今日は、12月8日。
日本のカレンダーにおいては、真珠湾攻撃によって太平洋戦争の火ぶたが切って落とされた日である。そこで、今回はずばり戦争をテーマにして書く。
いま世界では、事実上の戦争がはじまっている。
北アフリカから東アジアにかけての幅広い地域でIS系の組織によるテロが発生し、米ロ英仏ばかりでなく、ドイツでも、後方支援のみという限定つきながら軍事作戦に参加することが議会で決定された。アメリカのオバマ大統領は、執務室からテレビ演説を行い、ISを壊滅させると述べた。
ここで、一つの疑問がある。
“壊滅”と口でいうのは簡単だが、本当にそんなことが可能なのだろうか? テロ組織や武装勢力などを軍事力によって壊滅させた例というのが果たしてあるだろうか? 私はちょっと思いつかない。そんな例は過去に一つもない(少なくとも近現代になってからは)か、あるいはあったとしてもきわめて例外的なケースではないだろうか。
私が思うに、テロリスト相手の戦争が泥沼になるのは、ちゃんと理由がある。
それは、きわめて単純で、テロ組織は国家とは違う、ということだ。国家であれば、だいたい国民の5%ぐらいもの死者が出れば、その時点でもう戦争を継続できなくなる。太平洋戦争当時の日本でもそうだ。あの戦争は多くの死者を出したが、それでもその当時の日本の人口全体からすれば5%ほど。それが、国家が「もう戦争を続けることはできない」と判断するのに十分だった。
ところが、テロリストはちがう。
彼らは、相当な打撃を受けても戦闘行為をやめない。
多数の犠牲者を出して、国中が日々空爆にさらされるような状況に陥れば、ふつうの国家ならもう降伏する。ところが、それだけの甚大なダメージを与えても、テロリストたちは降伏してくれないのである。だから、テロリストやゲリラ相手の戦闘は泥沼状態に陥る。大雑把な説明だが、歴史上ゲリラを相手にした戦いの多くが出口の見えない泥沼に陥っていることを考えれば、そういう見方もあながち間違ってはいないと思う。最近のアフガニスタンなどもそうで、ISとの戦いも、結局はそういう泥沼となる可能性が高いのではないか。構成員の5%が死んだぐらいでは、テロ組織にとってはダメージのうちにも入らないのである。ところが、国家の側は「5%ぐらいの死者が出るダメージを与えれば相手は降伏する」という国家を相手にするときのセオリーで動いている。そこに誤算があるがゆえに、泥沼の戦争に足を踏み入れてしまう――という構図があるように思える。
そしてここで、日本がどうなるのかということについても考えたい。
そうした“テロとの戦い”に日本が参加することはありうるのか。参加するとしたら、日本はどうなるのか。
考えられるのは、“兵士”の不足である。もし日本が海外の戦争に参加するということになれば、ますます自衛隊のなり手は少なくなっていくだろう。そうなったとき、政府は必要な人員を確保する必要にせまられる。そこでどうするか。
先日の久留米の集会でも紹介されていたが、防衛省が企業から一定期間自衛隊へ社員を“研修”に行かせるインターンシッププログラムなるものを検討していたことがあきらかになっている。そしてこれは、多方面から指摘されるように、事実上の徴兵制である。
税制面での優遇措置などがあれば、多くの企業がこのプログラムを受け入れるだろう。そして、新入社員に対して、「ちょっと自衛隊に行ってきてくれよ」という。それを拒否できる社員が果たしてどれだけいるだろうか。おそらく、ほとんどの社員はしぶしぶ従うだろう。そして、そのときたまたま自衛隊が海外派遣されていたら? そういう状況であれば、これまで普通の生活を送っていた若者が、突然戦場に立たされることになるかもしれないのだ。
“インターンシッププログラム”などというしゃれた言い回しでオブラートに包んでいるわけだが、これを徴兵といわずになんというのか。
いまの政権は、憲法とのかねあいから徴兵制はありえないといっているが、“事実上”の徴兵制ならば問題はない。企業が自主的にインターンシップ制度を導入する。社員には断る権利もある。そのなかで“自主的に”参加するのだから、強制ではない――こういう理屈で、表向きは“自主的”、実質的には半強制、という事実上の徴兵制ができあがる算段だ。
無関心層も、このあたりのことは真剣に考えておく必要がある。いくら無関心で戦争なんて関係ないと思っていても、戦争の側は無関心だからという理由であなたを放っておいてはくれない。関心があろうがなかろうが、ひとたび戦争となれば、それはすべての人を巻き込んでいく。だからこそ、そうなってしまう前に、戦争にいたるような道をシャットアウトしておかねばならないのだ。
日本のカレンダーにおいては、真珠湾攻撃によって太平洋戦争の火ぶたが切って落とされた日である。そこで、今回はずばり戦争をテーマにして書く。
いま世界では、事実上の戦争がはじまっている。
北アフリカから東アジアにかけての幅広い地域でIS系の組織によるテロが発生し、米ロ英仏ばかりでなく、ドイツでも、後方支援のみという限定つきながら軍事作戦に参加することが議会で決定された。アメリカのオバマ大統領は、執務室からテレビ演説を行い、ISを壊滅させると述べた。
