まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.744 ここが邪馬台国だ

2017-05-22 13:13:25 | ふうけい
おはようございます。





タイトルは上記のようにつけたのですが、本当にそう言ってしまっていいのでしょうか?







まずは箸墓古墳、wikiでは

「実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている」

と記されています。この「倭迹迹日百襲姫命」と言うのが「卑弥呼」、因ってこの古墳が卑弥呼の墓だと言う話があるのですが、イマイチ決定打には至っていません。







一方こちらは箸墓古墳の東側、JR万葉まほろば線の踏切を渡ってすぐの所にあるホケノ山古墳、これもいろいろな説が渦巻いているのですが決定打とはなっていません。自分(一人称)は考古学には詳しくないし研究するほどの資料も時間もお金がないのであ~だこ~だ何やかんやは外野の立場でしか言えないが、もう邪馬台国は畿内説、大和にあったと言ってもいいんではないの。今はもうほとんど畿内説が有力だし、それを言うと九州説支持者があれやこれやと持ち出して反論してくる、ここは一致団結して畿内説を裏付ける研究に専念してもいいんでは、でないと畿内説、九州説、他に出雲説や瀬戸内説など不毛な論争が続くばかりで時間を費やしてしまうよ。
そもそも「邪馬台国」と言う言葉、音の響きが「やまと」→「YAMAT」まで一致するから大和説でいいんでないの、と思うのですがどうでしょう。でも大和圏内となると実際にはどこにあったのかでまた論争になりそう、大和郡山にあったり飛鳥にあったりとかいろいろとまた誘致合戦が始まりそうだが、これももう纏向付近にあったと言うことに決めておきましょう。たくさんの学者先生がここにあったと言っているんだからそれでいいでしょう、そう決めてしまえば話は早い、不毛な論争はもう終わり、はい、撤収・・・。


と言うわけで、邪馬台国があった場所、纏向付近の写真を並べてみました↓↓↓



















国道169号線箸中交差点から分かれる県道50号線、JR巻向駅の西側を通るこの道の周辺は見通しのいい風景が広がっている。箸墓の後ろには三輪山がそびえ、駅周辺は近年遺跡が発掘された所、先の箸墓、ホケノ山古墳を含む纏向古墳群はこの辺りを中心に展開していて、県道の周辺には大小いくつかの古墳が点在している。そうか~、ここに約1800年前もの昔、政治の中枢の場所があったのか~、ふと目を閉じればその風景が思い浮かんで・・・来るわけないか。そもそも邪馬台国と言うのがどんなだったのかが分からない、よく復元された映像や風景を見ることがあるが本当にあのような風景だったのかとなるとどうなんでしょうねえ、そこは現代人の理想が優っている部分が多いんではないでしょうか。「卑弥呼」にしてもそう、これって人の名前ではなくて役職みたいなものでしょう、「ひめ」「みこ」と呼称がいつの間にか「ひみこ」と言った感じで祭り上げられるようになったとか。実際に「卑弥呼」として特定されたのは誰なのか、先に名前の出た第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命?それなら箸墓は、纏向は・・・ってことになるのだが、未だにそう決めつけてしまうことを許さない人たちもいる、やっぱり「邪馬台国はどこにあったのか」と言うのは古代史の永遠のテーマとされるのでしょうねえ、あえてどこにあったか決めない方が謎とロマンがあっていいのかも、って奈良県民としてははっきりここだと決めてほしいんですけどねえ。次回もお付き合いよろしくお願いします、つ~づ~く!        まちみち
















No.743 べっぴんさんな町へ

2017-05-21 20:41:31 | 旅行記
おはようございます。


『母になる』、これも毎週見ているのですが、今回はほとんどが小池栄子サイドの話でした。ネットの掲示板では全然同情できないとか来週からもう見ないとかそんな書き込みばかりでしたが、あれだけ母親から結婚や出産や孫の顔が・・・とか言われたらそりゃプレッシャーにもなるわな、男にも仕事にも裏切られて自分(一人称)は気の毒やと思いましたけどねえ。まあ内容は支離滅裂な部分が結構あるんですが、だからと言ってもう来週から見ないとか言う報告はいりません、去る人は静かに去っていってください、自分(一人称)はもちろん最後まで見届けますよ。それにしても小池栄子って人も巧いですねえ、今BSで再放送している『こころ』が多分出始めの頃だったと思うが、その頃はまだグラビアアイドルが出てるわ~ってくらいの印象、それが獄中結婚する映画辺りから巧いと言う印象が優ってきたように思います。見た目には豪快でキップのいい、気性のいい女性って感じですが演じたらコロッと変わる、特に今回のドラマではその巧さが際立っているかのように思いました。さて、本文行きましょか↓↓↓














