西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

ぶるきな親爺のつぶやき

2008-01-03 | Weblog
ブルキナファソの首都ワガドゥグ、昨年は12月に多く行事があり独立記念日が11日、イスラムのタバスキが19日、カトリックのノエルが25日、そして年末年始と続きました。お祭り好きのブルキナファソの人々は家族や友達と共に一晩中エキサイティングに騒ぎダンスを踊り楽しみます。日ごろは黙々と暮らし、この時にここぞとばかりに楽しみ奮発しますが、年を越し1月3日ともなると、それと相まって人々は現実の世界へと覚醒し、その姿には何となく疲労感のようなものが漂っています。日本のようにパチンコやカラオケボックスや遊園地などの大衆的な趣味や娯楽が少ないのは皆余分なお金が無いからなのかもしれませんが逆に生活にメリハリがあって良いような気もいたしまする。
親爺がガキンチョのころ、昭和30年代初期は遊園地といえば浅草花屋敷か谷津遊園、観光旅行といえば日光、それも年一回の子ども会の旅行もしくは町内会の旅行のみ、やっとテレビが普及し始めたころですので普段は街頭テレビでプロレスを見て力道山の強さにあこがれたものです。ですからクリスマスやお正月がとても待ちどうしく、それこそ指を折って後何日と数えていたものです。あるクリスマスの晩に、サンタクロースに会おうと弟と一緒に企てをしてサンタクロースがきたら目を覚ますような仕掛けを作りました。仕掛けといっても簡単なもので靴下のところに糸を付けてサンタクロースがそこにプレゼントを入れると鈴がなるようにしたものです。ところが朝になって眼を覚ますと靴下の中ではなく枕元にプレゼントが置いてありましたので、とても悔しい思いをしたのを思い出します。
そのような事をいまの若い方々に言っても実感として解からないかも知れませんが、少なくともブルキナファソには、そのような懐古的なものが存在しておりまする。
いや~だんだんと年を取るに付けて現実に押し流されているせいか夢も膨らんでこなくなって来るものでありまして、今もって子供のころは良かったな、と思う次第でござりまするが、親爺はこれからも純粋かつ屈託の無い心すなわち童心を忘れないよう心がける事を今年の目標として奮闘して行こうと思いまする。