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最後のサムライ――集団的自衛権行使事例を検証する(ロシアによるタジキスタン介入)

2016-06-08 20:03:42 | 集団的自衛権行使事例を検証する
 長らく中断していたが、当ブログでは集団的自衛権行使事例を検証するシリーズというのをやっている。以前再開するといっておきながらまた中断していたが、今度こそ本格的に再開しようと思う。ということで、今回は90年代のタジキスタンのケースを扱う。

 タジキスタンといわれてもピンとこない人が多いかもしれないが、この国は、いわゆる中央アジア五カ国の一つで、その名前から想像がつくとおりパキスタンやアフガニスタンの近くに位置している。中央アジア五カ国(カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス。だいたい北西のほうからこの順番に並んでいて、頭文字をとって“加藤タキ”と覚えるといい)、は、いずれも、かつてはソビエト連邦を構成する国の一つだった。1991年の旧ソ連崩壊後、その構成国の多くは独立した国家となったが、タジキスタンもまたその一つである。
 それらの国のいくつかは、独立後、潜在的な政情不安を抱えていたが、タジキスタンもそうであった。ソ連邦崩壊後の不安定な情勢のなかで、国内で共産党系勢力とイスラム系勢力の間に対立が生じ、これが内戦に発展した。そこへ、ロシアが集団的自衛権の行使として介入していったのである。

 このケースについては、正直なところ特筆すべきこともあまりないのだが、一応指摘しておくべきなのは、ここでも他の事例と同様の現象が見られたということだろう。
 ベトナム、アフガン、チャド、アンゴラなどの事例でみてきたように、集団的自衛権の行使といって関係ない第三国が介入していくと、それに対抗して別の国――いうなれば“第四国”――が介入してくるということがしばしば見られる。タジキスタンでも、それは起きた。タジキスタンの場合は、ロシアの介入が、イランの介入を招いた。
 ただ、そこから先は、ベトナムやアフガンとは違っていた。
 ベトナムやアフガンでは、第三国の介入に続いて第四国が介入してくることで紛争が泥沼化、長期化していった。それは、東西冷戦という文脈がその背景にあって、第三国と第四国が敵対していたからである。だが、タジキスタン内戦の場合は、ロシアとイランが敵対していたわけではなかった。今でもそうであるように、むしろこの二国は友好関係にある。したがって、その介入が内戦を泥沼化させるというふうにはならなかった。東西冷戦構造が消滅し、複雑に錯綜した対立軸で紛争が起きるようになった時代の先駆的な事例といえるかもしれない。結果として5万人ともいわれる死者を出した内戦ではあるが、ほかの事例と比べれば、タジキスタンの場合は「集団的自衛権が行使されたにしてはあまりひどいことにならなかったケース」なのである。

 ここで、本稿のタイトルについて。
 このタイトルは、有名映画からとったわけではない。内戦期のタジキスタンで活動し、「最後のサムライ」と呼ばれた日本人・秋野豊氏を意識してつけたものである。
 秋野氏は、和平交渉のために、国連職員としてタジキスタンに赴いた。そして、タジキスタン各地に根を張る武装勢力のリーダーたちと粘り強く交渉し、和平を働きかけた。誠実に交渉に臨む彼の姿勢に、はじめは頑なだった武装勢力も次第に耳を傾けるようになり、次第に武装解除に応じるようになっていったという。残念ながら秋野氏は、タジキスタンでの活動中に命を落とすことになったが、彼の活動はいくらかでも和平に寄与していただろう。
 国際貢献とは、このような形で行われるべきである。
 ロシアやイランが介入したことが、タジキスタンにとってよいことであったとは私には思えない。むしろ、秋野氏のように、武力ではない形で和平を働きかけるほうが、よほど効果があるし、尊敬もされるだろう。実際タジキスタンでは、彼の名を冠した大学がつくられるなど、秋野氏は今でも非常に尊敬されているという。
 去年、安倍総理はタジキスタンを訪問し、秋野氏を追悼したというが、本当に秋野氏を悼む気持ちがあるのなら、集団的自衛権などではなく、武力ではない形の国際貢献を模索するべきだ。


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