おはようございます。
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京都駅から南へと伸びる竹田街道は奈良へと続くメインルートでもあるのでよく利用します。京都駅前から走り始めて写真1枚目、九条通りと交わる大石橋交差点を過ぎると、車がビュンビュン行き交う道ではあっても緩やかなカーブからしてここが旧街道だったとイメージできる。札の辻交差点付近ではその雰囲気を思わせる町並もあるが、鴨川を渡ると更に交通量は多くなって、街道名になっている竹田と言う場所に差し掛かるがここはもう幹線並みの風景しか見ることができない。この間ここを走っていたら女子中学生にものすごいスピードで抜かれてしまった、ここで負けては男が廃る、と言うことでこちらもギアを1段上げて抜き返してやったが、写真5枚目にある棒鼻交差点辺りでスピードを緩めたら再び抜かされてそのまま走り去って行ってしまった。なぜ自分(一人称)がここでスピードを緩めたかと言うと、ここからは道は二つに分かれ上下線一方通行となり、道幅も狭くなる、南行きの方はその下の写真にもあるように、民家が建ち並ぶいかにも生活感が漂う雰囲気の中を走るが、この道が元の竹田街道に当たる。
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それでは棒鼻から分かれているもう一方の北行き一方通行の道は何なのかと言うと、これは新しく造られた道ではなく、元は京都市電伏見線の専用軌道があった所らしい。この路線は今回走って来ている竹田街道とほとんど同じ所を走って来ていることになる。南行きの道がその元市電の道が直角に曲がって合流した所で一方通行区間は終わり、道は直角に曲がって市電の終点であった京阪中書島駅へと向かう。写真2枚目、道が左へと分かれているがその道が市電の通っていた所らしく。ここを進んで行くと写真4枚目にある中書島駅へとたどり着く、京阪本線と宇治線の分岐点で特急も停車する駅となった、おやおや、駅前に着物を着た人が待ち合わせしているようですが、どこかで見たことあるような・・・
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その人の名は坂本龍馬、福山雅治と違うよ、イメージは強いけど。写真2枚目、3枚目にあるのがその龍馬が災難に遭った寺田屋、その経緯についてはもういろいろな所で語られてお馴染みとなったところ。写真5枚目、6枚目は龍馬が逃げ延びた材木小屋があった所、と言っても写真では分かりにくいでしょう、上の地図を頼りにして話をすると、寺田屋を出てそのまま西へと走って川へと出る、その川べりを北へと走って2つ目の通りとなる大手筋、その端が架かる所に材木屋があって、そこに龍馬は身を隠していたらしい。この時龍馬は大怪我を負っていたはず、一方のおりょうは寺田屋からこの騒動を伝えに薩摩藩邸に向かうがその足取りとなると、多分寺田屋の東側すぐの所にある道を北へと走って・・・その道は写真1枚目にある商店街になっている道、ここを近鉄桃山御陵前駅~丹波橋駅以上の距離を駆けて薩摩藩邸に向かったのではないか。ただある話ではりょうは竹田街道を走ったと言うのもあるので、先に市電の話の時に出てきた直角に曲がる箇所を過ぎて薩摩藩邸へと向かったのかも知れない。いずれにしてもその話を聞きつけた薩摩藩士が藩邸のすぐ横を流れる川に船を出して龍馬救出に向かった・・・
と言うのが一般に伝わっている話だが、今は歴史的な風景が残る平和な伏見の町並ににそんな物騒な騒動が起こっていたのがたった150年前のこと、歴史年表で語られる150年は平安時代や江戸時代よりはるかに短く、自分(一人称)が生まれた頃から言えばほんの100年前のこと、その間明治の時代があり、モダンな大正の時代があり、昭和初期の戦争の時代を経て現代へと至ってきている。京都は戦国時代も幕末も歴史の表舞台にあった地、暗い歴史もいろいろと孕んでいる所、電気もなく今よりもはるかに見通しの悪かった150年前の伏見の町の中で起こった騒動は本当はどんなものだったのだろう。今回写真で貼った場所はもちろん自分(一人称)は自転車で巡ったわけだが、車輪があればほんの数分で行ける所を命の危険を顧みず駆け抜けた人たちはどんな気持ちだったのだろう・・・目を閉じて考えてみても到底思いには至らないだろうな、今があまりにも平和過ぎるからな。最後は竹田街道からちょっと離れてしまいましたが、京都の時代を巡る走りについてはまたいろいろとお伝えしてみようと思っています。次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち
