇怪な付随物ももたらした。
 これは、レバノンで誘拐されたアメリカ人の解放と引き換えに、アメリカがイランに対してミサイルや戦闘機を売却し、その代金をコントラに渡していたという事件である。この一大スキャンダルについて、レーガン大統領は国家安全保障会議(NSC)のメンバー数人を解任し、後には全責任が自分にあることを認めている。集団的自衛権の名の下に行われたのは、このような欺瞞に満ちた戦争だった。


 ここで冒頭の引用について。
 このフレーズは、伝説的なパンクバンド The Clash のWashington Bullets という曲からとった。
 この曲は Sandinista! というタイトルのアルバムに収録されていて、まさにこのニカラグアのサンディニスタ革命をモチーフにしている(※1)のだが、ニカラグアだけではなく、ほかの中南米諸国に対するアメリカの干渉政策にも触れている。たとえば1961年に起きたキューバのコチノス湾襲撃や、1973年に発生したチリのクーデター(※2)などだ。
 中南米諸国へのアメリカの干渉ということでいうと、上の二つの例ほど有名ではないが、アメリカはグアテマラ内戦にもかなり早い段階から干渉していたことが知られている。カーター大統領の“人権外交”時代にはグアテマラへの干渉は一時休止していたようだが、80年代のレーガン時代には再開された。そしてレーガン大統領は、ニカラグア、グアテマラのほかにも、エルサルバドル、グレナダでも同じような介入を行っている(このうちエルサルバドルについては、オリバー・ストーンがこれを題材にして『サルバドル』という映画を撮っている)。また、レーガンの後を継いだ父ブッシュの時代には、パナマに対しても干渉を行った。
 このように、アメリカは、中南米を自分の勢力下においておくために、露骨な干渉を繰り返してきたのだ。ほかにも、ブラジルやウルグアイにかつて存在した軍事政権もアメリカと深いつながりをもっていたし、コロンビアは今でもそのような国であり続けている。そして、ホンジュラスもまたそうで、だからこそニカラグア干渉の前線基地となっていたわけである。

 私の見るところ、レーガンを「偉大な大統領」として賛美する人たちはあまりこのような干渉政策のことを語りたがらない。さすがに、他国へのこういう干渉はほめられたものではないと思うからだろうが、しかし中には、それもひっくるめて「強いアメリカ」を実現したとして評価する人もいるようだ。彼らにいわせれば、アメリカが中南米諸国の共産化を防ぐためにそれらの国に干渉しするのは当然であり、そのためには軍事独裁政権を支援するのもやむをえないということになるわけだろう。
 しかし――そうすると、ここで一つの問いについて考えなければならない。アメリカのこのような干渉政策は、はたして“成功”と呼べるのだろうか?
 じつは、これがとても成功とはいいがたいのである。
 これらの干渉から十数年が経つと、親米的な政権は次々に姿を消していき、2000年代には、中南米に反米左派政権が相次いで誕生した。いまは亡きベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が有名だが、ボリビアでは先住民族出身のエボ・モラレスが大統領となり、エクアドルではチャベスよりもさらに先鋭なラファエル・コレアが大統領になった(※3)。先にアメリカと深いつながりをもつ軍事独裁国家として名前が出てきたウルグアイ、ブラジル、チリの3カ国はすべて程度の差はあれ左派政権となった(※4)し、本稿の中心テーマであるニカラグアについても、2006年にはサンディニスタのダニエル・オルテガが大統領に復帰している。
 オルテガが復帰したという一事だけをとっても、アメリカによるニカラグア干渉は結局無意味だったと結論づけてかまわないと思うが、ばかげたことに、問題はそれだけにとどまらない。アメリカが中南米に対して行った干渉政策は、結局それらの国民の間に反米感情を鬱積させ、長い目で見ればむしろそのすべてが逆効果だったといってよいのではないか。
 ここで、「内戦を泥沼化させる」ということとはまた別に集団的自衛権がもつ問題点が見えてくる。それは、「たとえ一時的に目的を達したとしても、その効果が長続きしない」ということだ。その「介入後の経過」という点からみても、この事例は、かつてソビエト連邦が集団的自衛権の行使としてハンガリーやチェコスロヴァキアの民主化運動を弾圧したケースと類似している。ソ連のこのような弾圧は、結局民主化運動を根絶やしにすることはできず、介入から二、三十年後になってそれらが噴出し、結局はソ連邦そのものの崩壊に拍車をかけた。アメリカの中南米に対する介入も、程度の差はあれ基本的には同じ結果に終っているとみていいだろう。この観点からみても、集団的自衛権というのはおよそ無意味な代物なのだ。

