安保法案採決から、半月が経った。
反安保運動はシーズン2に突入し、この悪法廃止にむけて世間ではさまざまな活動が続けられているが、その一環として、当ブログでも新しいシリーズを開始したい。
タイトルは、「集団的自衛権行使事例を検証する」である。
その目的は、ストレートに、集団的自衛権容認論を徹底的に叩き潰すこと。
世間には、「集団的自衛権は日本の防衛のために必要」だという意見もいまだ少なくないようだが、これはまったくとんでもない話だ。集団的自衛権が日本の防衛に資するなどというのは、まったくの幻想にすぎない。そのことをはっきりさせるために、これから数回にわたって、集団的自衛権の実際の行使例を検証してみようというシリーズである。
そもそも、法律というのは、条文にどう書かれているかというだけでは本質はわからない。実際にそれがどのように運用されているかということも見なければならない。法律の運用は、判例の蓄積によって決まってくる部分が相当にあるが、それと同じように、集団的自衛権も、それがどのような理論であるか、条文にどう書かれているか、ということだけでなく、実際にどのように行使されてきたか、その結果がどうだったかを見なければ、その本当の姿はわからない。それをあきらかにするために、過去の行使事例を検証する必要があると私は考える。
今回は、手始めとして総論的なことを書く。
まず、集団的自衛権がこれまで行使された例は、いくつぐらいあるのか。
この問いに対して、政府は14の事例を挙げたが、これについてはなかなか一概にいえない部分もあるようだ。“集団的自衛権の行使”として国連に報告された例がそれぐらいということなのだが、国連に報告されなくとも、武力行使した側が「これは集団的自衛権だ」と言い張っていたりする例もある。そういったものも含めれば、数はもう少し多くなるだろう。しかし、このブログでは、国連に報告されたケースを中心に扱っていくことにする。
そして、それらの行使事例の開始時点はいつか。
これは、はっきりしている。「集団的自衛権」という概念は、1945年に誕生した。もちろん同盟関係を結んで対立する勢力をけん制することによって抑止力を高めようという発想自体はそれ以前から存在したが、“集団的自衛権”というものが登場するのは国連憲章においてである。そこが起点となる。
ついでに、集団的自衛権というものがいかにして生まれたかについて。
先述のとおり、「集団的自衛権」という概念は1945年にできたわけだが、それは、事前の同盟関係・条約などを必要としない点で、従来のバランス・オブ・パワーの概念とはずいぶんと色合いの違うものだった(※1)。この新たな権利によって、事前に「A国が攻撃されたらB国がA国を守るために武力を行使する」などという約束をしていなくても、A国が攻撃されたらB国は武力行使ができるとされたのだ。なぜ、そのような権利が必要だったのか? その答えは簡単で、「大国がいつでもどこでも自分に都合の悪い敵を攻撃できるようにするため」である。
先日の参議院での審議のなかで「集団的自衛権とは自然権か」と問われて安倍総理がそれに答えられなかったという話があった。“自然権”という概念自体を理解していなかったようだ(基本的人権を軽視する安倍総理ならば、むべなるかなというところである)が、仮に知っていたとしても、やはりまともには答えられなかっただろう。集団的自衛権が自然権でないということを認めれば、彼の頭の中の世界観が崩れてしまうからだ。
法学上の「ピュシス」と「ノモス」という対立概念(※2)から考えると、集団的自衛権というのは、その成り立ちからしてあきらかに「ノモス」の側にある。それは、戦後国際社会の枠組みを作った大国の思惑によって恣意的に作られ、国連憲章に盛り込まれたからだ。先の参院本会議の最後の討論で維新の小野次郎議員が喝破したように、集団的自衛権とは、大国が小国に侵略するための口実にすぎず、純粋に自国の防衛のために行使された例は過去にただの一例もないのである。大国の恣意性という意味では、特に1990年ぐらいまではその傾向が顕著で、そのことは実際の行使事例を見ていけば、あきらかになるだろう。