ここで、一つの疑問がある。
“壊滅”と口でいうのは簡単だが、本当にそんなことが可能なのだろうか? テロ組織や武装勢力などを軍事力によって壊滅させた例というのが果たしてあるだろうか? 私はちょっと思いつかない。そんな例は過去に一つもない(少なくとも近現代になってからは)か、あるいはあったとしてもきわめて例外的なケースではないだろうか。
私が思うに、テロリスト相手の戦争が泥沼になるのは、ちゃんと理由がある。
それは、きわめて単純で、テロ組織は国家とは違う、ということだ。国家であれば、だいたい国民の5%ぐらいもの死者が出れば、その時点でもう戦争を継続できなくなる。太平洋戦争当時の日本でもそうだ。あの戦争は多くの死者を出したが、それでもその当時の日本の人口全体からすれば5%ほど。それが、国家が「もう戦争を続けることはできない」と判断するのに十分だった。
ところが、テロリストはちがう。
彼らは、相当な打撃を受けても戦闘行為をやめない。
多数の犠牲者を出して、国中が日々空爆にさらされるような状況に陥れば、ふつうの国家ならもう降伏する。ところが、それだけの甚大なダメージを与えても、テロリストたちは降伏してくれないのである。だから、テロリストやゲリラ相手の戦闘は泥沼状態に陥る。大雑把な説明だが、歴史上ゲリラを相手にした戦いの多くが出口の見えない泥沼に陥っていることを考えれば、そういう見方もあながち間違ってはいないと思う。最近のアフガニスタンなどもそうで、ISとの戦いも、結局はそういう泥沼となる可能性が高いのではないか。構成員の5%が死んだぐらいでは、テロ組織にとってはダメージのうちにも入らないのである。ところが、国家の側は「5%ぐらいの死者が出るダメージを与えれば相手は降伏する」という国家を相手にするときのセオリーで動いている。そこに誤算があるがゆえに、泥沼の戦争に足を踏み入れてしまう――という構図があるように思える。
そしてここで、日本がどうなるのかということについても考えたい。
そうした“テロとの戦い”に日本が参加することはありうるのか。参加するとしたら、日本はどうなるのか。
考えられるのは、“兵士”の不足である。もし日本が海外の戦争に参加するということになれば、ますます自衛隊のなり手は少なくなっていくだろう。そうなったとき、政府は必要な人員を確保する必要にせまられる。そこでどうするか。
先日の久留米の集会でも紹介されていたが、防衛省が企業から一定期間自衛隊へ社員を“研修”に行かせるインターンシッププログラムなるものを検討していたことがあきらかになっている。そしてこれは、多方面から指摘されるように、事実上の徴兵制である。
税制面での優遇措置などがあれば、多くの企業がこのプログラムを受け入れるだろう。そして、新入社員に対して、「ちょっと自衛隊に行ってきてくれよ」という。それを拒否できる社員が果たしてどれだけいるだろうか。おそらく、ほとんどの社員はしぶしぶ従うだろう。そして、そのときたまたま自衛隊が海外派遣されていたら? そういう状況であれば、これまで普通の生活を送っていた若者が、突然戦場に立たされることになるかもしれないのだ。
“インターンシッププログラム”などというしゃれた言い回しでオブラートに包んでいるわけだが、これを徴兵といわずになんというのか。
いまの政権は、憲法とのかねあいから徴兵制はありえないといっているが、“事実上”の徴兵制ならば問題はない。企業が自主的にインターンシップ制度を導入する。社員には断る権利もある。そのなかで“自主的に”参加するのだから、強制ではない――こういう理屈で、表向きは“自主的”、実質的には半強制、という事実上の徴兵制ができあがる算段だ。
無関心層も、このあたりのことは真剣に考えておく必要がある。いくら無関心で戦争なんて関係ないと思っていても、戦争の側は無関心だからという理由であなたを放っておいてはくれない。関心があろうがなかろうが、ひとたび戦争となれば、それはすべての人を巻き込んでいく。だからこそ、そうなってしまう前に、戦争にいたるような道をシャットアウトしておかねばならないのだ。
企業の研修が徴兵だって?
もう失笑レベルです。
あとね、集団的自衛権を否定すればするほど、防衛予算も人員も沢山必要になる事にいい加減気付きなさい。
頼むから省エネで効率的な防衛力を構築する邪魔をしないで欲しいし、それで善人面するのも止めて欲しいな。
ある人が企業に就職する。「自衛隊に研修にいってきて」といわれる。職を失うリスクを考えると断れない。自衛隊に行く。すると、「今から海外に派遣するから海外にいってきて」といわれる。断れない。海外に派遣される。戦争に巻き込まれる――
これを事実上の徴兵制と呼ぶのはまったく間違っていないでしょう。
また、後段ですが、このブログでシリーズとして書いている集団的自衛権行使事例を読んでいただければ、集団的自衛権を行使することが人的・経済的・政治的に膨大なリスクを国家に負わせてきたことはおわかりいただけると思います。集団的自衛権が「省エネで効率的な防衛力」だというのは、まったく事実に反しています。