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日本にとって最大の脅威は、中国でも北朝鮮でもなく安倍政権

2015-07-17 15:40:27 | 政治・経済
 先日このブログにコメントをもらったので、それについて反論をしておきたい。
 内容についてはこれまでに本ブログで書いてきたことと重複する部分もあり、また多くの識者が指摘していることで目新しい内容でもないが、まとめ的な意味合いもふくめて、あらためて書いておく。

 コメントは次のとおり。
 「やっと安保法制が衆議院通過の見通しとなり、一国民として本当にほっとしています。 民主党の何も決められない政治、国民の多くに実害があってからでないと対処できないという発想では、我々、市んでしまいます。」

 まず、この安保関連法案で本当に日本が安全になるのか、ということである。
 この点に関しては何度も書いてきたが、まずそのこと自体が非常に疑わしい。むしろ、この法案によって日本はより危険になるとさえ考えられる。その理由は、このブログで何度も書いたし、あちこちで指摘されていることだが、まとめておくと主に次の三点である。

 (1)かぎられた防衛資源を世界に拡散させることになり、日本本土の防衛は手薄になる。
 (2)米軍の身勝手な戦争を“後方支援”することで、相手に敵視され攻撃を受けるリスクが高まる。
 (3)こちらが軍事的な力を高めれば、“敵国”もそれに対抗して軍備を増強し、むしろ緊張が高まる。これは「セキュリティー・ジレンマ」と呼ばれ、一般的によく知られた事象である。

 歴史を眺めてみても、軍備を増強したり同盟を結んでけん制しあうことで戦争を防ぐことはできていない。ヨーロッパなどは、そんなことばかりしていたために、しょっちゅう大規模な戦争を起こしていた。むしろ軍事的“抑止力”に頼るのをやめたことで平和を維持している。


 2点目に、憲法との整合性をふくめた手続き面の問題がある。
 これは、安保関連法案によって日本が本当に安全になるのかということとも関わってくる。つまりは、本当の“脅威”は何なのかという問題である。一点目で挙げたのは軍事や戦争に関するリスクだが、それらとはまた別の脅威が存在するのだ。
 これもやはり、以前このブログで書いたことだが、国家間の戦争よりも、国家が強権的な体制を作ることのほうがはるかに危険である。
 いま世界中で多くの紛争が起きているが、そのほとんどは国家間の戦争ではない。国内の、あるいは複数の国にまたがる武装ゲリラによる反政府闘争のようなものである。たとえば、「イスラム国」との戦いにしても、あれは国家ではないのだから、やはり国家間の戦争ではないのだ。このように考えると、国家間の戦争というのは、ある意味で非現実的なリスクであるといえる。
 それに対して、抑圧的な国家が国民の人権を侵害するということは世界のあちこちで現におきている。日本の周囲を見回してみてればそういう国家はいくつも存在しているし、世界に目を転じてもやはりそのような国家がいくつも見つかる。すなわち、現実的な脅威といえる。
 もちろん国家間の戦争が皆無であるわけではないし、日本が今後その当事者の立場におかれるリスクはゼロではないだろう。だが、比較の問題として考えたときには、世界の現実を踏まえれば、われわれは、どこかの国が攻めてくることよりも自分の住んでいる国が抑圧的な体制になることのほうをよりおそれるべきなのだ。
 その前提に立って考えれば、今回の安保法案こそ日本にとって脅威であるといえる。
 安倍政権は、憲法学者たちの違憲指摘も、国民の圧倒的な反対の声も無視して衆院での採決を強行した。国民に理解されていないことを認めながら、「いずれは理解される」といって押し切った。この言い分も、きわめて危険である。その理屈が通るなら、どんなに反対されようと何でもありということになってしまうし、聞きようによっては「自分たちに都合のいいように国民を洗脳していこう」といっているふうにも聞こえる。
 私はこれは、アメリカが日本に対して行った“核ならし”に似ていると思う。かつて、アメリカが日本に原潜を入港させるときには、大規模な抗議行動が起きていた。だが、アメリカはそれに対して原潜を日本に寄港させないどころか、何度も原潜を入港させるという措置をとった。そうして何度も繰り返すことで、次第に反対運動が減少していき、やがて原潜の入港は日常茶飯事になっていった……
 安倍政権が狙っているのは、本質的にそれと同じことだ。憲法をないがしろにする行動をあえて押し通し、国民に反対運動を断念させようとしている。もしその思惑通りにことが進んで反対運動が下火になって言ったとしたら、それは「理解が深まった」のではなく、「憲法無視が日常化してしまった」ということなのだ。そうなれば、政治家がいくら憲法を無視してもそれは「日常茶飯事」なのだから、反対運動も起こらなくなる。このような状況に陥ったら、もはや立憲主義は死んだといっていい。政治家は、どんな法律でも通し放題ということになる。国民の権利を保障する憲法の諸条項は骨抜きにされ、あからさまな人権侵害・言論統制がまかりとおるようになるのは時間の問題だ。
 そして、ここではじめの話に戻るが、そうなってしまうことこそが、国民にとって「敵対勢力に攻撃を受ける」などということよりもはるかに現実的な脅威なのである。安倍政権がいまとっているような手法を許せば、今後もっとひどい法案がどんどん通され、日本社会が壊れていく。その脅威が目前にせまっているからこそ、多くの国民が不安をおぼえ、反対運動に参加しているのだろう。この安保関連法案が通って「ほっとして」などいられないのだ。

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