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京都駅から南へと伸びる竹田街道は奈良へと続くメインルートでもあるのでよく利用します。京都駅前から走り始めて写真1枚目、九条通りと交わる大石橋交差点を過ぎると、車がビュンビュン行き交う道ではあっても緩やかなカーブからしてここが旧街道だったとイメージできる。札の辻交差点付近ではその雰囲気を思わせる町並もあるが、鴨川を渡ると更に交通量は多くなって、街道名になっている竹田と言う場所に差し掛かるがここはもう幹線並みの風景しか見ることができない。この間ここを走っていたら女子中学生にものすごいスピードで抜かれてしまった、ここで負けては男が廃る、と言うことでこちらもギアを1段上げて抜き返してやったが、写真5枚目にある棒鼻交差点辺りでスピードを緩めたら再び抜かされてそのまま走り去って行ってしまった。なぜ自分(一人称)がここでスピードを緩めたかと言うと、ここからは道は二つに分かれ上下線一方通行となり、道幅も狭くなる、南行きの方はその下の写真にもあるように、民家が建ち並ぶいかにも生活感が漂う雰囲気の中を走るが、この道が元の竹田街道に当たる。
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それでは棒鼻から分かれているもう一方の北行き一方通行の道は何なのかと言うと、これは新しく造られた道ではなく、元は京都市電伏見線の専用軌道があった所らしい。この路線は今回走って来ている竹田街道とほとんど同じ所を走って来ていることになる。南行きの道がその元市電の道が直角に曲がって合流した所で一方通行区間は終わり、道は直角に曲がって市電の終点であった京阪中書島駅へと向かう。写真2枚目、道が左へと分かれているがその道が市電の通っていた所らしく。ここを進んで行くと写真4枚目にある中書島駅へとたどり着く、京阪本線と宇治線の分岐点で特急も停車する駅となった、おやおや、駅前に着物を着た人が待ち合わせしているようですが、どこかで見たことあるような・・・
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その人の名は坂本龍馬、福山雅治と違うよ、イメージは強いけど。写真2枚目、3枚目にあるのがその龍馬が災難に遭った寺田屋、その経緯についてはもういろいろな所で語られてお馴染みとなったところ。写真5枚目、6枚目は龍馬が逃げ延びた材木小屋があった所、と言っても写真では分かりにくいでしょう、上の地図を頼りにして話をすると、寺田屋を出てそのまま西へと走って川へと出る、その川べりを北へと走って2つ目の通りとなる大手筋、その端が架かる所に材木屋があって、そこに龍馬は身を隠していたらしい。この時龍馬は大怪我を負っていたはず、一方のおりょうは寺田屋からこの騒動を伝えに薩摩藩邸に向かうがその足取りとなると、多分寺田屋の東側すぐの所にある道を北へと走って・・・その道は写真1枚目にある商店街になっている道、ここを近鉄桃山御陵前駅~丹波橋駅以上の距離を駆けて薩摩藩邸に向かったのではないか。ただある話ではりょうは竹田街道を走ったと言うのもあるので、先に市電の話の時に出てきた直角に曲がる箇所を過ぎて薩摩藩邸へと向かったのかも知れない。いずれにしてもその話を聞きつけた薩摩藩士が藩邸のすぐ横を流れる川に船を出して龍馬救出に向かった・・・
と言うのが一般に伝わっている話だが、今は歴史的な風景が残る平和な伏見の町並ににそんな物騒な騒動が起こっていたのがたった150年前のこと、歴史年表で語られる150年は平安時代や江戸時代よりはるかに短く、自分(一人称)が生まれた頃から言えばほんの100年前のこと、その間明治の時代があり、モダンな大正の時代があり、昭和初期の戦争の時代を経て現代へと至ってきている。京都は戦国時代も幕末も歴史の表舞台にあった地、暗い歴史もいろいろと孕んでいる所、電気もなく今よりもはるかに見通しの悪かった150年前の伏見の町の中で起こった騒動は本当はどんなものだったのだろう。今回写真で貼った場所はもちろん自分(一人称)は自転車で巡ったわけだが、車輪があればほんの数分で行ける所を命の危険を顧みず駆け抜けた人たちはどんな気持ちだったのだろう・・・目を閉じて考えてみても到底思いには至らないだろうな、今があまりにも平和過ぎるからな。最後は竹田街道からちょっと離れてしまいましたが、京都の時代を巡る走りについてはまたいろいろとお伝えしてみようと思っています。次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち