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レバノンの杉――集団的自衛権行使事例を検証する:中東の3事例(レバノン、ヨルダン、イエメン)

2015-10-07 20:21:12 | 集団的自衛権行使事例を検証する

   
  敵は慎重に選ぶことだ 君の存在は彼ら次第なのだから
  彼らを面白く仕立てることだ ある意味では、彼らが君を養ってくれるのだから
  彼らは はじめはそこにいない 
  だが 君の物語が終わったら 君の友人たちよりも長くとどまり続けるだろう

                                 ――U2 ‘Cedars of Lebanon' より


 集団的自衛権行使の事例を検証するシリーズの第二弾として、今回は中東のケースをとりあげる。
 時代は、1950年代。
 この頃、「エジプト革命」で王政を打倒して誕生したナーセル大統領の率いるエジプトを中心に、アラブ民族主義運動が高まりをみせていた。1958年には、エジプトとシリアで「アラブ連合」が結成され、それに触発されるようにして、イラクでもクーデターが発生し、王政が打倒される。
 この動きに対して、イギリスとアメリカは即座に反応し、「集団的自衛権の行使」として、それぞれヨルダンとレバノンに軍を進駐させた。

 なぜ英米は中東に軍を派遣したのか。
 それは、中東で広がる動きが、彼らの権益を損なう可能性があったためだ。
 イギリスの場合は特にそうで、中東地域には旧イギリス植民地が多く、そこで民族自決の動きが広まっていくことは、みずからの権益が大きく損なわれることを意味していた。エジプトなどはその典型で、ナーセルがスエズ運河の国有を宣言したことはイギリスに大きな衝撃を与え、第2次中東戦争(スエズ動乱)にイギリスがフランスとともに介入する要因となった。そういう土地柄なので、イラクでクーデターが起きると、イギリスは、その動きが周辺地域に波及しないよう、イラクの隣国であり、かつて植民地であったヨルダンに軍を派遣したのである。

 アメリカの場合は、中東に植民地を持っていたというわけではないが、中東で主導権を握りたいと考えていた。そこで、1957年にレバノンに軍事・経済援助を行っていた(このことが、キリスト教系住民とイスラム系住民との対立を生じさせ、内戦を引き起こすことになった)。

 すなわち、アメリカにとってレバノン、イギリスにとってヨルダンは、中東にある出張所のような存在だったわけである。
 アラブ連合の成立、そしてイラクでのクーデターなどによって、米英が中東に持っている既得権益、あるいはこれから確立しようとしている権益が脅かされる危険があり、それを守るために集団的自衛権を行使したという構図が浮かび上がってくる。アラブ民族主義のうねりが中東地域に広がり、アラブ諸国が結束して欧米の半植民地状態から逃れることを、英米は快く思わなかった。そこで、それを防ぐために自分たちの“出先機関”となっている国に軍を送り込み、アラブ民族主義の動きが周辺地域に波及するのを阻止しようとしたのだ。

 また、それから少し後の話になるが、’64年にイギリスは当時の南アラビア連邦(現在のイエメン南部)に軍を派遣している。
 これも集団的自衛権の行使例の一つとされるが、この南イエメンもまた旧イギリス植民地だったことを指摘しておかなければならない(北イエメンはオスマン帝国に支配されていて、南とは別に独立し、1990年に統一されるまで別の歴史をたどった)。この南アラビア連邦には、紅海、スエズ運河につながる要衝であるアデンがあり、イギリスにとってここを確保しておくことは重要な意味を持っていた。そこで、「独立」国家とは名ばかりの、事実上の植民地として、この国を“保護”下においておきたかった。そのために、軍事介入したのである。
 しかし、この植民地主義丸出しの行動は国際社会から強い批判を浴び、また、このころのイギリスにはすでに大英帝国時代の面影はなく、目的を果たすことなく撤退を強いられる。そして、’67年に南アラビア連邦は民族解放戦線に打倒され、「イエメン人民共和国」となった。結果としては、イギリスの介入は徒労に終ったことになる。

 このように、1950年代から60年代にいたるまでに中東地域で行使された集団的自衛権は、アラブ諸国が、独立してもなお続く半植民地状態から脱しようとするなかで、旧宗主国であるイギリスが自国の権益を守る、あるいは、アメリカが中東での主導権を確立するために目論んだ軍事的干渉だったことがわかる。
 これは、集団的自衛権のもつ一つの大きな側面だ。
 前回は、《東西冷戦を背景にした陣取り合戦》という構図を指摘したが、それとは別に、《旧植民地の利権を守るための旧宗主国の介入》というのが、もう一つのパターンとして存在したのである。1960年代ぐらいまでは、欧米の大国はまだあちこちに植民地を持っていて、それらが独立してからも一定の影響力をもっていた。そういう時代に作られた代物であるから、「集団的自衛権」には植民地主義的性格も色濃くそなわっているのだ。
 先の「安倍談話」において、安倍総理は「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」と、日本が植民地状態にあった諸国に希望を与えことを強調したが、ならば総理は、集団的自衛権が欧米列強の植民地主義的権益を守るために行使されてきたという歴史的経緯をどう考えるのだろうか。

