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言論・報道への抑圧はすでにはじまっているのかもしれない

2016-03-25 22:33:53 | 政治・経済
 自民党の大西英男議員が、「巫女さんのくせに」発言でふたたび物議をかもしている。
 北海道での補選の必勝祈願で現地の神社を訪れた際に巫女さんに自民党への投票を呼びかけたところ「自民はあまり好きじゃない」としごくもっともなことをいわれ、逆ギレしたすえの暴言である。
 これに関する報道やつぶやきなどでは、この人があの“文化芸術懇話会”の参加者で「マスコミを懲らしめるためには広告収入がなくなるのが一番」などと発言していたこともついでに取り上げられているが、たまに名前が出てくればこんな話題でなんともお騒がせな議員である。

 この“文化芸術懇話会”議員がふたたびクローズアップされたのにあわせて、当ブログでも報道の自由について書いておきたい。

 先日、鳥越俊太郎、田原総一朗、岸井成格氏らが、外国特派員協会でふたたび会見を行った。
 このブログでも取り上げたが、彼らは一ヶ月ほど前にもほぼ同じメンツで会見を行い、高市総務大臣の電波停止に関する見解を批判しているが、あらためて海外の記者たちにむけてアピールしたかたちである。

 その会見では、金平茂紀氏もメッセージを寄せ、前回の会見が一部報道機関では報じられなかったということに触れていた。金平氏はそこに、メディアの「自己規制」「自己検閲」という問題をみる。まさにこれこそ問題で、政府がメディアを弾圧していれば、それは弾圧という問題が起きていることがわかるわけだが、メディアが「自己検閲」してしまえば、問題があるということさえわからない。メディアがみずから検閲するから政府が検閲するまでもない――そうなると、表面上は報道の自由があるように見えて、実際にはきちんとした報道がなされていないということになるわけである。

 そういう状況を作り出すものはなにかというと、政府の威圧的な態度であり、高市大臣の発言もまさにそのゆえに問題があるわけだが、こうした発言とはまた別に、最近は“スラップ訴訟”というのも問題になってきている。

 スラップ訴訟とはつまり、「訴える」という行為自体で、相手を萎縮させ、批判的な言説を封じ込めようというものであるが、これが報道や言論に対するソフトな抑圧のツールとなっているのである。
 その例として、たとえばこのブログで以前とりあげた甘利前経済再生相の問題というのがあったわけだが、ここでは同じ稲田朋美政調会長の件についても触れておく。
 2014年に、「サンデー毎日」が「安倍とシンパ議員が紡ぐ極右在特会との蜜月」という記事を掲載し、このなかで、稲田氏が、ヘイトスピーチをくりかえす在特会と近い関係にあると書いた。この件で稲田氏は名誉を傷つけられたとして慰謝料と謝罪記事の掲載をもとめる訴えを起こしていたのだが、今月、大阪地裁は稲田氏の請求を棄却した。判決は、記事の内容は真実で公益性もあると認定しており、この手の訴訟としては異例なぐらいに、全面的な敗訴といっていいだろう。

 この訴訟もまた、スラップ訴訟とみるべきではないか。
 スラップ訴訟は、裁判そのものの勝ち負けがどうであろうと、つまりは「訴える」ということ自体で批判的な言説を封じるのが目的である。要するに、それ自体がソフトな言論弾圧なのである。もちろん、報道機関や言論人の側がそのような威圧に屈しない気概をもつことが重要だが、それは、スラップ訴訟のような行為を容認する理由にはならない。

 甘利氏や稲田氏の起こした訴訟をスラップ訴訟とみるならば、報道機関への抑圧はもうすでに行われているということになる。さらに、はじめの話に戻ると、あの“文化芸術懇話会”で、井上貴博議員は「福岡の青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある」と発言していて、これが事実なら実際に報道機関を抑圧した前歴があることになる。こういう人たちが電波停止を口にしているということが、恐怖なのだ。


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