久しぶりに、本を読みました。
食堂かたつむり 小川糸著
本らしい本は本当に久しぶりで、心の奥に置き去りにされた大切な気持ちを再認識させてくれたひと時でした。
先日、父が亡くなりました。
そんな直後のハイジの書棚から手にした一冊は、ちょうど深く父の死を反芻することを誘ってくれました。
あっという間の出来事でした。
でも、なんとなく、私は、その死を予感していたことも事実である。
いつのころだろうか。少し前から、なんとなく、父の死がそう遠くないという気がしていた。
でも、そんなことは誰にも言えるはずもなく自分の胸にだけしまっておいた。
珍しく、母が「父が入院した」ことを電話してきた。
母は、いつも淡泊で、よほどのことがない限り、電話などしてこない。してきたとしても、用件だけ言ったら切ってしまう。
病院がインフルエンザ対策で会えないのだと言って心配そうだった。
急いでいた私は、
「わかった、明後日行くから。」
そう言っていつもと逆で、私から電話をぶっきらぼうに切った。
その日の夕方、母のところへ行くと、母は父が来ても会えないからということを気にしていた。
(会いたきゃ、妻なんだから会いに行けばいいのに…
そういう母の性格が嫌いなんだよね。内心呟く。)
明後日のその日は、結局私のスマートフォンを卓上に置いて、スピーカーにして、父も含めた家族みんなであーでもない、こうでもないと話をした。
そこから、数日、弟から、電話があった。
「延命措置をどうするか医師から提案があった。どうしようか。」
とのこと。
私は、
「母ちゃんは何て言っているの。母ちゃんと本人が良いようでいいよ。」
と伝えた。
弟は、もう兄ともみんなで話し合っていた。
私は、それなら、もう口を出す必要はないと思ったので、異論はないよと伝えた。
医療介護の現場で食べてきた私として、内心一物を抱かないわけではないが、すべてが流れゆくもの、遷ろうものだと思う。
自分は、案外、冷たい人間だなあと思う。
そんな話があった翌日の夕方には、子どもの病院で遠出していた私の元に電話が入った。
父危篤の報である。
翌日の夜に辿り着くと
既に延命措置をなされ麻酔で眠らされてしまっていた。
延命措置は、効いてるとは思えない状況だった。
既にこの状態では、低酸素脳症状態だと思った。
延命措置をしていてもそう長くはない。
そう感じた部屋に看護師が入ってきた。
「泊まることも出来ますよ。」
と言う。
「少し医師と話が出来ますか。」
と伺うと、
「担当医は、帰宅して当直医になります。また、キーパーソンの方を通して話をしているので、そちらにお聞きになって下さい。」
と看護師は話された。
実家に帰って話したが、母も弟たちも、そう緊迫感はなく、最大の医療が最善であると信じ、回復を期待していた。
付き添って泊まることについて、母と弟の希望は行くと父の体力を消耗させるから安寧を与えたいという意向だった。弟には、父は、見舞いに来なくて良いから仕事に行くように促すのだと言う。
(はあ?この場に及んで、そう来る?内心怒りが込み上げる。)
仕方なく兄にヘルプコールを送ってみた。
家族の一生懸命さが今生界に引き留められることや、生きることに貪欲で無く惰性になった人が天上界に呼ばれる奇跡を何度も見てきた。
そんな話もしてみたけれど、現実に泊まれる人がいるわけでもなく、それぞれが必死で生きる為に働いている。
父も母も弟夫婦も農家で生計を立てているので、気持ちもわからないわけではないのです。
その晩、1人で考えた。
もう会話をすることも無いだろう。
食堂かたつむり 小川糸著
本らしい本は本当に久しぶりで、心の奥に置き去りにされた大切な気持ちを再認識させてくれたひと時でした。
先日、父が亡くなりました。
そんな直後のハイジの書棚から手にした一冊は、ちょうど深く父の死を反芻することを誘ってくれました。
あっという間の出来事でした。
でも、なんとなく、私は、その死を予感していたことも事実である。
いつのころだろうか。少し前から、なんとなく、父の死がそう遠くないという気がしていた。
でも、そんなことは誰にも言えるはずもなく自分の胸にだけしまっておいた。
珍しく、母が「父が入院した」ことを電話してきた。
母は、いつも淡泊で、よほどのことがない限り、電話などしてこない。してきたとしても、用件だけ言ったら切ってしまう。
病院がインフルエンザ対策で会えないのだと言って心配そうだった。
急いでいた私は、
「わかった、明後日行くから。」
そう言っていつもと逆で、私から電話をぶっきらぼうに切った。
その日の夕方、母のところへ行くと、母は父が来ても会えないからということを気にしていた。
(会いたきゃ、妻なんだから会いに行けばいいのに…
そういう母の性格が嫌いなんだよね。内心呟く。)
明後日のその日は、結局私のスマートフォンを卓上に置いて、スピーカーにして、父も含めた家族みんなであーでもない、こうでもないと話をした。
そこから、数日、弟から、電話があった。
「延命措置をどうするか医師から提案があった。どうしようか。」
とのこと。
私は、
「母ちゃんは何て言っているの。母ちゃんと本人が良いようでいいよ。」
と伝えた。
弟は、もう兄ともみんなで話し合っていた。
私は、それなら、もう口を出す必要はないと思ったので、異論はないよと伝えた。
医療介護の現場で食べてきた私として、内心一物を抱かないわけではないが、すべてが流れゆくもの、遷ろうものだと思う。
自分は、案外、冷たい人間だなあと思う。
そんな話があった翌日の夕方には、子どもの病院で遠出していた私の元に電話が入った。
父危篤の報である。
翌日の夜に辿り着くと
既に延命措置をなされ麻酔で眠らされてしまっていた。
延命措置は、効いてるとは思えない状況だった。
既にこの状態では、低酸素脳症状態だと思った。
延命措置をしていてもそう長くはない。
そう感じた部屋に看護師が入ってきた。
「泊まることも出来ますよ。」
と言う。
「少し医師と話が出来ますか。」
と伺うと、
「担当医は、帰宅して当直医になります。また、キーパーソンの方を通して話をしているので、そちらにお聞きになって下さい。」
と看護師は話された。
実家に帰って話したが、母も弟たちも、そう緊迫感はなく、最大の医療が最善であると信じ、回復を期待していた。
付き添って泊まることについて、母と弟の希望は行くと父の体力を消耗させるから安寧を与えたいという意向だった。弟には、父は、見舞いに来なくて良いから仕事に行くように促すのだと言う。
(はあ?この場に及んで、そう来る?内心怒りが込み上げる。)
仕方なく兄にヘルプコールを送ってみた。
家族の一生懸命さが今生界に引き留められることや、生きることに貪欲で無く惰性になった人が天上界に呼ばれる奇跡を何度も見てきた。
そんな話もしてみたけれど、現実に泊まれる人がいるわけでもなく、それぞれが必死で生きる為に働いている。
父も母も弟夫婦も農家で生計を立てているので、気持ちもわからないわけではないのです。
その晩、1人で考えた。
もう会話をすることも無いだろう。