そもそも、仮に軍事力による抑止という発想を認めるとしても、「A国を攻撃したらどこかの国が集団的自衛権を行使して参戦してくるかもしれない」などという漠然としたリスクが、攻撃を思いとどまらせる“抑止力”になりうるものだろうか? その一点だけを考えても、集団的自衛権というものが自国の防衛のためではなくて他国への介入・侵略のためのものであることは明白なのだ。
さて、一つ一つの具体的事例については次回以降書くとして、ここでは全体を俯瞰しての印象を書いておく。
まず、集団的自衛権を行使した側には、ほとんどの場合、安保理常任理事国のうちの一カ国が含まれている。多くは、米、英、ロシア(旧ソ連時代をふくむ)のいずれかであり、フランスの例もある(ただし、中国だけはない)。
それに対して、集団的自衛権によって攻撃あるいは介入を受けた側には、安保理常任理事国は一つも含まれていない。それどころか、ハンガリー、チェコ、ベトナム、アフガニスタン、イラク、イエメン、チャド、アンゴラ、ニカラグア……というふうに、およそ大国とはいいがたい国ばかりである。このように見るだけでも、集団的自衛権というものが、大国が小国に軍事干渉――もっとはっきりいえば“侵略”――するための口実であることがわかるだろう。
そして、そのうえで指摘しておかなければならないのは、ほとんどの例は“失敗”に終っているということだ。
米英などの大国が集団的自衛権の行使によって守ろうとした体制は、その半数ほどは、現在までの間に、体制が崩壊するか、あるいは事実上崩壊している。南ベトナム、南イエメン、アフガニスタンなどはその典型的な例である。これらの国は、それぞれ米、英、ソが自国に友好的な体制を守ろうとして集団的自衛権を行使したが、いずれも、介入から十年の間にその体制が倒れてしまっている。集団的自衛権が行使された年からカウントして、南イエメンは3年後、アフガニスタンは7年後、南ベトナムは10年後に、その体制が打倒された。しかもアフガンの場合は政権交代といういくらか穏健な形だったが、南イエメンでは親英的な政府が軍事的に打倒され、南ベトナムにいたっては、ベトナム戦争に敗れて国家自体が消滅している。つまり、これらの例では、集団的自衛権の行使は結果として“無駄骨”に終わっているわけである。
また、体制の崩壊というところまでいたっていない場合でも、長期にわたる混迷が続き、周辺地域の不安定要素となっていたりする。レバノンやアンゴラ、チャド、ホンジュラス、最近の例でいえばアフガンやコンゴなどがその例だろう。アンゴラやチャドは、現在ではいくらか状況が改善しているかもしれないが、それは、他国の介入によって引き起こされた十年、二十年という単位の内戦・混乱の傷を打ち消すものではまったくありえない。他国が集団的自衛権で介入してきたりしなければ、これらの国の内戦はこれほど激化も長期化もしなかっただろう。
以上が、集団的自衛権行使例に関する総論である。
次回からは、個別のケースをとりあげ、その一つ一つを検証していく。
※1…私はこのブログの過去の記事において、あまりそういう違いを重視せずに、集団的自衛権もかつての「勢力均衡による抑止」の延長としてとらえ、そういう書き方をしてきた。だが、今回あらためていろいろと調べる中で、両者には決定的な違いがあると考えるにいたった(専門家の方からすれば、今ごろ気づいたのかという話かもしれないが)。すなわち、本文中にも書いているとおり、集団的自衛権は「抑止」や「防衛」という“ディフェンス”の原理ではなく、「介入」、「侵略」といった“オフェンス”の原理であり、「勢力均衡による抑止」とはほとんどまったく別物だ。この点からしても、集団的自衛権行使に関する安倍政権の説明はまったく的外れである。
※2…細かい議論を無視しておおざっぱにいうと、「ピュシス」というのは議論の余地なく普遍的に成り立つ正義で、「ノモス」は時の権力者などが自分に都合のいいように恣意的につくった法というほどの意味に理解していいだろう。
