人生会議(アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning ))って耳にされたことがあるでしょうか?
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html
http://www.med.kobe-u.ac.jp/jinsei/about/index.html
「人生会議」とは、もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組(アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning ))の愛称です。
表題のポスターは、厚生労働省が「人生会議」の普及・啓発のため、小藪さんをモデルにして作ったPRポスターです。しかし、公開後まもなく、患者団体の方々等から、患者や遺族を傷つける内容であるといったご意見が寄せられ、掲載を停止しました。
私は問題を投げかけること自体が意味のあることで、このポスターはよくできたものだと思っています。
「死」を語ること自体がタブーに触れること?
養老孟司先生は「人間は頭でっかちになって、自然が生活の中に入ってくることを拒否するようになった」と、言われます。
都会人は、生活圏内にネズミは勿論、虫一匹入ってきても騒ぎます。
生物が死を迎えることは当たり前で避けることは出来ないと理解はしているはずですが・・・
生活の中に「死」が紛れ込むことは、部屋の中に蛇やサソリが迷い込んできたようなものです。
まさに蛇蝎のごとく嫌われる
それで、90歳を超えた方が老衰で静かに息を引き取ろうとされている時ですら、救急車を呼ぶ
生活圏内に「死」が入り込むことは想像を絶することなのでしょう
「病院で死ぬのが当たり前」になった原因は、生活圏から「死」を遠ざけたから。
脳の都会化現象の表れなのでしょうね。
それに一石を投じたのがあのポスターだと思うのですが、皆様のお考えはいかがでしょうか。
アドバンス・ケア・プランニングとは、あなたの大切にしていることや望み、どのような医療やケアを望んでいるかについて、自ら考え、また、あなたの信頼する人たちと話し合うことを言います。あなたの希望や価値観は、あなたの望む生活や医療・ケアを受けるためにとても重要な役割を果たします。いざ、判断が必要になった時に、ご本人は意思を表明できない状態になっていることが多いのです。
「死」は誰にも必ずやってきます。残された財産をどのように分配するか、遺書を書くことの重要性は一般的に認識されてきているようですが・・・
点滴や人工呼吸をしても延命してほしいのかそうではなくて、出来るだけ自然に逝きたいのか、大雑把にでも話し合っておくことも、残される者たちにとっての大きなプレゼントになることも多いのです。
https://diamond.jp/articles/-/222050
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