おはようございます。
タイトルは上記のようにつけたのですが、本当にそう言ってしまっていいのでしょうか?
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まずは箸墓古墳、wikiでは
「実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている」
と記されています。この「倭迹迹日百襲姫命」と言うのが「卑弥呼」、因ってこの古墳が卑弥呼の墓だと言う話があるのですが、イマイチ決定打には至っていません。
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一方こちらは箸墓古墳の東側、JR万葉まほろば線の踏切を渡ってすぐの所にあるホケノ山古墳、これもいろいろな説が渦巻いているのですが決定打とはなっていません。自分(一人称)は考古学には詳しくないし研究するほどの資料も時間もお金がないのであ~だこ~だ何やかんやは外野の立場でしか言えないが、もう邪馬台国は畿内説、大和にあったと言ってもいいんではないの。今はもうほとんど畿内説が有力だし、それを言うと九州説支持者があれやこれやと持ち出して反論してくる、ここは一致団結して畿内説を裏付ける研究に専念してもいいんでは、でないと畿内説、九州説、他に出雲説や瀬戸内説など不毛な論争が続くばかりで時間を費やしてしまうよ。
そもそも「邪馬台国」と言う言葉、音の響きが「やまと」→「YAMAT」まで一致するから大和説でいいんでないの、と思うのですがどうでしょう。でも大和圏内となると実際にはどこにあったのかでまた論争になりそう、大和郡山にあったり飛鳥にあったりとかいろいろとまた誘致合戦が始まりそうだが、これももう纏向付近にあったと言うことに決めておきましょう。たくさんの学者先生がここにあったと言っているんだからそれでいいでしょう、そう決めてしまえば話は早い、不毛な論争はもう終わり、はい、撤収・・・。
と言うわけで、邪馬台国があった場所、纏向付近の写真を並べてみました↓↓↓
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国道169号線箸中交差点から分かれる県道50号線、JR巻向駅の西側を通るこの道の周辺は見通しのいい風景が広がっている。箸墓の後ろには三輪山がそびえ、駅周辺は近年遺跡が発掘された所、先の箸墓、ホケノ山古墳を含む纏向古墳群はこの辺りを中心に展開していて、県道の周辺には大小いくつかの古墳が点在している。そうか~、ここに約1800年前もの昔、政治の中枢の場所があったのか~、ふと目を閉じればその風景が思い浮かんで・・・来るわけないか。そもそも邪馬台国と言うのがどんなだったのかが分からない、よく復元された映像や風景を見ることがあるが本当にあのような風景だったのかとなるとどうなんでしょうねえ、そこは現代人の理想が優っている部分が多いんではないでしょうか。「卑弥呼」にしてもそう、これって人の名前ではなくて役職みたいなものでしょう、「ひめ」「みこ」と呼称がいつの間にか「ひみこ」と言った感じで祭り上げられるようになったとか。実際に「卑弥呼」として特定されたのは誰なのか、先に名前の出た第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命?それなら箸墓は、纏向は・・・ってことになるのだが、未だにそう決めつけてしまうことを許さない人たちもいる、やっぱり「邪馬台国はどこにあったのか」と言うのは古代史の永遠のテーマとされるのでしょうねえ、あえてどこにあったか決めない方が謎とロマンがあっていいのかも、って奈良県民としてははっきりここだと決めてほしいんですけどねえ。次回もお付き合いよろしくお願いします、つ~づ~く! まちみち
タイトルは上記のようにつけたのですが、本当にそう言ってしまっていいのでしょうか?
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まずは箸墓古墳、wikiでは
「実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている」
と記されています。この「倭迹迹日百襲姫命」と言うのが「卑弥呼」、因ってこの古墳が卑弥呼の墓だと言う話があるのですが、イマイチ決定打には至っていません。
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一方こちらは箸墓古墳の東側、JR万葉まほろば線の踏切を渡ってすぐの所にあるホケノ山古墳、これもいろいろな説が渦巻いているのですが決定打とはなっていません。自分(一人称)は考古学には詳しくないし研究するほどの資料も時間もお金がないのであ~だこ~だ何やかんやは外野の立場でしか言えないが、もう邪馬台国は畿内説、大和にあったと言ってもいいんではないの。今はもうほとんど畿内説が有力だし、それを言うと九州説支持者があれやこれやと持ち出して反論してくる、ここは一致団結して畿内説を裏付ける研究に専念してもいいんでは、でないと畿内説、九州説、他に出雲説や瀬戸内説など不毛な論争が続くばかりで時間を費やしてしまうよ。
そもそも「邪馬台国」と言う言葉、音の響きが「やまと」→「YAMAT」まで一致するから大和説でいいんでないの、と思うのですがどうでしょう。でも大和圏内となると実際にはどこにあったのかでまた論争になりそう、大和郡山にあったり飛鳥にあったりとかいろいろとまた誘致合戦が始まりそうだが、これももう纏向付近にあったと言うことに決めておきましょう。たくさんの学者先生がここにあったと言っているんだからそれでいいでしょう、そう決めてしまえば話は早い、不毛な論争はもう終わり、はい、撤収・・・。
と言うわけで、邪馬台国があった場所、纏向付近の写真を並べてみました↓↓↓
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国道169号線箸中交差点から分かれる県道50号線、JR巻向駅の西側を通るこの道の周辺は見通しのいい風景が広がっている。箸墓の後ろには三輪山がそびえ、駅周辺は近年遺跡が発掘された所、先の箸墓、ホケノ山古墳を含む纏向古墳群はこの辺りを中心に展開していて、県道の周辺には大小いくつかの古墳が点在している。そうか~、ここに約1800年前もの昔、政治の中枢の場所があったのか~、ふと目を閉じればその風景が思い浮かんで・・・来るわけないか。そもそも邪馬台国と言うのがどんなだったのかが分からない、よく復元された映像や風景を見ることがあるが本当にあのような風景だったのかとなるとどうなんでしょうねえ、そこは現代人の理想が優っている部分が多いんではないでしょうか。「卑弥呼」にしてもそう、これって人の名前ではなくて役職みたいなものでしょう、「ひめ」「みこ」と呼称がいつの間にか「ひみこ」と言った感じで祭り上げられるようになったとか。実際に「卑弥呼」として特定されたのは誰なのか、先に名前の出た第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命?それなら箸墓は、纏向は・・・ってことになるのだが、未だにそう決めつけてしまうことを許さない人たちもいる、やっぱり「邪馬台国はどこにあったのか」と言うのは古代史の永遠のテーマとされるのでしょうねえ、あえてどこにあったか決めない方が謎とロマンがあっていいのかも、って奈良県民としてははっきりここだと決めてほしいんですけどねえ。次回もお付き合いよろしくお願いします、つ~づ~く! まちみち