べっぴんさんの町、神戸の旅はここまで阪急神戸線各駅巡り、朝ドラ『べっぴんさん』展を経て、前回は元町付近の旧居留地を縦へ横へと走り抜けレトロなビルを見て回りました。一通り巡って高速が目の前に見えるコンビニで軽く昼食休憩、時間はまだあるのでこの後は神戸港へと向かってみることにする。向かってと言ってもこの高速の下の横断歩道を渡るともう神戸港はすぐそこ、目の前には赤い網目の建物、言わずと知れたポートタワーだが途中でくびれているのでそばで見上げてもてっぺんまでは見えない。今回の走りは阪急沿線など山手をずっと走って来たので海を見るのがここが初めて、神戸に来たらやっぱり海は見ておきたいですもんね、と言うわけでここはまだ湾が入り組んだ所、岸壁を走って海が広く見える所まで行ってみることとしましょう。









中央突堤の一番先端まで来ました、ここからだと海は広く見渡すことができるが、それでも向こう側にはまだ陸地が見えている。右手側はハーバーランドの商業地区、その向こう側には川崎重工業の造船工場、厳つい感じのクレーンの行列や工場の建物も神戸港の風景としてお馴染みな所となっている。正面にかすかに見えるのが神戸空港、自分(一人称)はまだここには行ったことがない。一度は行ってみようとも思っているが飛行機に乗る目的でなく空港に行くと言うのも何とも哀れな気がしてならない、飛行機に乗ったのはいつ以来かなあ・・・確か『Good Lack』がやっていた頃のことだからもう13年ほど前、いや違うわ、九州からの帰りに乗ったか、いずれにしてももう記憶が薄っすらとした頃の話となってしまっている。その神戸港に行くために通らなければならないのが左側に見えているポートアイランド、ここで博覧会があったのが自分(一人称)が中学生の頃、その頃はまだできたばっかりの人工島だった。その時は中学校の遠足で行くとか言う話も合ったがなぜか中止になってしまった、まあ行ってもあんまり楽しいものではなかったと思う。博覧会って結構見掛け倒しが多いもんね、待ち時間は長いし入園料は高いし、でたいして面白くもないし興味もないし・・・。
写真5枚目、女性が独り、突堤の突端で海を見ていました、何か悲しいことでもあったのでしょうか、「人はど~して~悲しくなる~と~、海を~見つめに~来るのでしょ~か~♪」って歌がありましたなあ↓↓↓



渡辺真知子、好きやったなあ、今見たらめっちゃ貫禄のあるおばさんになってしまっているけど。その渡辺さんがこの曲がなぜウケたのかと言うと「かもめ~がとん~だ~♪」の「め~が」と言う部分の音階を半音上げたのが要因だと話していた、確かに印象に残ると言うか心に触れるメロディーです。あの頃は他に八神純子、庄野真代、久保田早紀とか女性のニューミュージシャンが熱い時代でした、もう最近懐かし話ばっかりしてますなあ、歳をとった証拠でしょうか・・・。













『べっぴんさん』のラッピングバスが走ってました、キアリス4人衆も皆別々のステージへと旅立って行きました。すみれは『小さな巨人』、ここまではまだあまり目立った活躍がないのですが先を楽しみにすることとしましょう、一方の君ちゃんの方は・・・何か、何かな~。さて、神戸の旅、最後に訪れたのはメリケンパーク、その一角にあるのが写真3枚目からある場所、あの時の記憶が甦りそうで見たくない人もいると思いますが、前回神戸に来た時にはここに来れなかったので、今回は写真に撮らせてももらったし、ここにも載せることにもしました。ズラリと並べた写真はどれも過去の傷跡ばかりですが、これが今の神戸の発展の礎となり人の心の支えともなってきたのでしょう、『べっぴんさん』であった昭和の時代は震災で途切れてしまったが、それを機に新しく生まれ変わったべっぴんな町、またいずれ訪れるとしてこの旅の話は幕としておきましょう。また次回もお付き合いよろしくお願いします、つ~づ~く!            まちみち

