よろしくお願いします。
新春2日、今年の走り初めは京都でした、前回は京都と大阪の間にある峠付近を走って八幡市へと入り、その後は桂川を渡って大山崎町へと入りました。西国街道を大阪方へと進んでJR山崎駅、ここはまだ京都府、しかしここから旧街道をちょっとだけ行った所でまたまた大阪府へと入る。線路沿いを進むと踏切がある、そこを渡らずにそのまま線路沿いに行くのが西国街道、しかし今回はそちらには行かずにここで折り返しです。踏切の向こうにあるのがサントリーの山崎蒸留所、なぜか堤真一が二カ~ッと笑っている顔が浮かんでくる、でも自分(一人称)はアルコールはダメなのでウイスキーには興味なし、となると何だと言えばやっぱり電車ですね。でもこの前も触れたように東海道本線を走る電車も何かワンパターンになってしまって、たいして面白くないんですよね~、ステンレスの重みを感じない新快速や奈良でももう見飽きた車両ばかり、昔の新快速はもっと重みがあって威風堂々とした感じだったのに、今の車両は軽くなって風に吹き飛ばされてしまいそう、この車両に料金を払わなければならない座席があるなんてね~。
西国街道を折り返して再び大山崎の町並へ、この辺りはJR東海道本線、阪急京都線、新幹線、西国街道、国道171号線と、まるで5本の導線がギュッと握りこぶしで束ねられたように集まっている所。写真を撮りたいところなのですが新幹線と阪急電車は高架なので見えなんですよね~、自転車で走っていると風がピュ~ッと歌うかのように共鳴して、すぐに轟音を立てて新幹線があっという間に通り過ぎて行ってしまう、新幹線に縁のない県に住んでいると、騒音に悩まされている人たちには申し訳ないのですが、この音と風景が珍しくもあり嬉しくもあり・・・なんだよなあ。東京オリンピックに合わせて誕生した東海道新幹線、そこから路線網が広がっていまや新幹線を見ることができない県の方が少なくなってしまった。奈良はリニア新幹線の路線計画に入っていて、大和郡山辺りは駅誘致に一生懸命に動いている、でも実際に走っている風景を見ることができるのかとなると・・・それまで生きていられるかなあ。ありゃりゃ、このゾーンには電車が写っている写真はないのに鉄道の話になっている、本来なら明智光秀とか山崎の合戦の話をするためのゾーンだったのにね。その合戦の時に援軍を頼んだ筒井順慶は淀川の向こうの長尾峠で合戦の様子を日和見して合戦に参加しなかった、もし淀川を渡ってここに来てたのなら歴史も変わったかも、今もこの辺りに橋を架けないのは歴史を変えたくないためから・・・ってなわけないか。
長岡京市、向日市を経て京都市内へと入る、阪急京都線の西側を通る府道は物集女街道、向日の中心から北へ進んで行くと、その街道名の由来となる物集女の町並へとたどり着く。物を集める女と書いて「modume」、堺の百舌鳥に関する説があり、中世にはそこから端を発した物集女氏がこの地を治めていたとのこと。その居城となった所は今は住宅地の中に埋もれていて、ここに城があったと言うことを示す看板が駐車場の傍らに立っている。物集女を過ぎて更に北へと進むと樫原、ここで十字に交わるのが山陰道、以前この道を走って亀岡まで行ったことがあったなあ、確か近畿で震度5の地震があった前日だった。その樫原交差点を右に曲がって旧街道を進んで行くと阪急桂駅、駅の北側には車庫があって阪急電車たくさん並んでいた。でもやっぱり走っている電車が見たいと思って国道9号線の桂川に架かる橋へ、そこで阪急電車を狙ったのだが・・・あんまりよく見えなかったなあ、次は場所を変えて、ああ~やっぱりきれいやなあ~な阪急電車を狙ってみることとするか。どうしても鉄道にネタを求めてしまうのは僕の悪い癖、と言うことで3回連続で鉄道絡みの話となってしまいました、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