 また、ホンジュラスについては、以前中東のレバノンやイエメンの事例で指摘した「集団的自衛権の行使によって“支援”を受けた国は治安が悪化する」という現象もみられる。
 ホンジュラスという国は、いまでも政情が安定しているとはいいがたい。
 2009年には軍によるクーデターが発生しているし、この国の第二の都市サン・ペドロ・スーラは、「世界でもっとも治安の悪い都市」ランキングで二年連続で一位に輝くという“栄誉”に浴した。人口70万人ほどのこの一都市の一年間だけで、日本で一年間に発生する殺人事件に匹敵する数の殺人事件が起きているそうで、あまりにも犯罪が多発しているために警察も裁判所も対応しきれず、それがさらに犯罪を誘発する状態になっているという。
 奇しくも、最近ニュースでこの都市の名前を聞く機会があった。
 11月に起きたパリ同時多発テロの直後、ホンジュラスで、偽造パスポートをもってアメリカに行こうとしているシリア人グループが逮捕されるという事件があったが、このグループはホンジュラスの首都テグシガルパからサン・ペドロ・スーラへ飛び、そこから陸路でアメリカへ向かう予定だったという。この事件がテロに関係しているのか、なぜホンジュラスを経由しようとしたのかというのもよくわからないのだが、このグループがアメリカに対するテロを計画していたのだとすると、もしかするとこのホンジュラスという国、サン・ペドロ・スーラという都市が、テロリストが身を隠すのに好都合だったのかもしれない(治安がおそろしく悪くて司法が麻痺しているような都市なら、テロリストが潜伏していても摘発される可能性は低い――という考えで)。そうであるなら、レバノンやイエメンがそうであったように、集団的自衛権で“支援”を受けたホンジュラスもまた、治安の悪化のためにテロリストの巣窟となるリスクをはらんでいるということになる。

 このケースのように、そしてその他の事例もほとんどがそうであるように、集団的自衛権は、それを行使した側(この件でいえばアメリカ)にも、行使してもらった側(ホンジュラス)にも、行使によって攻撃された側(ニカラグア)にも、ただ損害だけを与えて、なんの利益ももたらさないのである。



※1……この曲の邦題は「サンディニスタ!(ワシントンの銃弾)」。

※2……1959年にフィデル・カストロのもとで、キューバに社会主義体制が誕生した。これを転覆するために、CIAは訓練したキューバ人を動員してキューバのコチノス湾に侵攻させた(コチノス湾はアメリカでは“ピッグス湾”と呼ばれていて、Washington Bullets の中でもその名前で出てくる)。結果としては失敗に終ったこの作戦は、翌年のキューバ危機にもつながった。
 チリでは、1970年にサルヴァドル・アジェンデのもとで社会民主主義的な人民連合政権が誕生。これに対してアメリカは不安定化工作を行い、銅(チリの主要な鉱山資源)の備蓄を放出して銅の国際市場価格を下げてチリの貿易収支を悪化させるなど露骨な嫌がらせを行ったすえに、1973年にはアウグスト・ピノチェトのクーデターを背後から支援する。このクーデターは1973年の9月11日に起きたため、アメリカでいわゆる「9.11同時多発テロ」が起きた後に、「もう一つの9.11」ともいわれるようになった。
 ピノチェト政権といえば、抑圧的な軍事独裁政治で知られる。それでも、「ピノチェトがとった新自由主義的経済政策のおかげでチリの経済は発展した」という評価もあるのだが、しかしこれについても経済評論家の内橋克人氏などは疑念を呈している。内橋氏によれば、新自由主義的政策をとっていた時代には、むしろチリの経済指標は悪化していた。それが好転するのは、ピノチェトが新自由主義政策を放棄してからのことである。