No.742 滋賀の旅冬編(3)・大津京

2017-05-20 20:02:08 | 旅行記
おはようございます。














大津


今回もいきなりの連貼りですが、上の写真を含めたフォトチャンネルは昨日先行公開しました、最近はフォトチャンネル作成の調子がいいので何よりです。滋賀の旅冬編は前回逢坂の関を越えて大津市の中心地である京阪浜大津駅前へとやって来ました、大きな電車が道の上をゆっくりと走り、駅からすぐの所には琵琶湖があって大きな船が停まっている、その水面にはアヒルやカモがユラユラと・・・こういう光景を見るといつも思うのですが、動物の世界ではお互いの種類をどう見ているんですかねえ?人間が犬や猫を動物として見るのと同じ感覚なのか、日本人が外国人を見るような感覚なのか、確実にひとつ言えることは自分より小さな生き物は食べるものだと思っていること・・・まあどうでもいい話です。
浜大津駅前に来るといつも電車の写真を撮ってしまう、そりゃあこんな光景はなかなか見れるもんではないですからねえ。大きな電車が道路の上を車といっしょに進んで行く、駅前の交差点には分岐点があり、4両編成の電車がギュ~ンと線路を軋ませながら急カーブをゆっくりと通り過ぎて行く、なかなk壮観な光景です。石山坂本線にはアニメのラッピング電車、そう言えばこの間wowowで映画『ちはやふる・前編』を見たけど、上映に合わせて広瀬すずのラッピング電車が走ったとか↓↓↓



上の写真はどっかから調達してきたもの、これは自分(一人称)のカメラでも確保しておきたかったなあ、来年には続編があるらしいからその時にまた走ってくれないかな・・・。








浜大津駅から三井寺駅にかけては電車は路面を走る所となっているが、そこから一歩山側に入った辺りは旧街道風の町並もなってなかなか趣深い所、ただ狭い道に電車を嫌って入ってくる車も多くて、結構雑然としている。三井寺駅近くにあるのが写真2枚目~4枚目にある疏水の流れ、琵琶湖から流れ出た水はここからトンネルをくぐって京都へと至っている。写真3枚目にある水路の先のトンネル、あれが流れ流れて京都の南禅寺辺りへと至り、更にその先大阪方面まで流れて行くと思うとこれもロマンやな~、ってこのフレーズ前回も使ったなあ、でもだからこそ琵琶湖はきれいに大切にしなければいけない、当然のことです。さて、ここから門前町の坂道を上った所にあるのが園城寺、通称三井寺と呼ばれる滋賀でも名高い寺院ですがここは拝観料を取られるので山門の写真のみ、と言うことで。駐車場ではバスガイドさんが何人かお客さんを待ちながら談笑していたが、何か、何かな~、ガラの悪そうな人ばかり、こういう時って結構「素」が出てしまうもんなんだよねえ。







三井寺を後にして、京阪石山坂本線沿いを進んで行く、前に各駅巡りで走った所を今回は逆に坂本方面へと向かっている。京阪皇子山駅を過ぎると風景も普通の住宅地へと移り変わってくる、京阪近江神宮前駅の近くを通るが近江神宮はまだ少し先、その前に現れるのが写真1枚目にある碑、そこには『近江大津宮』とある、まあ簡単に言えばここに都があったと言う跡だ。大津に都があったと言うのは歴史の授業などでも倣うが、奈良時代の前のこととなると天皇が変わる度に都は移し替えられていたと言うことだからいまいちその実態が分かりにくい。チョイとかじった程度に調べてみたところでは飛鳥にあった都をここに移したのは中大兄皇子、その後この都にて天智天皇に即位したと言うこと、それから何やかんやあって都は再び飛鳥に戻されたとか。いや、ちょっと待てよ、その何やかんやが一番大事な所だろう、その何やかんやって何やねん・・・何やかんやは↓↓↓



