前回ボブ・マーリィのことを書いた。
うっかり失念していてそこに書きそびれたこともあったので、ついでに、今回はもう少しこのレゲエ・レジェンドについて書こうと思う。
まず――突然だが、関西にSADLという団体がある。
関西で設立された政治運動団体としてSEALDsKANSAIと並んでよく知られる存在だが、このSADLという団体名の最初の「SA」というのは、ボブ・マーリィの Small Axe という曲からとられているという。
このタイトルは、直訳すると「小さな斧」。
お前が大木だとするなら、俺たちは小さな斧
お前を打ち倒す準備はできている
と、ボブ・マーリィは歌う。
小さな斧でも、それがたくさん集まれば、巨大な木を切り倒すことができる。そんなふうに、一人ひとりの力は小さくとも、それが結集すれば社会を変革する大きな力となる――そういう意味がこの歌にはこめられている。そして、そのスピリットに基づいてSADLは行動しているのだ。
そして、ここでもう一曲。
ボブ・マーリィと社会運動について考えるなら、絶対にはずせない曲が Get up Stand up だ。この歌で彼は、きわめてストレートに“目を覚ませ、立ち上がれ”と呼びかける。
目を覚ませ 立ち上がれ
お前の権利に目覚めるんだ
目を覚ませ 立ち上がれ
権利のために立ち上がれ
目を覚ませ 立ち上がれ
あきらめずに闘い続けるんだ
もう一つ、シャープな曲として、Ambush in the Night などという曲もある。
このタイトルは、直訳すれば「闇夜で待ち伏せ」といったところか。
この歌の歌詞は、はじめはこう歌われる。
やつらはいう
俺たちの知っていることは やつらの教え込んだこと
俺たちは無知で
いつでも自分たちの政治戦略を植えつけられると
このように政府の国民に対するプロパガンダ戦略を痛烈に批判するのだが、それが、2ヴァース目では次のようになる。
俺たちの知っていることは やつらの教え込んだことじゃない
俺たちはばかじゃない
やつらも 権力で俺たちに干渉することはできない
まさに、プロパガンダ戦略をこれでもかと繰り出してくる安倍政権に対するときの心がまえを説いているような歌ではないか。「安保法制は平和のため」とか「日本の経済のために原発再稼働が必要」などというまことしやかな嘘を信じ込まされるほど、日本人は愚かであってはならない。
さて、ここまではラディカルな曲ばかりを紹介してきたが、もちろんボブ・マーリィとて、いつもこうして政治闘争を呼びかけるような歌ばかりを歌っているわけではない。
ふつうのラブソングだって歌うし、ときにはきわめて楽観的なところも見せる。たとえば、No Woman No Cry では、こんなふうに歌う。
これまで歩んできた道で
多くの仲間を得て 多くの仲間を失くした
この輝かしい未来のなかでも
過去を忘れることはできやしない
だから 涙をふいて
女よ 泣くな
女よ 泣くな
かわいい子 涙を流さないで
女よ 泣くな
おぼえているよ
トレンチタウンの広場に座って ジョージーが火を焚いた
焚き木は夜通し燃え続け 僕らはコーンミールの粥を作った
これからもそれを分かち合っていこう
僕を運んでくれるのは 僕の足だけ
だから 僕は進み続けりゃならないんだ
力尽き果てたときにも
きっと何もかもうまくいくさ
きっと何もかもうまくいくさ……
この歌の作者としてV.Ford という人物の名がクレジットされているが、それについては、次のような逸話がある。
――このフォードという人物はボブ・マーリィの友人で、貧民街で炊き出しのような事業をしていた(歌の中に出てくる、「コーンミールの粥」というのはそのことを歌っていると思われる)。No Woman No cry を実際に作ったのはもちろんボブ・マーリィ本人だが、彼は、レコードの収益の一部がフォードにまわって救済事業の援助になるようにと考え、友人の名前をクレジットした……
この話が本当かどうかはわからないが、権力者に都合のいい来世救済ではなくて、あくまでもいま生きている民衆の生きていく権利を重視したボブ・マーリィらしい話とはいえるだろう。
いまの日本は、ボブ・マーリィの政治的なメッセージが必要とされる状況になっている。
重要なのは、自分はただの「小さな斧」にすぎない、とあきらめてしまわないことだ。現状を追認するのではなく、炊き出しのような、自分にできる小さなことからはじめる。そうすれば、やがて「小さな斧」が束になって、巨大な木をも打ち倒すことができる。あきらめてしまえば、そこですべてが終わり、いっさいが闇に飲み込まれる。 「目を覚ませ 立ち上がれ」というボブ・マーリィのメッセージに、今こそ耳を傾けよう。
