まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1239 中将姫と当麻寺

2019-12-12 10:30:40 | ふうけい
おはようございます。








今回もまたまた映画『かぞくわり』関連のお話です。この映画のモチーフとなったのは『死者の書』と言う物語、主人公のどうしたかなさんが廃品回収の青年・・・大津皇子の生まれ変わり・・・の魂を救うために絵を描くわけですが、その絵のモデルとなったのが写真1枚目にある「当麻曼荼羅」、写真2枚目の説明では中将姫が絹の糸で織りあげた作品とあります。中将姫はこの作品を為し上げた後、行方知れず・・・生きたまま極楽浄土へと旅立った・・・とあるが、映画でもかなさんは絵を描き上げた後行方不明になってしまいます。最後のシーンでは亡くなってしまった描写もありましたが、その辺りは見ている人に委ねると言う感じでのエンドとなりました、自分(一人称)はやっぱりバッドエンドかな、と言う気がしました。さて、この物語の主人公のモチーフとなった中将姫とはどんな人だったのでしょう、ちょっと辿って行ってみることとしましょう。









奈良町には中将姫の所縁の寺院がいくつかあります、写真1枚目~4枚目にあるのは姫が生まれたとされる誕生寺、5枚目、6枚目にあるのは高林寺、ここは姫の父親である藤原豊成の菩提寺となっています。中将姫は5歳の時に実母を失い、その後継母に育てられることになりますが、孝謙天皇の前で琴の演奏をしたことがきっかけで継母から憎まれることになり、折檻などの虐待を受けるようになってしまいます。中将姫14歳の頃、ついに継母は家臣に姫を殺すように命じるとのことですが、死を恐れることのない姫を見て、家臣は殺すことはできないと姫を山のお寺に隠してしまいます。











当麻寺


中将姫はその後、当麻寺に入って尼となります・・・と言うことでこれまでは何度も前を通りかかってはいるもののずっとスルーしていた当麻寺へと行ってきました。大きな寺院となると拝観料を取られるかなとずっと思っていたのですが、それは有料の場所だけで境内は自由に見て回れるんですね、やあ、思い込みはいけませんねえ。山門を入ると広い境内の先に金堂、本堂がありたくさんの人が参拝に訪れている、法要の日にはこの本堂から渡り廊下が造られ、そこを仏様の面をかぶった人たちが練り歩く様子はニュースでも取り上げられ、映画でも要所要所でそのシーンがありました。





















「聖衆来迎練供養会式」と呼ばれる法要は中将姫にちなんで行われているもの、ここからはwiki引用で↓↓↓

「仏行に励んで、徳によって仏の助力を得て、一夜で蓮糸で『当麻曼荼羅』(『観無量寿経』の曼荼羅)を織ったとされている。 宝亀6年(775年)春、29歳で入滅。阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎され、生きたまま西方極楽浄土へ向かったとされる。」

『死者の書』ではこの中将姫の行いを大津皇子の無念の魂を鎮めるためとして、それが映画ではクライマックスのかなさんの行動へと連なっていく。当麻寺で行われる法要では、渡り廊下を歩いているのは二十五菩薩で、現世に里帰りした中将姫を迎えて阿弥陀さまの待つ極楽へ導いていく様子を再現していると言うことです。映画『かぞくわり』ではラストではどうしたかなさんは姿を現すことがありませんでした、彼女も生きたままあの世へと、大津皇子といっしょに行ってしまったのでしょうか、その辺りをはっきりさせないまま映画は終わってしまったので、あとは自分で考えるしかありません。当麻寺周辺には中将姫に関するいろいろな見所があります、そのどこからも見ることができる二上山、そこに眠っている大津皇子、史実は元より伝説でも絡み合うことがない二人ですが、魂はどこかでつながっているのかも知れません、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち