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沖縄はいま

2015-06-23 17:27:37 | 沖縄
 この6月23日は、沖縄戦の終結から70年となる節目の日である。
 凄惨な地上戦からそれだけの年月が経ったわけだが、いま果たして沖縄は、その犠牲にみあうだけの償いを国から受けてきたといえるだろうか。答えは、ノーといわざるをえないだろう。
 沖縄は二度捨てられた、とよくいわれる。戦時中には本土防衛のための捨石にされ、戦後はアメリカに差し出された。そしていま、辺野古への基地移転問題で、三たび沖縄は捨てられようとしているというのが現実ではないだろうか。
 辺野古では、いまでも移設作業への激しい抵抗が続いているが、政府は反対の声にいっさい耳を貸そうとしない。菅官房長官は「粛々」という言葉を批判され封印したが、「粛々」という言葉を使わなくなったというだけで、その問答無用という態度はまったく変わっていない。

 米軍基地について「せっかくアメリカが日本を守ってくれているのに」などと主張する人もいるが、それはまったくばかげた話である。米軍は、日本を守るために基地を置いているわけではない。彼らが置きたいから置いているのである。それでいながら「日本を守るために駐留してやる」という顔をしているにすぎない。はじめは日米ともはっきりと「アメリカ軍の軍事的都合から日本に基地を置く」という認識があったが、日米安保体制が作られていく過程で「アメリカが一方的に日本を守ってやっている」というふうに話がすりかえられていった事情は、豊下楢彦氏の『安保条約の成立』(岩波新書)という本に書かれている。
 つまり、米軍が日本に基地を置いているのは、あくまでも米軍の都合であって、日本のためではない。基地を置きたいから沖縄県民がどれだけ反対しようが基地を存続させるし、いらくなったら日本側が泣いて頼んでも勝手に出て行くのである。それがアメリカという国のあり方だ。そんなものに国の安全を託すのはばかげている。

 自民党は“地方創世”をスローガンとしてかかげいるが、実際には彼らは地方に対する徹底的な差別主義者である。原発問題を考えればそれはよくわかる。地方に対する差別が根底にあるから、原発再稼動をためらわない。それと同様に、沖縄に対する差別があるから基地移設作業を粛々と進めるなどといえるのだ。
 本土でも沖縄の抵抗に対する共感がじわじわと広がってきているが、その声に政治家たちが耳を傾けてくれることを願うばかりである。


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