それについてはこちらをご覧ください。








と言うことで何やかんやは置いといて近江神宮へとやって来ました。今日は各地で気温が30度を超えたと言うのにこちらでは目に眩しいくらいの紅葉の写真が並びました、まあ走ったのが去年の冬のことですんで勘弁してください。春は桜が満開になってその美しさを誇示したかのようにある木も紅葉が終わると葉がハラハラと散り寂しい姿となってしまう、まさに命の儚さを感じさせる最後の輝きとでも言ったところだろう。さて、走りの方は次回、いよいよこの旅の目的地である坂本へと向かって行くわけですが、ここまでは走り慣れた道、かつて知ったる道を難なく来れたのですが、最後の最後に試練がやって来ることとなります、次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち

No.741 奈良市コミュニティバス高樋代替線(後編)

2017-05-18 23:55:00 | バス
おはようございます。


もう一昨日の話になりますが、高校野球春の奈良県大会決勝、奈良大附vs智辯学園は7-6で智辯学園が優勝しました、昨年の春の大会、夏の予選、秋季大会、今回と県内ではずっと勝ちっ放しの状態、まさに1強他弱と言う感じです。決勝戦では8回まで6-0で奈良大附がリードしていたのを8回にホームランで3点返し、9回にはサヨナラ3ランと大逆転で決まりました、奈良大附も相変わらず智辯には勝てないなあ。4強には天理、智辯、奈良大、高田商と現時点での奈良県4強が順当に残ったのですが、天理は奈良大附には勝てない、高田商は智辯には到底かなわない、奈良大附も智辯には勝てない、となるとこれは夏の甲子園も智辯学園で決まりかな・・・で全国に行っても1つ2つは勝ってもそこまで止まり。昨年春の甲子園優勝校も今は色褪せてしまった感じ、奈良にまた暗黒の時代がやって来るのでしょうか。西谷監督、お願いですから奈良の子を連れて行かないでください、てか大阪桐蔭奈良分校作ってくれないですかねえ・・・













奈良市コミュニティバス高樋代替線、前回は時計台が立つ正暦寺への分岐点となる柳茶屋バス停までやって来ました。この路線の醍醐味と言うのは正にここからと言った感じなのですが、しばらくはのどかな雰囲気の集落の中を通り過ぎて行くこととなります。この辺りは清澄の里と呼ばれているが特に観光地としてのアピールはしていない、素朴な風景と集落があって知る人ぞ知っていてもあまり足を向けない、と言った感じの場所。写真1枚目に写っている山は虚空蔵山、村の外れにポカーンとそびえる山の中腹には弘仁寺という寺院があるが、ここも知る人ぞ知ると言った寺院、自分(一人称)も商っ学校の遠足以来行ったことがありません。さて、バス停巡りの方はこの路線では一番の集落となる高樋町へと差し掛かってきているのですが、目を惹かれるのは写真にあるような半鐘、歌碑、道標など何気ないものばかり、穿った言い方をするわけではなく本当に何もない場所である。しかし本当にない場所はこれからである、道はだんだんだんだんと急な上りになってきている、さあ、先へ進んで行ってみることとしましょう。









写真ではズラリと先のバス停を並べました、この区間はずっと上りで所々には結構きつい所もある。写真1枚目の高樋町バス停を過ぎると集落もポツンポツンと見かけるくらい、その集落に合わせるようにバス停があるわけだから、そこの家の人たちが利用するだけのためにあると言った感じ、この辺りが廃止したくても廃止できない事情なんでしょうね。バスは本来誰のためにあるの?と問われるとやっぱりお客様のためでしょう、一人でもお客様がいてその人が利用するならバスは廃止できない、だからコミュニティバスとして路線を残していく、残していくと言うのは大事なことだと思うがそれでも経営はタイトロープを渡っているようなもの、またいつ人の思惑に左右されるか分からない路線であることには変わらないが今のところは仕方ないんでしょうね、この現状・・・。

さて、バス停巡りは写真4枚目の椿尾町バス停を過ぎると集落もなくなってしまい、いよいよ本格的に急な山道の上りへと差し掛かってくる。これまでは途切れ途切れでも集落がある毎にバス停があったが、ここから先は山と横を沿う川しか見えない、ちなみにこの川は菩提仙川という名前で、昔自分(一人称)が天理市に住んでいた時に町に流れていた川、今見るとほんの町中を流れる小さな川もあの頃は大きく流れも速く、近寄ったら危ないとよく言われていた記憶が残っている。地図で見るとこの川は写真5枚目、ここまでの急な上りがやっと落ち着く興隆寺町バス停近くで途切れている、この辺りが川の始まりと言うことか。水はここで生まれて自分(一人称)が昔住んでいた町を過ぎて佐保川、大和川と経て大阪湾へとたどり着く・・・な~んて考えたら結構ロマンやなあ~。でも実際にはここから流れ出る水は透明に澄みわたっていても川が大きくなるにつれて汚れて濁って、日本一汚いと言われる大和川を経てドロドロの大阪湾へと注いでいく・・・これが現実と言うものです。











