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My Personal Revenge

2015-12-04 16:22:46 | 音楽と社会
 前回ニカラグアの内戦について書いた。
 今回は、そのスピンオフ的な内容として、ジャクソン・ブラウンの My Personal Revenge という歌を紹介したい。
 ジャクソン・ブラウンといえば、アメリカのウェストコーストを代表するアーティストの一人で、社会的なメッセージを強く打ち出した歌詞で知られる。私がとりわけ強くリスペクトするミュージシャンの一人でもあるが、そんな彼が89年に発表したアルバム World in Motion にこの曲は収録されている。
 ジャクソン・ブラウンの歌――といったのだが、じつは厳密にはそうではない。この歌は、もともとはニカラグアのアーティストによるもので、それを英語に訳して歌っているのだ。残念ながら私はいまだその原曲に触れることができずにいるのでジャクソン・ブラウンの歌として紹介しているのだが、まさに前回の記事で書いたような状況にあるニカラグアで書かれた歌だということを頭に入れたうえで、その言葉に触れてほしい。


  私の個人的な復讐は おはようということ
  飢えも貧しさもない通りで
  あなたを牢獄に追いやるのではなく
  あなたを盲目にする悲しみを振り払うように語りかけるときに
  そして拷問に手を貸したあなたが顔をあげることができずにいるときに

  私の個人的な復讐は あなたに手を差し出すこと
  あなたに傷つけられながら
  それでもやさしさを奪い去ることのできなかった手を


 暴力に対して暴力で応えるのではなく、赦しで応じる――それこそが、“個人的な復讐”だというのだ。それはもちろん、特定の“敵”に対する復讐ではなく、暴力そのものへの復讐である。

 これは、先のパリ同時多発テロでアントワーヌ・レリス氏がフェイスブックでテロリストたちにむけて発した「君たちに憎しみはあげない」というメッセージに通じるところがあるかもしれない。
 ご存知の方も多いと思うが、あのテロで妻の命を奪われたレリス氏は、「君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが君たちの負けだ」といっている。
 そんなレリス氏について日本の朝日新聞が記事を書いているのだが、そのインタビューのなかで彼はこういっている。「テロリストは、私たちの自由を煩わしく思い、恐れ、攻撃する。その自由とは、考える自由であり、楽しむ自由、愛しあう自由、テラスのあるバーに行く自由、単純に人生を楽しむ自由です。それなら、私たちはこうした自由をもっと満喫することで応じようと考えるのです。」そして、イスラム教徒からも多くの共感のメッセージが寄せられたことを紹介し、イスラム教とテロリズムとの間に直接の関係がないことを強調したうえで、テロリストが宗教を利用して憎悪を煽り立てていることについて、「そんな盲目的な憎しみに、私たちは盲目的な愛で答えましょう」という。

 あるいは、マララ・ユスフザイの国連での演説も思い出される。
 女子教育の重要性を訴えるマララは、それを否定するタリバンの兵士に銃撃されて瀕死の重傷を負ったが、奇跡的に回復を遂げる。その後、彼女の誕生日である7月12日が“マララ・デー”と呼ばれることになり、2013年のその日に国連で演説を行った。あの「一人の子どもが、一人の教師が、一本のペンが、一冊の本が、世界を変えることができるのです」というフレーズで有名になったスピーチだが、そのなかで彼女はこういっている。


 《私は、誰とも対立しません。個人的な復讐について語るためにここにいるのでもありません。タリバンや、ほかのいかなるテロリストに対しても。私は、すべての子どもの教育を受ける権利について語るためにここにいるのです。私は、すべての過激主義者、とりわけタリバンの子供たちにこそ、教育を受けてもらいたいと思います。
 私は、私を撃ったタリバン兵を憎んでさえいません。いまもし私の手に銃があって、目の前に彼が立っているとしても、私は彼を撃ちません。それが、私が慈悲の預言者ムハンマドや、イエス・キリストやブッダから学んだ慈しみの心です。それが、私がキング牧師やネルソン・マンデラやジンナーから受け継いだ変化の遺産です。それが、私がガンジーやバシャ・カーンやマザー・テレサから学んだ非暴力の哲学です。それが、私が父と母から学んだ赦しです。それが、私の心が私に告げる言葉です。平和を愛し、すべての人を愛しなさいと》


 このスピーチのなかでも「個人的復讐」という言葉が出てくるが、やはり、そこで語られるのは“赦し”である。
 このような文章を読んで、“お花畑”だと批判する人もいるだろう。だが、凄惨な暴力のなかにあっても、このように復讐ではなく赦しを語る言葉が語られてきたし、それが多くの人の胸を打ってきたというのもまた事実だ。そして、暴力による復讐がなんの解決にもならず、むしろ事態を悪化させてきたということも歴史的な事実だろう。
 以前このブログで9.11のことを書いたときにもマララの言葉を引用したが、じつはあの「私たちは暗闇のなかでこそ光の重要さを知り、沈黙のなかでこそ声の重要さを知る」というフレーズもこのスピーチの一部で、先に引用した部分の直後に出てくる。そして、あの記事で書いたとおり、暴力に対して暴力で応酬することは、際限のない憎悪の連鎖をもたらし続けているというのが現実だ。
 いま欧州では、ロシア、フランスに次いでイギリスやドイツも武力行使に踏み切ろうとしており、中東から北アフリカにかけての広い地域でIS系の組織によるテロが発生している。このような状況だからこそ、報復ではなく赦しを語る言葉が私には輝いて聞こえる。お花畑のほうが、砂漠よりずっといいではないか。
 さて、マララのスピーチでガンジーの名前が出てきたので、最後に、そのガンジーの言葉を引用してこの記事をしめくくろう。

  An eye for an eye will make us all blind.
       ――「目には目を」は、すべての人を盲目にする。