新春2日、今年の走り初めは京都でした、前回は京都と大阪の間にある峠付近を走って八幡市へと入り、その後は桂川を渡って大山崎町へと入りました。西国街道を大阪方へと進んでJR山崎駅、ここはまだ京都府、しかしここから旧街道をちょっとだけ行った所でまたまた大阪府へと入る。線路沿いを進むと踏切がある、そこを渡らずにそのまま線路沿いに行くのが西国街道、しかし今回はそちらには行かずにここで折り返しです。踏切の向こうにあるのがサントリーの山崎蒸留所、なぜか堤真一が二カ~ッと笑っている顔が浮かんでくる、でも自分(一人称)はアルコールはダメなのでウイスキーには興味なし、となると何だと言えばやっぱり電車ですね。でもこの前も触れたように東海道本線を走る電車も何かワンパターンになってしまって、たいして面白くないんですよね~、ステンレスの重みを感じない新快速や奈良でももう見飽きた車両ばかり、昔の新快速はもっと重みがあって威風堂々とした感じだったのに、今の車両は軽くなって風に吹き飛ばされてしまいそう、この車両に料金を払わなければならない座席があるなんてね~。
西国街道を折り返して再び大山崎の町並へ、この辺りはJR東海道本線、阪急京都線、新幹線、西国街道、国道171号線と、まるで5本の導線がギュッと握りこぶしで束ねられたように集まっている所。写真を撮りたいところなのですが新幹線と阪急電車は高架なので見えなんですよね~、自転車で走っていると風がピュ~ッと歌うかのように共鳴して、すぐに轟音を立てて新幹線があっという間に通り過ぎて行ってしまう、新幹線に縁のない県に住んでいると、騒音に悩まされている人たちには申し訳ないのですが、この音と風景が珍しくもあり嬉しくもあり・・・なんだよなあ。東京オリンピックに合わせて誕生した東海道新幹線、そこから路線網が広がっていまや新幹線を見ることができない県の方が少なくなってしまった。奈良はリニア新幹線の路線計画に入っていて、大和郡山辺りは駅誘致に一生懸命に動いている、でも実際に走っている風景を見ることができるのかとなると・・・それまで生きていられるかなあ。ありゃりゃ、このゾーンには電車が写っている写真はないのに鉄道の話になっている、本来なら明智光秀とか山崎の合戦の話をするためのゾーンだったのにね。その合戦の時に援軍を頼んだ筒井順慶は淀川の向こうの長尾峠で合戦の様子を日和見して合戦に参加しなかった、もし淀川を渡ってここに来てたのなら歴史も変わったかも、今もこの辺りに橋を架けないのは歴史を変えたくないためから・・・ってなわけないか。
長岡京市、向日市を経て京都市内へと入る、阪急京都線の西側を通る府道は物集女街道、向日の中心から北へ進んで行くと、その街道名の由来となる物集女の町並へとたどり着く。物を集める女と書いて「modume」、堺の百舌鳥に関する説があり、中世にはそこから端を発した物集女氏がこの地を治めていたとのこと。その居城となった所は今は住宅地の中に埋もれていて、ここに城があったと言うことを示す看板が駐車場の傍らに立っている。物集女を過ぎて更に北へと進むと樫原、ここで十字に交わるのが山陰道、以前この道を走って亀岡まで行ったことがあったなあ、確か近畿で震度5の地震があった前日だった。その樫原交差点を右に曲がって旧街道を進んで行くと阪急桂駅、駅の北側には車庫があって阪急電車たくさん並んでいた。でもやっぱり走っている電車が見たいと思って国道9号線の桂川に架かる橋へ、そこで阪急電車を狙ったのだが・・・あんまりよく見えなかったなあ、次は場所を変えて、ああ~やっぱりきれいやなあ~な阪急電車を狙ってみることとするか。どうしても鉄道にネタを求めてしまうのは僕の悪い癖、と言うことで3回連続で鉄道絡みの話となってしまいました、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち