子どもの保育園の謝恩会の目処が立ちました。
やっと、ほっとしました。
ごんたの保育園の保護者会活動は、今までの保育園や学校の保護者会活動からは考えられないほどの苦労がありました。
保護者たちの教育の価値観の相違、常識と非常識の天変地異には
内心、とても着いて行けないものがありました。
高々謝恩会で、1年間掛けて何日も何時間も会議もして、
やっと、保護者の皆さんに下ろしたいという私の念願が叶い、およそ決まったのも束の間、
アンケートも取って、2次会も、ほとんどの家庭が家族で出席予定という回答を得ているにも拘らず、
クラス理事から、2次会中止、失くすという意見が出た。
また、いつものどんでん返しです。
だったら、
アンケート結果でお母さんの出し物参加クラス全員の参加希望を、役員含めて8人のみの参加企画も考え直して欲しい。
と言ったのだが・・・・・。
自分の主張は通すがこちらの意見は耳を貸さない。
出来るだけ裏方に徹して来たのですが・・・・
まあ、どこまでこの騒動が続くのか?
自分が出るとうまく行かないので、
一般保護者の方の協力を仰ぐ。
クラス理事以外の保護者の方が、居心地がいいんだよなあ。
1人の方が、2次会会場の社長をご存知なので交渉してくれることになった。
すべてこちらの希望通りに受けて貰えることができた!
他の保護者も、必死になって会場探しをしてくれた。
クラス理事とその周辺の一部で、2次会を潰して、自分たち気の合う親たちだけで呑みに行きたかったようです。
それもお見通しの上で阻止するために動いてくれた保護者たちが居てくれました。(事後で初めて知りました。)
ずっと、保護者との温度差を感じていたけれど、やはり同じような価値観を持った方はいるのだと知って嬉しかったです。
何が本当に大切か?どうでも良いことと、そうでないことの温度差があまりに大きくて引いていたのですが、同じような考えの人も必ずいる。世の中捨てたものじゃないなあって思いました。
ちなみに、先生や保育方針は、たぶん他の保護者とは特別の関係にあります。
園が本来どのような謝恩会を望んでいるのかとか、園の教育観の橋渡し役を担ってきました。
今回、民営化されて初めて、
お泊まりスキーの歴史を作ることが出来ました。
公立びいきの保護者の意見に耳を傾けて、園と折衝したり、
保護者会の役員ではないけれど、保護者のパイプ役を担ってきました。
本当は、1年目が終了した時点で、これは公立の流れを替えるには長い年月が掛かる。
ごんたの保育環境としては、理想から程遠い。本園の保育ができるのは、いつになるのだろう。
辞めて本園を希望するか、似たような理想の保育園に転園をしようと思った時期もありました。
でも、病気になり、お仕事を辞めて、保育園の子どもたちと関わる時間が持てたとき、
嫌な保護者の子どもでも、心はまだまだ本当に純真で、とても可愛くて愛しくなりました。
そして、子どもの態度で家庭環境が分かってしまうようになりました。
本質はどの子も凄くいいものを持っていて素直なのです。
「人生で本当に大切なことは、すべて幼稚園の庭で教わった。」
というようなタイトルの本があったけれど、
まさに、未来の地球の宝であるこの子たちの、
こころの、人生観の原点に、この庭がなって欲しい。
そう思ったのです。
私は立ち向かうことにしました。
園の改革に、先生や理事長と保護者との合意点を探ったり、
先生の保護者への恐怖心を取り除くために、理事長や園長と押したり引いたり、
また、保育士の定着のために、園長に
これからの保育のあり方や、
子育てのプロである保育士の子育てしながらの仕事のあり方についても、話し合いを重ねました。
そして、バランスの良い保育士層が作れるように、何度も交渉しました。
子どもを自園に入れながら働く唯一の保育士に