上りは更に続いていくが山の風景は途切れ見通しの明るい場所へと差し掛かってくる、静かな山里と言った感じの所だが耳を澄ますとどこかで車が行き交う音が、と思ったら写真2枚目、目の前に大きな赤い橋が現れた。この橋を通っているのが名阪国道、この橋は奈良市内や天理、大和郡山などの平野部から東の山の物凄く高い所に見ることができる、今回の走りが平野部から始めているのでそれだけ高い所まで上って来たと言うことか。この橋の下をくぐると田園風景が広がる所に出て、上り坂がうねるようにカーブした所で写真3枚目、4枚目にある中畑町バス停の前を通り過ぎる。道は何とか平坦な部分となり、すぐ横に車が頻繁に行き交う名阪国道を見ながら、いや、実際にはそんなに見えないがさっき下をくぐり抜けた橋を今度は同じ高さに見ながら進んで行くと、今回の路線バスの終点米谷町へとたどり着く。バス停は名阪国道五ケ谷インターチェンジのすぐそばにあり、バスが転回できるほどの広いロータリーとなっている、しかしこの近辺には集落はほとんどなく、このバス停の一角から先へ伸びる上り坂の向こうに米谷町の集落がある。前に一度ここに来た時があって、その道を通って集落を抜けて行ってさっきのバス停よりも高い位置を通る名阪国道へとたどり着いたことがある。この辺りが事故多発地域で悪名高きオメガカーブとなっている所、直線で行くとわずかな距離だがとんでもない高低差のために道路は大きく弧を描いてその高低差をクリアしているわけでもある、調子に乗って走っていると事故を起こしかねない道、名阪国道と言っても条件は高速と変わらないのでここは安全運転を心がけてほしい所である。そんなわけで前後編に渡ってお送りした路線バス巡り、奈良市コミュニティバス高樋代替線編、これにて終了です、次回もお付き合いよろしくお願いします。           まちみち

No.740 鹿ケ谷通

2017-05-17 23:53:43 | みち
おはようございます。


『フランケンシュタインの恋』切ないですねえ、主演の綾野剛のピュアさが切ない、そして怪物を否定しない病弱な女性を演じる二階堂ふみもまたピュアで切ない、前に自分(一人称)が今注目している女優さんとして名前を挙げさせてもらったのですが、さすがと言った感じで役を演じています。切なく少し暗い感じで進んで行くドラマ、そして最後に流れる主題歌の歌詞もまたその内容にピッタリな感じで切ないんですよねえ。
このドラマと主題歌で思い出したのがこの小説↓↓↓



謎の生命体だった主人公に修道院(だったかな、忘れた)の女性が形を人間に作り変え、名前を付けて言葉を教える・・・ってそんな内容だったかな、もうほとんど忘れてしまったが、その主人公も最後は人間の思惑に翻弄されて最後は元の姿に戻ってしまうと言うものだった。ドラマでは「深志研」と言う名前で呼ばれているが、テレビの字幕では台詞の所に「怪物→」って出るんですよね、これも何か切ないよね、姿形は人間でもドラマの制作側は視聴者には主人公は怪物だと言うことをアピールしているんだよな。そんな闇の中で生きてきた怪物にあれやこれやといろいろ教えて行く二階堂ふみの姿を見て、さっきの小説を思い出してしまいました。この小説は原作者が脚本、監督で映画化もされていて、4人が主題歌を歌う、音楽には桑田佳祐、上田正樹、高中正義、坂本龍一、来生たかおなどそうそうたるメンバーが顔を揃え、撮影中には事故が起こる、で結局映画はヒットしなかった、評価は厳しいといろいろと話題になった作品だったが自分(一人称)は好きでした。映画の中で広田レオナが主題歌を歌いながら踊るシーンがあるのですが、この曲がいいんだよなあ、この人はどちらかと言うと濁声で歌もあまりうまくはないんだけど()、高音域でゆったりと歌うこの曲が好きでした、作曲は「おらは死んじまっただあ~♪」の人なんですけどね。最近ヒットした映画で『この世界の片隅に』ってのがありましたが、『だいじょうぶマイフレンド』(曲の方)にはこのフレーズが出てきます、だからかな、最近この曲をよく思い出してしまうのは・・・
な~んて話は大きく逸れてしまったが、ドラマも怪物ものをやるなら『だいじょうぶマイフレンド』をリメイクしてくれたら良かったのに、と思った、今回のはあまりにも暗い感じがしてならないし綾野剛がかわいそうすぎるからね、この後は多分二階堂の病気を怪物のきのこが治してくれると言う展開になっていきそうな・・・まあその辺りはあまり先を考えずに楽しみに見ていくことにしましょう。ちなみに二階堂ふみも以前映画で人間じゃない役をやってましたね、たしか金魚の化身の役、後半は「してくる」ばかり言っていて何とも下品な映画だったが、そんなストイックな役とは違って今回は至って普通です。ああ、またまた枕が長くなってしまった、さて、本文↓↓↓













