1974年2月中旬の平日ではありましたが、日時は良く分からないです。何しろ結構寒い朝でした。私はあの大火災にあったホテルニュージャパンに宿泊して、東京での受験の日々を過ごしていました。2週間ほどの日程だったのですが、2月初旬から、何とか受かりそうな成蹊大学の経済、工学部、法学部とか法政大学の経済とか法学部受験があって、中旬に慶応大学工学部、その後に早稲田の工学部の受験がありました。
受験が、文科系から理科系にまたがっているのは、私が理科系科目でしか点数が取れない文科系志望だったからです。私、文学部哲学科に行きたかったのです。それなのに、文学部哲学科は理科系科目だけでは受験できないのでした。(多分、今でもそうだと思います)哲学は倫理です。文科系ではなくて、理科系だと思うのですが・・・・ダメなのですよ。社会科、歴史なんて、誰が何処でキリストが生まれた何年後に何をしたとか言う事を覚えなきゃいけないでしょ。それって何の必然性も無いですやんか。そんなの私には覚える気がしないのでありますよ。私、やる気が起こらないことには全くもって興味をそそられない人なんです。だから、興味が無い事には関心ゼロです。
なので、社会科には興味ゼロでした。国語も出来なかったしね。
何で数学で哲学科を受験できないのか理解できませんでした。そんなに数学が出来たわけでもないですが。でも、理系科目でで哲学科受験させてほしかったです。
話を長く振りました。何を借りたかと言う話でしたよね。
借りたのは、鉛筆と消しゴムです。
その日は、慶応義塾大学工学部の受験日だったのです。私、迷ったのですが、絶対に受からないと言われ、無駄だから日程を縮めて帰って来いと言われておりました。それで、その日は受験せずに高田馬場のパチンコ屋に行こうかと思って地下鉄に乗ったのです。そこで、高校の同級生にばったり遭遇したのです。「どこ行くの?」と、聞くと、慶應工学部の受験に行くのだと言いました。わたし、「偶然やんかぁ、おれも慶應工学部の受験に行くはずやったんやけれど、どうせ受からんから、高田馬場にパチンコに行こうとしていたんや。此処であったのも何かの縁やから、おれ、受験に行くわ。」と、その同級生に鉛筆3本と消しゴム半分を借りました。
そしてその4日後やったかなぁ、入試の発表がありまして、私、補欠合格、鉛筆と消しゴムを借りた彼は不合格でした。
その数日後にその彼、京都大学に見事合格したので良かったですが、そうでなければ、自死まで考えていたとの事です。試験結果は本当に恐ろしいです。実力+運です。
強いものが、受け入れられてゆくのですよね。
武蔵も、哲学者になりたかったのかもしれませんね。
勝っても、、悩み、、、負けは自分が居なくなる!、、
、
生きるべきか,、死ぬべきか、、、ゲーテにも似てますね。
ですから、彼にとって、貸さないという選択肢は無かったと思います。
貸して後悔する。それが唯一彼の生きる道??
憎まれ者が世にはばかる!!!それが現実社会でございます!!
お互いに遭遇を避けていると思います。
あれから半世紀・・・・
ですけどねぇ、合ったらどんな挨拶交わすのでしょうか??
縁とか縁起とか、運命的なものってありますよねぇ
私が医者になったのも、チリ紙交換をしていた時に偶然受験参考書や受験関係の書物が沢山出されて、暇に任せてそれを読んだことに縁を発します。まぁ、生きてみなくちゃ分からないから、人生生きる価値があるのかなぁとも思います。
、ガンリュウ島で、、、、
武蔵より一足早かった小次郎が
勝負の時、、、刀の鞘を捨てたのと、重なりますね。
同じ大学受ける相手に、、
強敵に武器は貸さないでしょう。
「パチンコにいってくれ~~~!」って、祈るでしょう!
友人に 恨まれていませんか??
今となっては、良い思い出 でしょうか??
少し前、Eテレ(昔のNHK教育テレビ)の『心の時代』を見ていたら
どこかのお坊様が『因縁果(いんねんが)』ということを仰っていました。
因果関係だけで世の中は回らない
そこには縁・縁起が必ず入ってくる
縁・縁起とは世の中の様々なご縁(偶発的な関わり)
例えば
「一生懸命努力する(猛勉強)→結果が得られる(合格)」
これが因果関係。
しかし、同じように努力した人全てが合格を手に入れられるわけではない。
試験の日、たまたま体調を崩すこともある。問題の得手不得手がある。電車の遅延に巻き込まれる。
世の中の営みは、複雑な環境の作用を受けて回っている。それが縁であり、その縁に絡み合って縁起がある。
縁や縁起は偶発的なもの。
それにより気づかぬうちに支えられたり、幸福をもたらされたり、不都合があったりする。
抗ってもコントロールできるものでは無い。受け入れていくこと。
可能な限りの努力をする上で、あとは縁・縁起にお任せする。
(参考/大谷翔平が運を大切にし、良運と縁を持つためにしていること)
↑はお話の内容のごく一部で、上記にはわたくしの解釈や理解の為の補足も加えていますが、ブログを読み直ぐに思い出しました。
運と縁。それは近いようでまた全く別のものかもしれないとも考えました。
長々失礼致しました。
葉月