有給を利用して、自分の子どもの保育に関われるように。遠慮することない。自分のためだけでなく、未来に続く保育士たちのためにも、勇気を持って、有給をとって、子どもの園外保育付き添いに行って欲しいと懇願。
初めて、1回、日帰りの登山に同行出来ました。
これも、歴史の一歩となりました。
また、障害児の親の付き添いも、何度も何度も直談判し、これは理事長とも、園長とも、何度も折衝。譲らないので福祉事務所にも掛け合ったり、県とも掛け合いました。
結果はその時は無力で徒労に終わったかに見えましたが、
最後の最後、来週の月曜日に、
最後の園外バス活動で、障害のある子も、親の付き添いなしで、保育士と子どもたちだけで、最初で最後の動物園旅行が行われることになりました。
これは、何より私にとって嬉しいことです。
あれほど、びくともしない園長先生がGOサインを出してくれたのです。
担任も凄く成長したと思います。
見直しました。
何事も、石橋をたたいて渡らないタイプに思えていたのですが、
スキーの合宿の手応えは本当に感動でした。
そして、劇発表会も、涙無しでは観られませんでした。
ごんたの成長も然ることながら、先生の技量を見直した劇発表会でもありました。
最後にやってくれました。
障害児の親の付き添いの解除です。
これは担任が園長に頼まなければ出来なかったことでしょう。
諦めていたので、嬉しかったですね。
内緒の話しですが、クラス費の収支決算を受けています。
卒園式での園から子どもへの記念品も、他の保護者には内緒ですが、先生は、良いものを選んでくれました。
質の高い素敵なものです。
帰りの報告も、2年前の「元気でした~!」
の一言が、
今は、「今日は、こんないい言葉を掛けてくれて、うるうるしてしまいました~!」
という、素敵な着眼点で報告を毎回くれるようになりました。
また、クラスの纏め方も、とにかく、23名全員が良く得意な部分で活躍したり、足りないところを補い合ったりして、纏まっています。これは驚きですね。吾が吾がって言うのではなく、お互いに思いやりあったり、庇いあったりして、大きな男の子が、何事も皆を守ると言う何気ない姿勢と、彼らに対するほかの子の尊敬や畏敬の念を感じます。
これは、この先生ならではの秀でた技量だと思いました。
正直、最初は物足りなかった担任配置でしたが、今は本当に感謝しています。
ありがとうございました。ユーチューブに劇発表会が載せられなくて残念でしたが、子どもにも、親にも
一生涯忘れられない宝(財産)となりました。
やっと、ほっとしました。
ごんたの保育園の保護者会活動は、今までの保育園や学校の保護者会活動からは考えられないほどの苦労がありました。
保護者たちの教育の価値観の相違、常識と非常識の天変地異には
内心、とても着いて行けないものがありました。
高々謝恩会で、1年間掛けて何日も何時間も会議もして、
やっと、保護者の皆さんに下ろしたいという私の念願が叶い、およそ決まったのも束の間、
アンケートも取って、2次会も、ほとんどの家庭が家族で出席予定という回答を得ているにも拘らず、
クラス理事から、2次会中止、失くすという意見が出た。
また、いつものどんでん返しです。
だったら、
アンケート結果でお母さんの出し物参加クラス全員の参加希望を、役員含めて8人のみの参加企画も考え直して欲しい。
と言ったのだが・・・・・。
自分の主張は通すがこちらの意見は耳を貸さない。
出来るだけ裏方に徹して来たのですが・・・・
まあ、どこまでこの騒動が続くのか?
自分が出るとうまく行かないので、
一般保護者の方の協力を仰ぐ。
クラス理事以外の保護者の方が、居心地がいいんだよなあ。
1人の方が、2次会会場の社長をご存知なので交渉してくれることになった。
すべてこちらの希望通りに受けて貰えることができた!