南禅寺の北側から始まる鹿ケ谷通、西二白川通、東は哲学の道と名の通った通りにはさまれて地味な存在の道ですが、静かで落ち着いた雰囲気の道は走っていてなかなか気持ちのいい所です。紅葉で有名な永観堂前を過ぎて北へ進むと、その後は普通の住宅地が緩やかなアップダウンに沿って続いている、観光地の喧騒は哲学の道の方にまかせて、こちらは普通の人々の生活の様子が感じられる風景が続いていく。通りの途中では写真にあるようにいろいろな道標や案内の表示を見ることもできる、写真2枚目にある「新島襄先生」と言うのはあの大河ドラマの人か、『八重の桜』は一応毎回見ていたけど何か、何かな~、面白くなかったなあ、と言うことでここは興味なし、スルーとします。更に先に進んで写真5枚目、6枚目にある交差点、ここは丸太町通の始まりである所、京都を東西に貫くメインルートも始まりはこんな地味な所ある。









しかしこの道、走っていてもネタになりそうなものがあまり、と言うかほとんどないんですよねえ、と言うことでここはやっぱり話を広げるために東へと入り哲学の道へ。花の季節、紅葉の季節ともなるとたくさんの人が散策に訪れる京都を代表する径も、この日はシーズンオフ(走ったのは1月の終わり頃)と言うこともあって観光客の姿はほとんど見かけなかった。でもこの道、舗装されてなくて所々は石畳になっていて自転車で走るには不似合いな道、まあ歩いている人からしたら迷惑がられる所だからここはスルーです。更に上に上がっていくと閑静な住宅街、ちょっと古い町並もあってなかなか趣深い所を通り抜けて写真3枚目、4枚目にあるノートルダム女学院へとたどり着く。お嬢様学校でよく聞く名前の学校だが、こんな寂しい所にあるんだなあ、バス通りからは結構離れていて坂道を上ってくるので歩いて来る人は体力がつきそうな所、自転車でここまで上って来るのも結構きつかったです。ちなみに今回のこの界隈を走っている目的は京都の道巡りシリーズに登録有形文化財巡りを兼ねてのもの、登録有形文化財についてはまたいずれの機会にお伝えすることとしておきましょう。










さて、再び鹿ケ谷通に戻って来ました、正直言いますと自分(一人称)、この通りの正しい名を知りませんでした。最初「shikagaya」とキーボードを入力すると「ga」が平仮名の「が」で表示されたので違うのかな、と思いwikiで調べてみると、正しい読みは「shishigatani」なんですね、鹿なのに「しし」とはこれいかに、ってな感じだがまあいいか。と言うことで鹿ケ谷通はあくまでも観光地と言うよりは普通の住宅地の中を進んで行って、いよいよこの区間の終わりとなる今出川通に突き当たる場所へとたどり着く。ここは哲学の道も終わりとなる所で、このT字になっている交差点を右へ行くと銀閣寺と言うこともあって、さっきの鹿ケ谷通とは打って変わってたくさんの観光客で賑わっている。今回巡って来たのは観光名所や交通の要所からは一歩離れた所で、さっきも書きましたが静かで落ち着いた雰囲気の住宅地、着飾った観光名所とは違って普段着と言った感じの京都の風景もなかなかいいものです、と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。           まちみち