※3……チャベス大統領はブッシュ前アメリカ大統領を「悪魔」と呼んだことで物議をかもしたが、これについてコレアは「ブッシュを悪魔だというのは、悪魔に失礼だ」といっている(大統領になる前の発言だが)。その理由は、「悪魔は邪悪だが賢い。ブッシュは邪悪なうえに頭が悪い」から。

※4……「世界でもっとも貧しい大統領」として有名になったウルグアイのホセ・ムヒカ大統領もその系譜に連なる一人である。彼はかつてウルグアイの反政府ゲリラ“ツパマロス”の一員として、軍事政権と戦っていた。

安倍政権、悪行の軌跡:対米追従

2015-12-02 18:59:06 | 安倍政権、悪行の軌跡
 安倍政権の悪行を告発するシリーズの一環として、今回はその対米追従的姿勢をとりあげたい。

 一口に対米追従といっても、相当に幅が広い。
 とりわけ安倍政権はかつてないほどの対米追従政権であり、つきつめていえば、安保法制にせよ、辺野古新基地にせよ、TPPにせよ、安倍政権のやっていることのほとんどは、つまりは対米追従というところに集約される。それを示すエピソードということになるとこれはもう枚挙にいとまがないわけだが、この記事では、この夏問題になったアメリカのNSAによる盗聴問題とそれに対する日本の対応をとりあげたい。大問題であるにもかかわらず、もう忘れ去られているように思われるので、「過去の悪事を風化させない」という当ブログのコンセプトに従い、この問題を掘り返しておく。

 安保法案審議の陰に隠れてフェードアウトしてしまった感があるが、これはなかなかひどい問題だった。
 アメリカの情報機関NSAが各国の首脳や企業などの電話を盗聴したり、メールなどの情報を収集していたことが、ウィキリークスによって暴露されたのである。アメリカの側は「安全保障のため」と言い張ったが、暴露された情報の中には、企業の内部情報や環境問題に関するものなど安全保障とは関係の薄いものも大量にあり、苦しい言い訳だった。
 その盗聴自体もひどいものだが、しかし、これに対する日本の対応もひどい。
 ドイツやフランスなどは首脳が直接電話で抗議しているし、ブラジルのルセフ大統領はこの問題を受けてオバマ大統領との会談を延期するなど、強く態度を示している。
 ところが、それに対して日本は、なんとも腰の引けた対応だった。安倍総理も菅官房長官も、「事実とすれば誠に遺憾」などととおりっぺんのことをいうばかりで、菅長官は「日本の機密情報が漏れたとは思わない」と、なんとか大事にならないようにしようという姿勢が見え見えだった。さらに谷垣幹事長にいたっては、「盗聴がある前提で話すのが常識」「盗聴するのが悪いといっていればいいものではない」などと、まるで盗聴した側を擁護するかのような発言をする始末である。

 このような安倍政権の姿勢はいったいどこからくるのか。
 それについて、先日福岡で行われたシンポジウムにおいて中野晃一氏が非常に示唆に富む論を展開していたので、それを紹介しよう。
 中野氏は、丸山眞男の論を引いて、日本における「政治」、「政(まつりごと)」とは「祀り」と同根であると指摘する。つまり、神のような存在として「祀り上げる」という感覚――それが、日本の「政治」に染み付いているというのである。そのような考え方から導き出されるのは、上にいるものには無批判に従い、下にいるものは問答無用で服従させるという垂直な関係だ。安倍総理をはじめとする自民党の政治家たちは、政治をそのような封建的主従関係としてとらえているのである。
 このように見れば、いまの安倍政権のスタイルがじつにすっきりと理解できる。彼らはアメリカをご本尊として祀り上げ、そのいうことには盲目的に従い、そして国民に対しては、自分たちを祀り上げて無批判に隷従することを要求しているのだ。すなわち、「対米追従」と「民意無視」ということとは、政治思想的にも表裏一体の関係ということになる。
 このような思想の先にあるのは、奴隷の国である。政府も奴隷、国民も奴隷。そこには自由も民主主義もない。4、5世紀も前の王権神授の世界だ。日本をそのような社会にしないために、安倍自民の面々には政治の世界から退場してもらうよりほかないのである。