反安保運動はシーズン2に突入し、この悪法廃止にむけて世間ではさまざまな活動が続けられているが、その一環として、当ブログでも新しいシリーズを開始したい。
タイトルは、「集団的自衛権行使事例を検証する」である。
その目的は、ストレートに、集団的自衛権容認論を徹底的に叩き潰すこと。
世間には、「集団的自衛権は日本の防衛のために必要」だという意見もいまだ少なくないようだが、これはまったくとんでもない話だ。集団的自衛権が日本の防衛に資するなどというのは、まったくの幻想にすぎない。そのことをはっきりさせるために、これから数回にわたって、集団的自衛権の実際の行使例を検証してみようというシリーズである。
そもそも、法律というのは、条文にどう書かれているかというだけでは本質はわからない。実際にそれがどのように運用されているかということも見なければならない。法律の運用は、判例の蓄積によって決まってくる部分が相当にあるが、それと同じように、集団的自衛権も、それがどのような理論であるか、条文にどう書かれているか、ということだけでなく、実際にどのように行使されてきたか、その結果がどうだったかを見なければ、その本当の姿はわからない。それをあきらかにするために、過去の行使事例を検証する必要があると私は考える。
今回は、手始めとして総論的なことを書く。
まず、集団的自衛権がこれまで行使された例は、いくつぐらいあるのか。
この問いに対して、政府は14の事例を挙げたが、これについてはなかなか一概にいえない部分もあるようだ。“集団的自衛権の行使”として国連に報告された例がそれぐらいということなのだが、国連に報告されなくとも、武力行使した側が「これは集団的自衛権だ」と言い張っていたりする例もある。そういったものも含めれば、数はもう少し多くなるだろう。しかし、このブログでは、国連に報告されたケースを中心に扱っていくことにする。
そして、それらの行使事例の開始時点はいつか。
これは、はっきりしている。「集団的自衛権」という概念は、1945年に誕生した。もちろん同盟関係を結んで対立する勢力をけん制することによって抑止力を高めようという発想自体はそれ以前から存在したが、“集団的自衛権”というものが登場するのは国連憲章においてである。そこが起点となる。
ついでに、集団的自衛権というものがいかにして生まれたかについて。
先述のとおり、「集団的自衛権」という概念は1945年にできたわけだが、それは、事前の同盟関係・条約などを必要としない点で、従来のバランス・オブ・パワーの概念とはずいぶんと色合いの違うものだった(※1)。この新たな権利によって、事前に「A国が攻撃されたらB国がA国を守るために武力を行使する」などという約束をしていなくても、A国が攻撃されたらB国は武力行使ができるとされたのだ。なぜ、そのような権利が必要だったのか? その答えは簡単で、「大国がいつでもどこでも自分に都合の悪い敵を攻撃できるようにするため」である。
先日の参議院での審議のなかで「集団的自衛権とは自然権か」と問われて安倍総理がそれに答えられなかったという話があった。“自然権”という概念自体を理解していなかったようだ(基本的人権を軽視する安倍総理ならば、むべなるかなというところである)が、仮に知っていたとしても、やはりまともには答えられなかっただろう。集団的自衛権が自然権でないということを認めれば、彼の頭の中の世界観が崩れてしまうからだ。
法学上の「ピュシス」と「ノモス」という対立概念(※2)から考えると、集団的自衛権というのは、その成り立ちからしてあきらかに「ノモス」の側にある。それは、戦後国際社会の枠組みを作った大国の思惑によって恣意的に作られ、国連憲章に盛り込まれたからだ。先の参院本会議の最後の討論で維新の小野次郎議員が喝破したように、集団的自衛権とは、大国が小国に侵略するための口実にすぎず、純粋に自国の防衛のために行使された例は過去にただの一例もないのである。大国の恣意性という意味では、特に1990年ぐらいまではその傾向が顕著で、そのことは実際の行使事例を見ていけば、あきらかになるだろう。