他の保護者も、必死になって会場探しをしてくれた。
クラス理事とその周辺の一部で、2次会を潰して、自分たち気の合う親たちだけで呑みに行きたかったようです。
それもお見通しの上で阻止するために動いてくれた保護者たちが居てくれました。(事後で初めて知りました。)
ずっと、保護者との温度差を感じていたけれど、やはり同じような価値観を持った方はいるのだと知って嬉しかったです。
何が本当に大切か?どうでも良いことと、そうでないことの温度差があまりに大きくて引いていたのですが、同じような考えの人も必ずいる。世の中捨てたものじゃないなあって思いました。
ちなみに、先生や保育方針は、たぶん他の保護者とは特別の関係にあります。
園が本来どのような謝恩会を望んでいるのかとか、園の教育観の橋渡し役を担ってきました。
今回、民営化されて初めて、
お泊まりスキーの歴史を作ることが出来ました。
公立びいきの保護者の意見に耳を傾けて、園と折衝したり、
保護者会の役員ではないけれど、保護者のパイプ役を担ってきました。
本当は、1年目が終了した時点で、これは公立の流れを替えるには長い年月が掛かる。
ごんたの保育環境としては、理想から程遠い。本園の保育ができるのは、いつになるのだろう。
辞めて本園を希望するか、似たような理想の保育園に転園をしようと思った時期もありました。
でも、病気になり、お仕事を辞めて、保育園の子どもたちと関わる時間が持てたとき、
嫌な保護者の子どもでも、心はまだまだ本当に純真で、とても可愛くて愛しくなりました。
そして、子どもの態度で家庭環境が分かってしまうようになりました。
本質はどの子も凄くいいものを持っていて素直なのです。
「人生で本当に大切なことは、すべて幼稚園の庭で教わった。」
というようなタイトルの本があったけれど、
まさに、未来の地球の宝であるこの子たちの、
こころの、人生観の原点に、この庭がなって欲しい。
そう思ったのです。
私は立ち向かうことにしました。
園の改革に、先生や理事長と保護者との合意点を探ったり、
先生の保護者への恐怖心を取り除くために、理事長や園長と押したり引いたり、
また、保育士の定着のために、園長に
これからの保育のあり方や、
子育てのプロである保育士の子育てしながらの仕事のあり方についても、話し合いを重ねました。
そして、バランスの良い保育士層が作れるように、何度も交渉しました。
子どもを自園に入れながら働く唯一の保育士に
有給を利用して、自分の子どもの保育に関われるように。遠慮することない。自分のためだけでなく、未来に続く保育士たちのためにも、勇気を持って、有給をとって、子どもの園外保育付き添いに行って欲しいと懇願。
初めて、1回、日帰りの登山に同行出来ました。
これも、歴史の一歩となりました。
また、障害児の親の付き添いも、何度も何度も直談判し、これは理事長とも、園長とも、何度も折衝。譲らないので福祉事務所にも掛け合ったり、県とも掛け合いました。
結果はその時は無力で徒労に終わったかに見えましたが、
最後の最後、来週の月曜日に、
最後の園外バス活動で、障害のある子も、親の付き添いなしで、保育士と子どもたちだけで、最初で最後の動物園旅行が行われることになりました。
これは、何より私にとって嬉しいことです。
あれほど、びくともしない園長先生がGOサインを出してくれたのです。
担任も凄く成長したと思います。
見直しました。
何事も、石橋をたたいて渡らないタイプに思えていたのですが、
スキーの合宿の手応えは本当に感動でした。
そして、劇発表会も、涙無しでは観られませんでした。
ごんたの成長も然ることながら、先生の技量を見直した劇発表会でもありました。
最後にやってくれました。
障害児の親の付き添いの解除です。
これは担任が園長に頼まなければ出来なかったことでしょう。
諦めていたので、嬉しかったですね。
内緒の話しですが、クラス費の収支決算を受けています。
卒園式での園から子どもへの記念品も、他の保護者には内緒ですが、先生は、良いものを選んでくれました。
質の高い素敵なものです。
帰りの報告も、2年前の「元気でした~!」
の一言が、
今は、「今日は、こんないい言葉を掛けてくれて、うるうるしてしまいました~!」
という、素敵な着眼点で報告を毎回くれるようになりました。
また、クラスの纏め方も、とにかく、23名全員が良く得意な部分で活躍したり、足りないところを補い合ったりして、纏まっています。これは驚きですね。吾が吾がって言うのではなく、お互いに思いやりあったり、庇いあったりして、大きな男の子が、何事も皆を守ると言う何気ない姿勢と、彼らに対するほかの子の尊敬や畏敬の念を感じます。
これは、この先生ならではの秀でた技量だと思いました。
正直、最初は物足りなかった担任配置でしたが、今は本当に感謝しています。
ありがとうございました。ユーチューブに劇発表会が載せられなくて残念でしたが、子どもにも、親にも
一生涯忘れられない宝(財産)となりました。