 ところで、こう書いてくると、植民地主義というのはもう昔の話じゃないか、という人がいるかもしれない。いまさらそんな何十年も前のことを問題にしても仕方ないじゃないか、と。
 だが、そういいきってしまうこともできないと私は考える。
 というのも、上述した米英の介入などによってもたらされた中東の混迷は、悲しいことに、現在にいたるまで尾を引いているのだ。
 本稿で名前が出てきた中東4カ国のうち、ヨルダンをのぞく三カ国は、現在きわめて不安定な状態になっている。
 レバノンは、アメリカの援助を受け入れた1950年代から今にいたるまで、果てることのない混迷が続いていて、時にはほとんど無政府状態一歩手前にまでいたったこともある。また、この国がかつてはパレスティナゲリラの拠点となっており、現在ではシーア派系武装組織ヒズボラの拠点となっていて、イスラエルによる侵攻をたびたび受けてきたことは周知のとおりである。
 イエメンは、当ブログで一度紹介したが、テロ組織AQAPの拠点として米軍による無人機攻撃が長いあいだ行われていたが、今年になってクーデターが発生し、AQAPとはまた別の武装組織“フーシ派”が実権を掌握した。それ以降内戦状態に陥っており、今年の3月から現在までの間に民間人2300人以上が死亡しているという。
 イラクについては、いうまでもあるまい。イラクは英米の集団的自衛権行使によって直接攻撃されたわけではないが、この軍隊派遣は直接にはイラク情勢を念頭においたもので(アメリカは、イラクでのクーデター発生の翌日にレバノンに海兵隊を送り込んでいる)、そういう意味ではこのケースの“当事者”ではある。もう少しいうと、この国もまた旧イギリス植民地であり、広い意味ではイギリス植民地主義の犠牲なのである。

 今回あげたなかで、特に、レバノンとイエメンは、集団的自衛権がいかに無益かという典型的な例である。
 イギリスやアメリカが集団的自衛権を行使して介入したこの両国が、数十年の時を経てなお、おそろしく治安の悪い状況が続き、テロリストの温床となっているのは偶然ではない。中南米のホンジュラスやコロンビアを見てもわかるとおり、大国の出先機関のような状態になっていたからこそ、民主的な統治が行われないために治安が悪化し、事実上の支配者である大国に対する強い反感がテロ組織やゲリラ集団を生み出すのである。
 だからこそレバノンは現在のような状態になっているし、イエメンもまた然りだ。
 アメリカが支援したレバノンは、その後PLOの拠点となり、いまでは過激派組織ヒズボラの拠点となっている。
 イギリスが支援した南イエメンは、その3年後に体制が崩壊し、さらに40年ほど後にはシャルリ・エブド事件にも関与していたテロ組織の拠点となり、アメリカがそこに空爆をくわえているうちに別のテロ組織がクーデターで実権を掌握した……

 米英が集団的自衛権を行使して支援した2つの国が、いまこの有様なのである。
 イギリスは、植民地的利権を守るという目的を果たせなかったし、アメリカは中東で主導権を握ることはできなかった。その目的の是非はさておくとしても、いずれの目的も失敗に終わっているというのは歴史上の明確な事実だ。米英の介入は、当初の目的を果たせず、その後には混乱状態の国家だけが残されたのである。
 このような歴史をみていれば、集団的自衛権なるものが平和も安全ももたらさないということがよくわかる。集団的自衛権がもたらしたのは、短期的な破壊と荒廃、長期的な混乱だけだ。「集団的自衛権によって安全が守られる」などと主張する人たちは、まず、この現実を直視すべきだろう。


 さて、最後に、冒頭の引用について説明しておこう。
 このパッセージは、世界的ロックバンドU2の Cedars of Lebanon という曲の歌詞の一部である。
 タイトルのCedars of Lebanon というのは、直訳すれば「レバノンの杉」。レバノンは大昔から杉の産地として有名で、レバノン国旗にも描かれているこの木は、聖書でも何度か言及されている。それらの記述によれば、レバノン杉はかつて神殿建築などでもよく使われていたようで、U2の歌でも「神の家」といような意味合いを含ませているのではないかと想像する。この歌は、レバノンで戦場を取材している記者の立場で書かれているとされるが、そのジャーナリストの目を通して、「神の家」であるべき場所(狭い意味でいえば、聖書の舞台であるパレスティナの周辺地域。広い意味でいえば、全世界)が戦場となっている現実が淡々と歌われている。
 件のフレーズは、記者の視点からの言葉としても皮肉がきいている(特に「彼らを面白く仕立てることだ ある意味では、彼らが君を養ってくれるのだから」というところ)が、この記事で書いてきたような安全保障の観点からみても、興味深く読めるだろう。
 「敵は慎重に選ぶことだ 君の存在は彼ら次第なのだから」という言葉には、深い含蓄がある。「彼らははじめはそこにはいない」。武力を行使することこそが、はじめは存在していなかった敵を新たに作り出す。そして、「君の物語が終わったら 君の友人たちよりも長くとどまる続けるだろう」。大国は、「正義」や「自由」といった“物語”を喧伝してみずからの勝手な都合で軍事介入する。しかし彼らが、撤退していったあとも、それによって生み出された憎悪はそう簡単には消えない。友好的な体制が消滅してしまった後でさえ、テロリストの暴力というかたちで、数十年にわたって人々を苦しめ続けることになるのだ。


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