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昨日、大峯奥駈道南部(玉置神社~熊野本宮大社)を歩いたことをお伝えしました。
最後に熊野川を徒渉 して熊野本宮大社に辿り着きました。
到着したのは5時前で、社務所も閉まる寸前でした。
到着したのは5時前で、社務所も閉まる寸前でした。
巨大な鳥居の前や下で、皆で記念撮影をしたり、大慌てでお参りしたりしたのですが・・・
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上の写真で、鳥居の左奥
下の写真では右手前に、あるものを見つけました。
下の写真では右手前に、あるものを見つけました。
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それがこれです。
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映画で有名な菅原文太さんは、調べたら、宮城県仙台市のご出身だそうなので、同姓同名の方なのかなと思ったのですが・・・・息子さんのお名前が加織さんだそうで
偶然にしては出来過ぎているなと、もっと調べたら・・・・
https://wbs.co.jp/news/2014/12/01/52483.html
「2014年12月01日 19時05分 ニュース, 社会
転移性肝がんによる肝不全のため先月(11月)28日、81歳で亡くなった俳優の菅原文太(すがわら・ぶんた)さんは、5年前の2009年4月に、田辺市本宮町(たなべし・ほんぐうちょう)の世界遺産・熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)で行われた春の例大祭に参列した際、和歌山放送田辺支局のインタビューに答えていました。
菅原さんは、およそ30年前、先代の故・九鬼宗隆(くき・むねたか)宮司との出会いがきっかけで熊野本宮大社を参拝し、それが縁となって繰り返し熊野を訪れていました。
そして本宮大社の魅力について菅原さんは「全国のいろんな神社に立ち寄ったが、青空と3つの社殿と大地のたたずまいが別格で、神域としての雰囲気がみじんも変わらず残されている」と語っていました。
熊野本宮大社の九鬼家隆(くき・いえたか)宮司は「最近ご無沙汰になっていて連絡しようと思っていた矢先の訃報に驚きました。
菅原さんは父のことをオヤジと呼んで意気投合し、葬式にも真っ先に駆けつけてくれました。
父親が亡くなった後、宿泊先の川湯温泉(かわゆおんせん)に私を呼び『オヤジが見守っているし、俺は本宮が好きだし、家隆は地に足を着けて頑張れよ』と励ましてくれました。人間として懐の深い人でした」と語り、菅原さんを偲んでいました。」
なのだそうです。ですから、この石碑は、有名な親子が建立されたものなのでしょうね。ちなみに、息子の加織さんは、2001年に踏切事故で亡くなっています。
今回の大峯奥駈道、色々な意味で感慨深いものとなりました。
今日という日を、かみしめて生きたいと思います。
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