うっかり失念していてそこに書きそびれたこともあったので、ついでに、今回はもう少しこのレゲエ・レジェンドについて書こうと思う。
まず――突然だが、関西にSADLという団体がある。
関西で設立された政治運動団体としてSEALDsKANSAIと並んでよく知られる存在だが、このSADLという団体名の最初の「SA」というのは、ボブ・マーリィの Small Axe という曲からとられているという。
このタイトルは、直訳すると「小さな斧」。
お前が大木だとするなら、俺たちは小さな斧
お前を打ち倒す準備はできている
と、ボブ・マーリィは歌う。
小さな斧でも、それがたくさん集まれば、巨大な木を切り倒すことができる。そんなふうに、一人ひとりの力は小さくとも、それが結集すれば社会を変革する大きな力となる――そういう意味がこの歌にはこめられている。そして、そのスピリットに基づいてSADLは行動しているのだ。
そして、ここでもう一曲。
ボブ・マーリィと社会運動について考えるなら、絶対にはずせない曲が Get up Stand up だ。この歌で彼は、きわめてストレートに“目を覚ませ、立ち上がれ”と呼びかける。
目を覚ませ 立ち上がれ
お前の権利に目覚めるんだ
目を覚ませ 立ち上がれ
権利のために立ち上がれ
目を覚ませ 立ち上がれ
あきらめずに闘い続けるんだ
もう一つ、シャープな曲として、Ambush in the Night などという曲もある。
このタイトルは、直訳すれば「闇夜で待ち伏せ」といったところか。
この歌の歌詞は、はじめはこう歌われる。
やつらはいう
俺たちの知っていることは やつらの教え込んだこと
俺たちは無知で
いつでも自分たちの政治戦略を植えつけられると
このように政府の国民に対するプロパガンダ戦略を痛烈に批判するのだが、それが、2ヴァース目では次のようになる。
俺たちの知っていることは やつらの教え込んだことじゃない
俺たちはばかじゃない
やつらも 権力で俺たちに干渉することはできない
まさに、プロパガンダ戦略をこれでもかと繰り出してくる安倍政権に対するときの心がまえを説いているような歌ではないか。「安保法制は平和のため」とか「日本の経済のために原発再稼働が必要」などというまことしやかな嘘を信じ込まされるほど、日本人は愚かであってはならない。
さて、ここまではラディカルな曲ばかりを紹介してきたが、もちろんボブ・マーリィとて、いつもこうして政治闘争を呼びかけるような歌ばかりを歌っているわけではない。
ふつうのラブソングだって歌うし、ときにはきわめて楽観的なところも見せる。たとえば、No Woman No Cry では、こんなふうに歌う。
これまで歩んできた道で
多くの仲間を得て 多くの仲間を失くした
この輝かしい未来のなかでも
過去を忘れることはできやしない
だから 涙をふいて
女よ 泣くな
女よ 泣くな
かわいい子 涙を流さないで
女よ 泣くな
おぼえているよ
トレンチタウンの広場に座って ジョージーが火を焚いた
焚き木は夜通し燃え続け 僕らはコーンミールの粥を作った
これからもそれを分かち合っていこう
僕を運んでくれるのは 僕の足だけ
だから 僕は進み続けりゃならないんだ
力尽き果てたときにも
きっと何もかもうまくいくさ
きっと何もかもうまくいくさ……
この歌の作者としてV.Ford という人物の名がクレジットされているが、それについては、次のような逸話がある。
――このフォードという人物はボブ・マーリィの友人で、貧民街で炊き出しのような事業をしていた(歌の中に出てくる、「コーンミールの粥」というのはそのことを歌っていると思われる)。No Woman No cry を実際に作ったのはもちろんボブ・マーリィ本人だが、彼は、レコードの収益の一部がフォードにまわって救済事業の援助になるようにと考え、友人の名前をクレジットした……
この話が本当かどうかはわからないが、権力者に都合のいい来世救済ではなくて、あくまでもいま生きている民衆の生きていく権利を重視したボブ・マーリィらしい話とはいえるだろう。
いまの日本は、ボブ・マーリィの政治的なメッセージが必要とされる状況になっている。
重要なのは、自分はただの「小さな斧」にすぎない、とあきらめてしまわないことだ。現状を追認するのではなく、炊き出しのような、自分にできる小さなことからはじめる。そうすれば、やがて「小さな斧」が束になって、巨大な木をも打ち倒すことができる。あきらめてしまえば、そこですべてが終わり、いっさいが闇に飲み込まれる。 「目を覚ませ 立ち上がれ」というボブ・マーリィのメッセージに、今こそ耳を傾けよう。