そもそも、仮に軍事力による抑止という発想を認めるとしても、「A国を攻撃したらどこかの国が集団的自衛権を行使して参戦してくるかもしれない」などという漠然としたリスクが、攻撃を思いとどまらせる“抑止力”になりうるものだろうか? その一点だけを考えても、集団的自衛権というものが自国の防衛のためではなくて他国への介入・侵略のためのものであることは明白なのだ。
さて、一つ一つの具体的事例については次回以降書くとして、ここでは全体を俯瞰しての印象を書いておく。
まず、集団的自衛権を行使した側には、ほとんどの場合、安保理常任理事国のうちの一カ国が含まれている。多くは、米、英、ロシア(旧ソ連時代をふくむ)のいずれかであり、フランスの例もある(ただし、中国だけはない)。
それに対して、集団的自衛権によって攻撃あるいは介入を受けた側には、安保理常任理事国は一つも含まれていない。それどころか、ハンガリー、チェコ、ベトナム、アフガニスタン、イラク、イエメン、チャド、アンゴラ、ニカラグア……というふうに、およそ大国とはいいがたい国ばかりである。このように見るだけでも、集団的自衛権というものが、大国が小国に軍事干渉――もっとはっきりいえば“侵略”――するための口実であることがわかるだろう。
そして、そのうえで指摘しておかなければならないのは、ほとんどの例は“失敗”に終っているということだ。
米英などの大国が集団的自衛権の行使によって守ろうとした体制は、その半数ほどは、現在までの間に、体制が崩壊するか、あるいは事実上崩壊している。南ベトナム、南イエメン、アフガニスタンなどはその典型的な例である。これらの国は、それぞれ米、英、ソが自国に友好的な体制を守ろうとして集団的自衛権を行使したが、いずれも、介入から十年の間にその体制が倒れてしまっている。集団的自衛権が行使された年からカウントして、南イエメンは3年後、アフガニスタンは7年後、南ベトナムは10年後に、その体制が打倒された。しかもアフガンの場合は政権交代といういくらか穏健な形だったが、南イエメンでは親英的な政府が軍事的に打倒され、南ベトナムにいたっては、ベトナム戦争に敗れて国家自体が消滅している。つまり、これらの例では、集団的自衛権の行使は結果として“無駄骨”に終わっているわけである。
また、体制の崩壊というところまでいたっていない場合でも、長期にわたる混迷が続き、周辺地域の不安定要素となっていたりする。レバノンやアンゴラ、チャド、ホンジュラス、最近の例でいえばアフガンやコンゴなどがその例だろう。アンゴラやチャドは、現在ではいくらか状況が改善しているかもしれないが、それは、他国の介入によって引き起こされた十年、二十年という単位の内戦・混乱の傷を打ち消すものではまったくありえない。他国が集団的自衛権で介入してきたりしなければ、これらの国の内戦はこれほど激化も長期化もしなかっただろう。
以上が、集団的自衛権行使例に関する総論である。
次回からは、個別のケースをとりあげ、その一つ一つを検証していく。
※1…私はこのブログの過去の記事において、あまりそういう違いを重視せずに、集団的自衛権もかつての「勢力均衡による抑止」の延長としてとらえ、そういう書き方をしてきた。だが、今回あらためていろいろと調べる中で、両者には決定的な違いがあると考えるにいたった(専門家の方からすれば、今ごろ気づいたのかという話かもしれないが)。すなわち、本文中にも書いているとおり、集団的自衛権は「抑止」や「防衛」という“ディフェンス”の原理ではなく、「介入」、「侵略」といった“オフェンス”の原理であり、「勢力均衡による抑止」とはほとんどまったく別物だ。この点からしても、集団的自衛権行使に関する安倍政権の説明はまったく的外れである。
※2…細かい議論を無視しておおざっぱにいうと、「ピュシス」というのは議論の余地なく普遍的に成り立つ正義で、「ノモス」は時の権力者などが自分に都合のいいように恣意的につくった法というほどの意味に理解していいだろう。